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人間関係は共感から

とあるかたが、こんな話をしてくれました。
近所のかたを何人か誘ってランチをしたときのこと。
彼女が、毎日の食事の支度のことを「もう、かったるくてねぇ」と言ったところ、一人のかたが、「それじゃダメよ。きちんとやらなくちゃ」と答えたそうです。
それを言ったかたは、ご自身が完璧に家事をこなしていると自負しているそうです。
「かったるい」と言った彼女はなんだか力が抜けてしまったそうです。
ランチのアレンジも、お誘いも、場所の予約も、全部彼女がやったのに、結局上から目線のひとことでぶち壊された感じだった様子。

この会話はまるで「あるがままVSかくあるべし」の図式のようです。

またとあるかたが、こんな話をしてくれました。
とある会合で、ご自分の挫折体験の話をする機会がありました。
そういう話をするような場なので、あえて皆の参考になればと思ったそうです。
ところが、その話の後にあるかたが発言しました。
「私もまったく同じような悩みがあり、苦しんだけれど、そこでがんばって仕事をやり遂げました」

挫折体験の話をした人はどう感じたでしょう?
確かに次に発言した人の言葉は「正しい」。
他の場での発言ならいいでしょうが、この流れではどうでしょう?

端的に言うと「あなたはできなかったけれど、私はできた」ということを、挫折体験を話した人の後に言ったわけです。
内容は「正しい」けれど、これはせっかく皆のためにさらけ出した人にとっては、心をくじかれる体験です。

時々、自分の言っていることは「正しい」のだから、受け入れられるべきだ、と思っている人がいます。
確かに、会議やディベートではその態度でいいのかもしれません。
しかしお互いが交流している場では、正しいことを言いあうことは、交流でなく「ケンカ」になる場合があります。

人が他の人の意見を受け入れるためには、その土台に一定の関係性が築かれていなくてはなりません。
ご自身にも覚えがあると思いますが、いくら相手の言葉が「正しく」ても、相手のことが気に食わない場合、受け止めるのはむずかしくなります。
かえって反発したくなることさえあります。

相手と自分とに信頼関係ができていれば、その言葉に少し抵抗があっても、考えてみようかという気持ちになるものです。

人間関係とは、とても微妙なものです。
会話が上手だったらうまくいくわけでもない。

たとえば一緒に作業をしているとき、その人がさりげなく手伝ってくれたなら、「こういう人なんだな」と、その人に対する印象が出来上がります。
最初にあげた会話でも、「かったるい」と言ったときに「そうよね」という共感の言葉がはさまれば、見下された感じにはならないでしょう。

まずは相手に共感することから。
(言葉だけでもいいのです)
相手に好感を持ってもらうためには自分をアピールしなくては、と思っている人がいますが、必ずしもそうとは言えません。

共感はなかなかむずかしいことです。
特に職場の部下とか、身近な家族とか、すごく親しいと思っている人に対して、「正しさ」を吹聴してしまうことがありそうです。

私自身も、時には失敗をしてしまいますが、心にとめておきたいと思っています。

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湯島の白梅

「森田教」にならないために

今年はお正月から暗いニュースばかりでした。
能登地震で被害に遭われたかた、今も避難中のかたがたにお見舞い申し上げます。
私にできることは義援金寄付ぐらいなのですが、寒い中電気も水もなく不自由な生活をなさっているかたがたがまだ多いとか。一刻も早くインフラ回復してほしいですね。

さて気を取り直して、ずっと書こうと思っていた少し刺激的なテーマを書いていこうかと思います。

私の今までの体験では、森田療法は、治療者の間でも悩んでいる人の間でも、なんとなく敬遠される雰囲気があるようです。
日本人は海外の治療法のほうが好き。
あるいは森田療法は名前からして古臭そうでなんだか胡散臭い。
そういうことも原因としてあるでしょう。

