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小さなダイヤを受け取る

常々、物事を悲観的な方向にだけとらえる人たちがいるのを、なぜだろうと疑問に思っていました。
その考え方が苦しみの原因になっていることが多いからです。

そして、先日あるかたから「メレダイヤ集め」のお話を聞いて、これは悲観的な人には参考になることかなと思ったのです。

「メレダイヤ集め」は,故遠藤優子先生の言葉です。引用してみます。

「私はよくグループのなかで『メレダイヤ集め』を課題にします。メレダイヤとは、ごく小粒のダイヤのことで、周囲との関係で、些細なことでも自分の心がホッと暖かく感じた瞬間を、きちんと受け止めて語る練習をしていきます。メレダイヤを50粒も集めたら、とても豪華な指輪になります。それが自己愛の指輪であり、『この世界もなかなかいいものだ。自分はこの世界に受け入れられている存在なのだ』という自己像と世界観なのです」
(ASK選書14「苦しさの一番奥にあるのは『見捨てられ不安』だった」ASKヒューマンケア)

悲観的な見方をしてしまう根源は、この「メレダイヤ」を受け取れないことにあるのかもしれません。

この文章は「人間関係」のことについて書いてありますが、これは日常のひとつひとつのことにあてはめて考えることができます。

「今日はお天気がよくて空がきれいだった」
「ランチで入ったお店が美味しかった」
「結構仕事がはかどった」

メレダイヤのような小さな喜びは毎日の生活に散りばめられています。
その喜びは、ふっと湧き上がってきます。
しかし悲観的な人は、その喜びを次に浮かんでくる第二念で打ち消してしまう。

特に自分に関連してくることだと、その傾向は顕著です。

「ほめられたけれど、あまり期待されるのもなぁ・・・」
「誕生日プレゼントもらったけど、お返しがちょっと面倒」
「電車で席を譲ってもらったけれど、周りの目が気になる」

このときの気持ちをよく見てみると、最初に必ず小さな「うれしさ」があるはずです。
ほめられたり、プレゼントをされてもうれしくないのは、よほどのあまのじゃく。

この最初のうれしさが「純なこころ」です。
それをつかまえる。
そしてしっかり受け止める。

プレゼントのお返しを気にするなど、そのあとに起こりそうなことを考えるのは、もっと先でいい。

メレダイヤのような「純なこころ」を受け取れず、いつも第二念、第三念が湧き起こってくるのは、その人の心に「かくあるべし」があるからでしょう。
「こうでなくてはならない」「普通こうだろう」「きっとこんなことが起こるだろう」などという決めつけが、必ず「うれしさ」のあとに来るので、その人の思考は幸福な気持ちを打ち消し続けていることになります。

「今、ここ」の小さく輝く「純なこころ」をしっかり受け取る。
それを続けられたら、周囲の人に対する見方や、自分の環境に対する見方は少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
実際には、私たちはたくさんの「喜び」に囲まれているはず。

たとえ困難な状況にあっても、たった今の小さな「喜び」を見つけて味わうことについては、何の差し障りもないでしょう。

香嵐渓

常識と非常識と「かくあるべし」


最近、カウンセリングの仕事とは関係がないところで起きたことで悩まされています。
ある人に常識では考えられないような裏切り行為をされました。
このことについて、あまり詳しく話せませんが、相手は多分自己愛性人格障害のかたと思います。

こういう人は、平気で嘘をつく。
自分の目的達成のためには、相手を平然と利用する。どんな手も使う。

つまり私たちの「常識」の範囲外のことをするのです。
だから「常識的」な人は、まさかという思いで虚をつかれて唖然とするばかり。

たいていの人は、こういう経験をしたことがあるのではないでしょうか。
自分は「真面目」にやっているのに、常識はずれのことをされ、出し抜かれて怒ったことはありませんか?

ところがこういう自己愛性人格障害的な人は、良心的な人たちが絶対使わない手段で、(だからこそ)結構上へと昇っていくのですね。
世界の指導者って、このごろそういう人が多いような気がする・・・。
勧善懲悪とは、まったく関係ない世界が事実としてあるのです。

普段カウンセリングに来るかたがたは、真面目に悩んでいるのですから、こういう人に比べたらまるで聖人君子です。

他人の心情や常識を踏みにじっていくような人には絶対になりたくない。
そんなことをするくらいなら、出世などしなくてもいいし、お金持ちになどならなくていい―と思っている感じです。

