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今年もよろしくお願いいたします。

2021年になりました。
今年もこのブログをよろしくお願いいたします。

コロナに暮れ、コロナに明けた年越しです。
そして東京はとうとう非常事態宣言。
外を歩いてみると、ほとんどの人がマスクをしているのに、一体どこで感染が広がっているのでしょう。

東京に住んでいるのはすごく怖いけれど、今さらどこへも行けないし、他県に出たら、東京人はきっとバイキン扱いされるのでしょうね。

それにしても、私などはコロナから逃げまくっているのに、医療現場で対処している関係者のかたがた、休むこともできないエッセンシャルワーカーの皆さま、本当にありがたいことです。
どうかそういうかたがたが、コロナにかかりませんように。

さてコロナは本当にこわいのですが、コロナ禍の生活で少し気持ちが落ち着いたというかたの話も聞きます。

ものごとには、やはりいろいろな面があるもの。

リモートワークになって、会社の面倒な人間関係から解放される時間が多くなり、気持ちがすっきりしたという方もいるようです。
今まで、仕事以外の人間関係でどんなに気をつかっていたのか、しみじみわかったということです。

飲み会がお好きなかたもいるでしょうが、仕方なくつきあっていた飲み会を断る口実ができてうれしいというかたもいます。

また通勤しなくなって、時間に余裕ができ、なんであんなにせわしない生活を送っていたのだろうとしみじみ思ったというかたも。

本が売れているという話もあります。
遊びに行くところがないし、時間もできたので今までじっくり取り組めなかった読書でもしてみようということでしょうか。
それはそれで素晴らしいことです。

時間には余裕ができたという人が多いようですが、反面、収入が減るという難事に直面しているかたも多いでしょう。

家のなかに閉じ込められて、家族仲が良くなった人、反対に悪くなった人。
逃げ場のないなかの配偶者や子供に対するDVも、きっと水面下で増えていることでしょう。
これだけ閉塞した状況のなかでは、うっぷんがたまり、攻撃性が高まっていく人もいます。
被害者にはどうにか助けを求めてほしい。

社会や政治あるいは人間性の、隠れていた問題点がパンデミックによって顕現してきたようです。
それが将来の改革に結びついてくれればコロナも無駄ではなかったということになるのでしょうか。

コロナについての所感のようになってしまいましたが、私個人としては、今年は自身の「ゆとり」を考えていきたいと思います。

人間には、その個々人に応じた体力、能力の限界というものがあります。
この歳になってみれば、「自分の限界」もはっきりわかっています。

自分が本当にやりたいことを中心に毎日を無理なく組み立てていきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。そしてお互いコロナから逃げ切りましょう。

梅2021

T.H氏撮影

努力ができない、続けられない

時々、神経質のかたから「努力ができない」「物事を続けられない」というぼやきを聞くことがあります。
ちょっと不思議な気がします。
神経質って地道に粘り強く努力する人たちじゃなかったの?

しかし、思い当たることもあります。
たとえば時々日記指導をすることがあります。
ここで、神経質のかたと他の性格のかたとは、少し傾向が分かれます。
神経質のかたでも、続けることができる熱心なかたもいらっしゃいますが、最初で挫折してしまうかたが、結構多いようです。
他の性格のかたは、ずっとずっと粘り強く続けるかたが多い。

けれど、何事も続けられないのかというと、少し違う。
集談会など、500回を数えるほど毎月、何年も続いているのは、神経質の集団ぐらいではないでしょうか。

これは一体何なんでしょう?
面白い傾向と思って折に触れ、考えていました。

前回のブログに書いたように、神経質のかたは何事も「やらなければならない」に変換してしまう傾向がある。
たとえば「今度英語の勉強を始めよう」と思い、最初はワクワクしながら机に向かってみたり、参考書を買ったりします。
ところが、そのうちそれが「しなければならないこと」に変換されて、苦痛になってくるのです。

ただ淡々とこなしていくというより、「あぁ、またやらなければならない。嫌だ」という感じになってくるのです。
やり始めてしまえば、それはそれで面白いと感じるのですが、手をつける前の「いやな感じ」「面倒臭さ」に過敏で、それに非常にとらわれるようです。

そのため、意外と三日坊主の人が多い。
ところがその対極に、粘り強い人もいるのです。
どこに差があるのでしょう?

この頃気づいたのは、その「やること」を「習慣」にしてしまえば、神経質の人はずっと続けることができる。
結果的に「粘り強い人」になるのです。

神経症にあれだけ長いこと悩むのですから、粘り強くないはずがない。

いやだと感じているその「やるべきこと」を生活のなかに組み込んでしまえばいいのです。
食後に食器を洗うのと同じように、毎晩決まった時間にお風呂に入るのと同じように、そのやりたいことを生活の流れのなかに組み込んでしまう。
そうすると、妙な言い方ですが「変化を嫌う」ということが良い方向に働いて、淡々と持続することができるのです。

ですから会合を毎月開催していくということも、スケジュールのなかに組み込まれてしまえば、少しのイヤさはあっても、「当然やること」に変化しているので、続いていくのです。

毎日必ずこの時間にはこれをやる。
それがあたりまえの習慣になったら、省略することのほうに気持ちの悪さを感じるようになる。

神経質者がなかなか持続できなかったり、対照的に信じられないほど粘り強かったりするのは、こんな微妙な面があるのですね。

今年のブログはこれで最後です。
私ももう少しブログを習慣化しないといけませんね。

コロナに悩まされた一年でしたが、来年は良い年になるといいですね!