しかしもうひとつ、忌憚なく言わせてもらえば、森田療法をとりまく一部の人たちの雰囲気に、若干の違和感があるという意見もあるのです。
傾倒しすぎというか、「森田教」を信仰しているような雰囲気があってイヤだという感想も聞きます。

確かに、森田療法は精神療法であって宗教ではないのに、何か宗教的な匂いがしてしまう。
なぜなのでしょう。

たとえばこんなことがあります。
あるかたは、森田療法を学んだクリスチャンなのですが、キリスト教についてのブログを書くときに「これは森田療法の考え方と一見異なるかもしれませんが・・」などという一言を入れます。
けれど、森田療法は宗教ではないのですから、各々のかたの信仰とはまったく別物です。

あるいはこういう例もあります。
森田療法を実践なさっているかたに、たとえば「マインドフルネスの実践も役に立ちますよ」といっても、殆んど興味を示さない。
他の考え方、精神療法、人生論、ハウツーものにもあまり興味が持てない人が多い。
意識的ではありませんが、どこか森田療法を学んだら、それでこれからの生き方すべてをカバーできるような考えを持ってしまうようです。

繰り返しますが、森田療法はただの精神療法です。
それもオリジナルは「不安障害」に特化した療法です。
森田博士自身は弟子がヒステリー(今の転換性障害、解離性障害)に森田療法を応用しようとしたときに、それを許可しませんでした。
そして彼は言っています。
「私にはごく限られたことしかできません」
もちろん現在では、いろいろな症状に森田療法の応用がされています。
ただ森田自身は、自分の治療法の応用範囲を厳しく限定していたのです。
科学者の態度です。

これだけ古い治療法が現代にまで活用されているのは、この療法が(推論でなく)人間の心の事実に基づいた(つまり科学的な)方法だからです。
そしてまた、森田博士が生まれた時代は、明治政府が近代化という名のもとに日本の土俗的なものを薙ぎ払っていた時代です。「前へ前へ」の時代です。
そういう時代背景の限界も考えて学ぶ必要があります。

生き方・考え方の基盤は森田で学べます。
しかし当然のことながら、人生の問題がすべて森田で解決できると思うのは錯覚でしょう。

不安障害が落ち着いたら、今まで自分のことばかりにかまけて学んでこなかった人間関係の機微、コミュニケーションのしかた、成功哲学、ライフハック本など何にでも手を出して学べばいい。
哲学、アート、芸術、旅行などの体験で自分の幅を広げていくことも楽しいことです。
そうすれば、自分の豊かさにもつながり、周りから見ても魅力的な人間になっていくと思います。

森田博士はこんなことも言っています。
「自分の苦痛を客観的に取り扱うようになればよい、歌、文章、心理研究、皆それである」
「この主観を離れ、先生を思わなくなった時、真の健康なる独立心ができる」
(注:「根岸症例」の前半、森田博士が根岸青年に言った言葉)
(森田正馬全集第一巻「神経質及神経衰弱症の療法」416頁)

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礫川後楽園

今年もお世話になりました

あっという間に今年最後の日になりました。

今年はコロナ明けのせいか、何かいろいろ気ぜわしく過ごした気がします。
直接ご来室なさるかたも増えました。
学会なども、今までオンラインだったのが、以前通りの皆が集まる開催形式に戻ったり・・。
外出して人と会うことも増えました。

今年はカナダ・バンクーバーで国際森田療法学会が開催されました。
残念ながらバンクーバーまでは行けませんでしたが、オンラインで参加、発表させていただきました。
そうやって森田療法を考える機会を与えられ、今年森田について個人的に、改めて強く感じたことがあります。
当たり前と言われるかもしれませんが、森田療法って徹底的に「事実」に基づいているんですね。

「事実」と言っても、非常にベタな事実です。
「私は身長〇センチで、人前で固くなる」という例を森田はあげています。
自分としてはこんなに背が低いのは心細い、だからせめてもう少し背が高いと思いたい。
あるいはこんなに気が小さいと認めるのは浮かぶ瀬がないので、せめて朗らかにふるまえば、いいのかもしれないと思う。(全集5-600頁より意訳)