そして常識的なことについて、非常に敏感です。
言葉を変えると、「固い」とも言える。
「変な人」と思われたくないので、一生懸命常識的であろうとするのです。

それはそれで安全な道でもあります。

しかし上記のような常識をまったく無視する人は例外ですが、一般的な「常識」というものは、どちらかといえば相対的なものです。
時と場合によって変わってくることもあるし、その人の価値観によってそれぞれだったりします。

神経質の人は「かくあるべし」が強いので「これは常識だろう」と思うことが、かなりきっちりしていて、いろいろなことに「ルール違反!」と感じることが多いのかもしれません。

よくおっしゃるのは、「電車のなかで他人にイライラしてしまって仕方ない」「他の人がルール違反をしていると思うと怒りを抑えられない」などということ。
自分を厳しく律しているだけに、他人が違うことをすると「なぜ? 違うじゃない!」とイライラするのです。

「かくあるべし」が多くて、自他に厳しいと、ショックを受けることも多いし、毎日がきついかもしれません。

ちょうどいい柔らかさ、「いい加減さ」というのも、なかなか難しいものだなぁと思うのです。


秋桜

不在・無言・無視というコントロール

長らくブログをご無沙汰してしまいました。
ただ単に、気持ちがあっちこっち行ってしまって、ブログに向かえなかっただけですが、心配して問い合わせてくださる人もいて、ありがたいことです。

別に病気だったわけでもありませんし、ブログのネタが尽きたわけでもありません。
ただ、時間が空くとその時間にやらなくてはならないことがあり、ブログを書けませんでした。

さて、このところ自分の周囲に起こっていることや、クライエントさんのお話を聞いていると、「不在、無言、無視」ということを攻撃やコントロールの武器にしてくる人がいて、そんなことをされて苦しんでいる人がいるんだと、あらためて認識しました。

きちんと人と向かい合うことが苦手な人は、こういう方法を使うようです。

以前にもブログに書きましたが、子どもが自分の気に入らないことをすると口をきかなくなり、無視する親がいます。
恋人やつれあいなどでも同じです。
自分の気に入らないことをされると「ふん」という感じで無視する。
すると、されたほうは「自分が何か悪いことをしたのか?」と思って、いろいろとわが身を省みて、しなくてもいい反省をします。
機嫌をとったりします。

これは、無視による一種のコントロールです。
相手に罪悪感を抱かせて支配するわけです。

こういうことをされて育った子は、自己肯定感が低くなります。
いつも自分のどこかが悪いと思って育つのです。

不在によるコントロールということもあり得るのだと、この頃気づきました。

人間とは不思議なもので、毎日会っている相手より、たまにしか会えない相手のほうに恋心を感じるようです。
いつでも家にいるつれあいより、不倫相手のほうに夢中になる、などのことです。
たまにしか会えないと、不在の期間に、相手を理想化するということが起こり、相手が素晴らしい人間のように思えてくる。
その人が別に自分に何もしてくれない人でも、会うのが待ち遠しくてたまらないという感覚が起きるものです。

不在によって美しくなり、他人の心に棲みつくことができるわけです。

その点、毎日家にいるつれあいは不利です。
だらしなく昼寝している姿やドジなところを見られるのですから、「恋愛状態」はすぐ醒めます。
「恋愛状態」というのは、多分に幻想を含んだものですから、ずっと恋愛していたい人は会う回数を制限したほうがいいのかもしれません(笑)。
そしてたまにLINEで「会えないけれど、愛してるよ」なんてささやけば、夢多い若い子などにとってはもう完璧な恋人になれます。
もちろん、現実的な人には通じない手ですが。

そうです。つまりこういうややこしい手を使ってくる人には、こちらが現実的になることです。
(現実のなかで)この人は私に何をしてくれただろう?と考えてみる。
一緒に何をしただろうか? そういう現実的な手ごたえを大事にする。

無視してくる人に対しては、自分が悪いわけではない、相手が卑劣な手を使っているだけだと理解することです。

そして、こういう形の攻撃やコントロールがあり得るということを知っておくのも大事なことです。
対人関係で、いわれのない罪悪感に悩まされることが少なくなるかもしれません。


あじさい

今年の桜

また桜満開の季節になってきました。
毎年のことながら、気持ちのいい眺めです。(花粉症さえなければ!)