イルミ

神経質あるあるーー「かくあるべし」変換

森田療法は誤解されやすいと、よく言われます。
森田療法を誤解したまま嫌いになる人の話も聞きます。

確かに森田療法は誤解されやすいと、私も思います。
カウンセリングの過程でも、最初の「まず身体を動かしましょう」的なところを森田療法の全体と思ったまま中断してしまう人もいて、なかなか「感情」に対する癒しや平等観までたどり着かない。(これには自己洞察が伴うことも必要なので、むずかしいですね)
森田カウンセリングの難しさを感じるところです。

誤解されやすい要素のひとつに、森田療法の考えを「かくあるべし」でとらえてしまいがちな人が多いからということもできます。

森田正馬は自分の治療法をあまり理論的に語りませんでした。
それに比べると、海外の新しい認知行動療法などは、実に微に入り細にわたり理論を言葉にし、マニュアル化しています。

森田全集第5巻を読むと、しかし森田自身は極力、理論化(理屈に偏る)ことを避けているように読み取れます。
それは、彼が「神経質性格」の特徴を熟知していたからだと思われます。

神経質は「言葉」「観念」が先行する人たちです。
神経症の人が、必ず「治るにはどうしたらいいんですか?」と最初に問うのも、きっと「一番早くて近い道(マニュアルや公式)」がどこかにあるはずで、それに従っていけば治るはずだという考え方があるからでしょう。

この場合、自分の事実を真摯に見つめて、人生を再構築していこうなどという考えがないことが多い。

ですから、何か自分に納得できる言葉が見つかると「森田では~~すべきなんだ」と解釈して、それをひとつのポリシーのようにして遵守する。
それを仮に「かくあるべし」変換と呼んでみましょう。

もともと「かくあるべし」に悩まされて症状に至ったはずなのに、森田療法を学んで新たな「かくあるべし」が積み重なっていくという事態になります。
ルールを守るとか、決まったことに従うというのは得意なので、「苦しくても行動しなくてはならない」「とにかく努力しなくてはならない」「欲望を見つけなくてはならない」という「かくあるべし」に従って、どんどん苦しくなっていく。

これを森田正馬は「教条」と言いました。
この教条化を防ぐために、彼は比喩や具体例を多用して、真髄を伝えようとしたのです。

「~~しなければならない」というのは、森田療法ではありません。

大事なのは、行動してみたときに生まれる自分のなかの生き生きした感情、新しい発見、自分の心が動いていくこと。
それはマニュアルのように「こうしたら、こうなる」というものではありません。
予期せず、自然に自分のなかに生まれてくるもの。
意図して生みだすものでもありません。

「こうしなくてはならない」という形だけを追うのではなく、いいかげんでもいいから試してみて、内側に湧いてくるものに気づく。

森田療法はもっと自由なものであるはず。

森田を学んでいるかたは、自分のなかの「かくあるべし変換」がないかどうか、一度洗い直してみるのもいいかもしれません。

パンダツリー

パンダツリー、上野松坂屋

「うつ」っぽいと感じたら

コロナがまた広がっています。
この状況のなかで、何か「うつ」っぽさを感じているかたが多いのではないかと思います。

コロナが怖すぎて気が沈む人もいます。
感染力が強いようだし、無症状の人からも感染するのなら、もしかしたらうつったかもしれないと、体調をチェックし続け、疲れてしまう人もいます。

家族や周囲の人と「コロナ観」が違いすぎて、神経をすり減らしている人もいます。
ものすごくコロナが怖い人と、「コロナなんてかかるはずがない、皆が騒ぎすぎだ」と思う人が家族として同居していたら、お互いいつもハラハラした状態で、ストレスです。

コロナのストレスだけではありません。
友人と会う事もできなくなり、ショッピングや外食もままならなくなり、一人でいる時間が多くなると、思考は何か暗い方向に走ってしまいがち。
強迫的にいやなことをグルグル考えたりして、頭が疲弊してしまいます。

これから先の生活がどうなるか心配でしかたない人もいます。

皆が何らかのストレスをかかえ、気持ちが沈んでいる状態ではないかと思います。
大変な時代です。

朝、目がさめて、なんだか異様に身体が重い、疲れているとか、気持ちが上がらない、時間がたっても頭が働かないというような状態になったら、ちょっと立ち止まってみましょう。

ここ数日、自分がどんな生活をしていたか。
無理していなかったのか? 
いつもは、これぐらい仕事をしても平気だったのに・・などと思っても、今は生活すること自体に過剰にストレスがかかる時なのです。
自分が疲れているということを素直に認めること。
そしてすぐに休むことです。