つまりここでいう「事実」とは、自分ではどうすることもできないもの。
自分ではコントロール不可能なものなのです。

コントロール不可能なものは、そのまま認めるしかない。
しかし、人間として限られた範囲ですが、コントロール可能なものがある。
それは「動き」「行動」です。
だから人間はそこに注力していくしかない。

たとえば、「前向きな行動をしていれば、気持ちも前向きになりますよ!」と言うのも、厳密に言えば、違いますよね。
前向きな行動はできるけれど、それで気持ちが前向きになるとは限らない。
よく読むと、森田はそんなことは言っていない。
どんな結果になるかわからないけれど、私たちにできるのは、行動していくことだけ。
それを森田は「努力即幸福」という言葉で表しました。
結果はどうなるかわからないけれど、目標に向かって努力していくことが、私たちのできることであり、その努力のなかにこそ生きている感覚がある。

試験には落ちるかもしれない。(これは自分のコントロールの範囲外)
しかし合格しようと一生懸命努力したことは、自分の人生に残るのです。

「自然に服従し、境遇に柔順なれ」もそういうことかもしれません。
自分のコントロールできないものについてはそのままに、自分の周囲の状況には臨機応変に対応していく。

ここで重要なのは、何がコントロール可能で、何が不可能かということです。
そこを見極めることが大事。
(何もかもコントロール不可能だから、すべてあきらめる、ということではありませんよ!)

これはちょうど、AA(アルコホーリクス・アノニマス)で唱えられる「平安の祈り」と同じです。

「神様、私にお与えください
自分に変えられないものを、受け容れる落ち着きを
変えられるものは、変えてゆく勇気を
そして、二つのものを見分ける賢さを」


今年もありがとうございました!

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雑司ヶ谷・鬼子母神境内

強迫的な人のパニック感

このところ、何人かの強迫系のかたがたとお話させていただくなかで、皆さん同じような場面で同じようなことで悩んでいらっしゃるということがわかりました。

その「同じようなこと」とは、こんな感じのことです。

(特に)仕事の場で、目上の人などに質問されたとき、あるいは話かけられたとき、頭のなかがパニックになり、適切な答えができない。
あとで冷静なときに考えれば、こう答えればよかったとすぐわかるので、悔しい。

とあるかたはこの時の感覚をこんなふうに表現なさいました。
「(質問などされたとき)とにかくいろいろな考えや感情が一瞬のうちに噴出してくる。それが、どれも同じような強さで湧いてくるので、頭のなかが混沌としてしまい、果たして何を答えたらいいかわからなくなる」

こういう表現をされると、ただ「パニック」と言われるよりずっとわかりやすいですね。
どうやらこういうことが、頭のなかで起こっているらしいのです。

それで、この同じ表現を使って、同じようなことで悩んでいるかたに「こういう感じですか?」と尋ねてみたら、「そうそう!」と同感してくれました。

もう強迫症状は乗り越えてしまったかたでも、日常の勤務でこのようなことで困っているかたが多くいるようです。

そんな場合、しどろもどろになってしまい、上司からこんなことを言われるそうです。
「お前の話は何を言っているのかよくわからない」
「言い訳から入るのか」

確かに仕事を進めていくうえで、いつもこんなふうだと困りますね。

それで、一人のかたに「そんなとき、どうすればいいと思う?」と逆にお尋ねしてみました。
そうしたら、こんなふうに考えてくださいました。

「そのときに問い返せばいいかもしれませんね。すぐに答えようと思わずに、相手に『すみません、今のお話はこういうことですか?』とか『ちょっと待ってください。そこのところ整理させてください』とか」

いいアイデアだと思います。
相手が目上の人だと、どうしても「早く答えなくちゃ」とか失態を見せたくないとかいう心理が働いて、それで余計にパニックになる。
こうやって問い返すことで、こちらに少し余裕ができることは確かです。