今年はどこに花を眺めに行こうか、考えています。

東京には桜の名所がたくさんあり、住んでいながら意外と行ったことのないところも多いのです。

いつものところではなく、初めて行くところ。
そういう行動を心がけています。
ただ遊びに行くのですから、繰り返しより新しい場所のほうが面白い。

しかしどうも、行ったことのある場所だと安心感があって、繰り返してしまう傾向があります。
この安心だから繰り返すという傾向は、ちょっとくせものです。

安心だから同じことを繰り返して、なかなか新しいことに目が向かない。
冒険ができない、ということだけではなく、繰り返しのなかに浸ってしまって、そこから出ようとしない。
外に出なければ、新しいことには出会わないけれど、何か安定した気持ちでいられる。

こういう気持ちは、神経症やアディクションの基底にあるものではないでしょうか。

神経症やアディクション真っ最中のかたは、いろいろな経験をしていないし、新しい経験に対して臆病というところがありそうです。
もちろん、様々な経験をしているかたもいらっしゃいます。
でも、神経症的な状態になると、あまり動きが無くなる場合が多いようです。

そもそも他のことに好奇心がなくなる。
こんなこともやってみたいとか、あれは楽しいだろうとかいう外に向かう気持ちが薄くなってくるのです。
それよりも、心の底では外の世界に何か怖さのようなものを感じてしまう。

だからアディクションと呼ばれる同じ行為を繰り返し、あるいは強迫的に悩んだまま何年も過ごしてしまう。
きっと、そういう安住傾向を抜け出すには、ほんの少しの新しいことを始めるだけでいいのでしょう。

大抵の人には好奇心というものがあります。

それは、新しいことに触れるたびに活性化されて、どんどんふくらんできます。
そうすれば、元の場所に戻るのがあまりにも味気なく感じられる。

もっともっといろいろなことをしてみたい。いろいろな人に会ってみたい。行ったことのない場所に行ってみたい。

満開の桜に誘われて、どこかへふらりと出かけてみるには良い季節です。
1人だって大丈夫。
周りの人は花を見ているのですから、誰もあなたを見てどうこうは言いません。

さて、今年はどこに行きましょう。
早くしないと葉桜になってしまいます。


今年の桜

対立と融和

新しい年になりました。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年は、世界のあちこちで対立が深まった年でした。
国と国との対立や人種間の対立、宗教間の対立、主義の対立。
国の代表が融和でなく、対立をあおっているという憂うべき事態も目立ちました。

外の国やグループを「敵視」して、対立をあおるというのは、昔から施政者やリーダーがよくとる手段です。
そうすれば国内あるいはグループ内が、危機感のなかで簡単にまとまるからです。
そしてリーダーに対する期待感のようなものも増します。

ただただ人の信任を得たいだけのチープなリーダーであれば飛びつく簡単な方法です。

その反対に「融和」するということは、対立することよりずっと難しいことのように思われます。

異なるものを認めなくてはならないし、そのためにはこちら側がしっかりと自立していないとならない。
融和には、飲み込まれる恐怖が伴うからです。
対立するよりもずっと強さが必要です。

ニュースを見ながら、そんなことを思って年を越し・・・。
でも対立と融和は、人間の心の中にも起こっているのかなと思いました。

どうやら負け嫌いの人にとっては、外の人が競争相手、対立相手になることが多そうです。
それだけならまだしも、自分のなかの「何か」が気に入らないと、自分自身さえ対立相手になってしまうことがあります。

こんな自分は嫌だ、こんな能力では嫌だ、こんな性格は嫌だ、こんな気持ちは嫌だ。
そうやって分割できない自分のなかに対立相手を作ってしまったら、とても悲惨なことになります。
嫌いな自分といつも一緒にいなくてはならない。
嫌いな部分があるから、永遠に自分を認めることができない。

この場合の融和とはどういうことでしょう?

嫌いな自分は私の理想(価値観)とは違うけれど、それはまぎれもなくそこにある「事実」。
「イヤ」という感覚はあるし、違和感もあるけれど、しかたなくそのままにしておくしかない。
しかたなく、そこから始めるしかない。

無理やり自分のなかの敵を作り変えようとすることで、もっと苛烈な戦いが起こってくることが予想されます。

あるいは無理やり好きになる必要もないのかもしれません。
本当のところ、それはただの「事実」であって、それ以上でもそれ以下でもない。

私たちはただその「事実」と共存し、淡々と毎日を生きていくしか方法はないのかもしれません。

そのうち、嫌いな私も変化し、私自身の価値観も変化し、知らず知らずのうちに自分自身のなかで融和していくものなのでしょう。

新年早々、抽象的になりましたが、何を言っているのかはおわかりいただけると思います。

それにしても、これ以上、対立や争いのニュース、対立をあおるニュースなどを見たくないと思う年明けです。


福寿草

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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