休んでも、頭のなかでいやな思考がグルグルしてしまうときは、用事を作って散歩に出ましょう。
にぎやかなところが好きな人は、街中を歩く。静かなところが好きな人は公園に行く。
急がずゆっくり歩いてみましょう。
歩いているうちにだんだん気持ちは変わるはず。

家に帰ったら、自分の一番食べたいものを食べたり、暖かい飲料を飲んだりしてゆっくりしましょう。
「あれはダメ、これもダメ」を少しはずして、好きな時間に横になりましょう。
身体を温かく保つのも大事なことです。

いつもやっていることだから、最低限これはやろう、等と頑張ることをせず、さぼりましょう。
好きな音楽、好きなテレビやドラマ、映画を楽しむ。
軽い本を読む。

時間がもったいない、などと思わないこと。
このコロナの時代、時間だけは、各々に豊富に与えられているような気がします。

この余った時間に何か有意義なことをやろうと思いがちですが、自分が有意義だと思っていることだけが、大事なことではない。
やりたいことだけやっていてもいいのです。

ストレスを受けた心と身体を自分で癒す方法を見つけてみましょう。
自分はどんなことをどれだけすると「疲れる」のか?
自分にとって、心や気持ちを休めるためには、どんな方法が一番いいのか?

コロナに閉じ込められた季節は、ただ夢中で前を向く生き方をひとまずやめて自分を労わるチャンス。
苦しいのは世界中の皆が同じなのですから、きっと未来は何とかなります。

自分の身体は(思考はではない)何をしているときに気持ち良いのか、何をしているときに自分はリラックスしていられるのか?

身体と心の全体で、自分をケアしてあげなくてはならない時代なのかもしれません。

木立2

T.H氏撮影


* 眠れない、食欲がない、いつも楽しんでいたことが面白くないということがあれば、お医者様に相談することも必要です。

クセは生かす

前回は、直らないクセの話をしました。

しかし直らないクセは直らないままでいい。
ただそのままで現実に適応していけばよい。
それが森田療法の考え方です。

たとえば、私は締め切りが近づかないと本気モードにならないと言いました。
それでも、締め切りには間に合うように必死になります。
もちろん余裕を持ってものごとにとりかかるのがベターなのはわかっています。
しかしそれをこれから変えようとするのは、至難の業。

締め切りがあるとダッシュするという、その特性を生かせばいいわけです。

原稿とは別の例で言うと、私は本が好きなので、ついついたくさん本を買い込んで、結果的に「積読(つんどく)」で終わってしまうことが多い。
そのとき面白そうと思っても、なかなか読み切らない。

それでこの頃は図書館を利用することにしました。
どう利用するかというと、何か書評欄やネット情報、読書ブログで面白そうな本を知ったら、とりあえず図書館にあるかどうか調べて、あれば予約しておく。
そういう評判の本だと、たいていたくさんの人が予約しています。
それでもかまわず予約しておく。

図書館から借りる本は2週間という期限がついています。
その期限通りに返すためには、積んどくわけにはいかない。
長い時間待ってせっかくまわってきた本なのですから、読まないともったいない。

それで、一生懸命読みます。
読んだ時点で、この本は手元に置いて何度でも読みたいと思えば、買えばいい。

図書館で予約待ちをしていれば、手元に来る頃にはすでにベストセラ―ではなくなります。
でも、私の場合、別に仕事に使うわけでもないし、それで充分。
期限までには読むという自分の性格を利用すれば、たくさんの本が読めます。

では衝動的に買ってしまって、もはや積読状態になっている本はどうしたらいいか?
いつ読むかわからないのだったら、ブックオフに売る覚悟をすればいい。
「今度の日曜にブックオフに持っていこう」と思えば、「どんな本でどうして買おうと思ったか」と少しもったいない気がして、頁をめくる。
とりかかれば、やはり面白いと、読み始めることになるでしょう。

もっとベターな解決策は、本は買ったらすぐ読む、ということでしょうね。
自分は買った本を積んどく傾向があると自覚すれば、「すぐ読むしかない」と思えます。
「いつでも読める」と油断するから、いつまでも読まない。

他のことでもそうです。
「いつでもできる」と思うと、真剣にとりかかることができない。
「今しかない」と思えば、何事も身を入れて実行することができます。
だから私の場合は「締め切りが近いと本気モードになる」という特性を生かして、いろいろなところに締め切りを設ければいいのです。
自分だけの締め切りではなく、できれば社会的な約束事が入るようにすると効き目は大きくなります。

自分のクセを嘆いて理想に近づけようとするのではなく、それが実生活にがマイナスにならないように考える。
そのうえで、それを活かすことができるかどうかを考える。
「症状」もそうです。
それは、そのままでいるしかない。
ただ、そのままでいかに(症状という邪魔がありながら)実生活をやりくりしていくかを考えればいい。

そうすると、そのクセや症状は、いつか「困ったもの」ではなくなってくるのです。

紅葉2020

T.H氏撮影
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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