自分が年下だったり、部下だったりすると、私たちはどうも相手のことを「完全」だと勘違いすることがあるようです。
相手の言うことがわからなくても、自分が足りないせいだと思ってしまう。
相手だって説明が下手だったり、要点をはずすことがあるのです。

パニックの内容に戻りますが、もしかしたら強迫のかたの思考の癖として、同時にいろいろな考えが湧いてくる(そして拮抗作用が強いので、湧いてくる考えへの反論も湧いてくる)ことや、その考えのなかのどれが一番重要なものなのかわからなくなることがあるのかもしれません。

あまりにもたくさんの考えが頭のなかにひしめいているので、ことの軽重がわからなくなる。(だからこそ、不安が強い時は的を一点にしぼって「症状」にする必要があるのかも・・・)

ある意味、「ことの軽重がわからない」ということは、強迫的思考の特徴かもしれません。
自分の外側からの情報と、湧き上がってくる自分の内部の思考とが、同じように重大に思える。

このあたりの対処としては、やはり森田療法の「ものそのものになる」でしょうか。
「もの」とは、たった今自分が対処している現実。

普段から、「自分の思考」と「現実」とを区別する見方を意識する必要があるかもしれません。
本当に大事なのは、自分の外にある現実に対処していくことで、自分の思考については、森田正馬の言うとおり「ヒマヒマに考えればいい」のです。

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肥後細川庭園 ライトアップ (庭園めぐり始めました)

健康的な生活を

最近、以前と比較して精神状態と脳や身体との関係が深く研究されるようになってきたようです。

なぜか暗いこと、ネガティブなことばかり考えてしまうのも、ただ自分のせいではなく、身体や食生活、腸の状態も関係しているということがわかってきています。
強迫的思考や嗜癖も、脳への栄養状態が原因なのではという説も出てきています。

しかし悩んでいるときは、なかなか自分の身体のこと、生活のことに注意が行かないものです。
きちんと栄養のあるものをとったり、運動習慣を保ったりが面倒でできない。
結果として、自分の身体をネグレクトすることになっていることが多いようです。
ただただ、今の悩みを解決したい。
そして結果的に不健康な生活を送ってしまうということがありそうです。

私自身はいわゆる「健康おたく」ですので、YouTubeで健康情報を漁っております。
(最終的にはどれが本当のことなのか、わからなくなったりしますが)

森田療法ではよく「健康的な生活をする」と言われます。
それは、行動のことばかりではなさそうです。
適切な食生活、きちんと栄養をとることも、脳の健康に必要でしょう。

悩んでいるかたとお会いしていて、時々気になることがあります。
実は「甘いものがやめられない」という方が意外に多い。
たとえば疾病恐怖で、甘いものが身体に悪いことを知っていてもやめられない、というかたもいらっしゃいます。

男性のかただったら、アルコールは身体に悪いとわかっていてもやめられないというかたがいるのではないでしょうか。

考えてみれば神経質の方は、「不快」を敏感に感じると同時に「快」の感情にも敏感です。
気持ちいいものについつい惹きつけられる。
だから下手をすると、依存症に近い状態になる可能性もあります。
お菓子がやめられない、お酒を断てない、ということです。

当然のことながら、過剰な糖質、アルコールは脳にも影響を与えます。
そのときは快くても、結局あとあと気分が沈む原因になります。
認知症の原因にもなります。
もちろん脳だけでなく、身体にも悪いですよね。

悩み事に集中するあまり、そんなことにかまっていられないというかたもいるのでしょう。
関心が、悩みの解決にばかり向かって、身体養生には向かわないのかもしれません。
けれど、身体が健康になり、適切な栄養状態になれば、結果として考え方が前向きになると思います。
日の光を浴び、運動し、腸活する!
自分の自然なセロトニンで、悩みが消えていくなんて、理想的ではありませんか。

「森田おたく」もいいけれど、ぜひほんの少し「健康おたく」にもなって、食べ物と身体の関係を勉強してみてください。
生活習慣病もそうですが、病気はなる前に予防するのが一番ですよね。

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プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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