プカプカ人生

いろいろなかたのお話を聞いていると、時々「なるほど」と、気づかされることがあります。

本日はそのなかのひとつ。
ブログに書くことは、ご本人了解済みです。

Aさんは(女性で主婦)小さい頃喘息で、夏休みの間は毎日、海での水泳教室に通わされました。
彼女は、「家庭環境が不安定だったし、父が煙草を吸うので、そのストレスで喘息になったのでは」とおっしゃっていました。

その水泳教室は、私の常識では考えられないすごいもので、海での遠泳のときなどは、18キロの距離を泳ぐのだそうです。
そして泳ぎながら、栄養補給におにぎりを食べたりしたのだそうです。

現在、Aさんは不安神経症ですが、パニックになっているときは、海の底で酸素ボンベをはずされるようなイメージだそうです。
「泳ぎをやめると沈む」という感覚にずっとつきまとわれています。

ところがその話をAさんが、夫にしたところ、Aさんの夫は「海なんて、プカプカ浮いとけばいいじゃない」と言われたのです。
夫にとっては、海は楽しいところなのです。

Aさんが、妊娠時、ひどいつわりで寝ていなくてはならなかったとき、彼女は「自分が何もできない。役に立たなくなった」と泣くほどでしたが、夫は「寝てていいんだから、自分なら『やった!』と思うけど」と言うのです。

面白いですよね、この考え方の違い。

それでは、Aさんの夫のほうは気楽に生きているかというと、職場では要職にあって、きちんとこなしていらっしゃるそうです。

悩みのなかにある人は、なんだか自分で自分に負荷をかけているようなところがあるんですね。
他の人が、優先順位をつけて、大切なところだけ手際よく片付けているのに、自分は100%を求めて、わざわざ仕事を難しくしているような感じ。
本当はそんなこと、必要ないのに。

わざわざ負荷をかけているので、疲れるし、そのものごと(仕事、家事、勉強)にとりかかるのがおっくうになる。
仕事にとりかかれば、「もっと、もっと」とやりすぎる。
時間もかかるし、精神的にも重くなる。

仕事を終わった後の反省も重くなる。

100%やらないと、何か大変なことが起こりそうな気がするけれど、でも実際はそうでもない。

「こうしなくては本当ではない」「こういう態度でいるべきだ」というような観念に支配されているだけなのですね。
それと、「十分やってすっきりしたい」という気分本位。

海の中、プカプカ浮いていてもいいようなところで、一生懸命足掻いている感じでしょうか?

能力もエネルギーもあるのですから、自分に負荷をかけるところばかりに使わずに、外側のものごとに向けていけば、かなりのことが達成できそうです。

煮詰まってしまったときに、この「海でプカプカ浮いている」イメージが、気持ちを楽にしてくれるのではないでしょうか?


八重桜

一寸先は光

「一寸先は闇」という言葉がありますが、「一寸先は光」という考え方もあります。

(余談ながら、先日この言葉を思いついて、われながら良い言葉を思いついたと思っていたら、すでにいろいろなところで使われている言葉のようです)

さて、不安になりやすい人、心配しやすい人にとって、毎日はとても不安でドキドキするものです。
自分のこれからのこと、周りの人のこれからのことを考えると、いてもたってもいられないほど不安ということもあるものです。

特に新しいことの始まる季節、新しい職場や学校にかわること、何か新しいことに踏み出すこと、本当にこわいことです。
ありとあらゆるこわいことの可能性を考え、それが現実味を帯びてきます。
安心しようとしてネットなどを見ると、かえってたくさんのたいへんな経験談に気が滅入る。
もっと不安でたまらなくなる。

なんとか不安を振り払おうとすると、ますます不安になる。

そんなときは、「一寸先は光」と言葉に出してみましょう。

たとえたいへんなことが予想されようと、本当は先のことは誰にもわからない。
それを先人は「一寸先は闇」と表現したのでしょうが、なにも「闇」と表現しなくとも「光」でもいいわけです。
わからないんですから!

不安や心配は「悲観的予想」で、現実はたいていの場合、予想していたのとは全く違う展開になるものです。

時々、強迫神経症のかたが「楽観的な予測をすると、あとでそれが失敗したり、惨めな結果になったときにショックがますます大きくなるので、初めから悲観的なことを考えておきます。そうすると、いい結果になれば喜びが大きいので」とおっしゃることがあります。

これは一種の「気持ちの操作」ですね。
将来の気持ちの安定のために、今の気持ちをマイナスにしておくという、奇妙なコントロールです。
自分の「気分本位」で考えているだけで、現実のものごとを中心に考えてはいない。

起こってくる出来事は、ただの「事実」で、良いも悪いもない。
「自分がどう対処するか」だけです。
自分にとってショックな出来事も、「学び」にすることができるかもしれない。

あるいは、そこまで考える必要はないかもしれません。

不安で不安でたまらないときは「一寸先は光」と考えてみる。

そして「今、ここ」目の前のことに心を向ける。

私たちの周りにはやるべきことが膨大にあります。
目の前の仕事、学校の勉強、職場での仕事、家事。
ご自分の部屋や家は片付いていますか?

少し手をだしてみる。そして考えて、工夫してみる。

そうするとやがて心は流れて「ものそのもの」になっている。
未来のことは、それが起こってきたときに対処すればいいのです。

大丈夫です。
自分には対処する能力があると信じましょう。
今までがんばって生きてきたんですから。


今年のサクラ

不安や心配でお悩みのかた、ご相談ください お茶の水セラピールーム

決断は後悔をともなう

10日のピアセミナーを終え、若干気が緩んでいます。
セミナーでは、たくさんのかたがたに来ていただき、ありがとうございました。

このセミナーでは、「東洋的一元論と森田療法」そして、森田療法のなかにある逆説的要素について、お話ししました。

単なる治療法としての森田療法というより、そのもっと深いところにあるもの、言ってみれば究極の森田療法みたいなところを話しましたが、理解がむずかしかったかもしれません。
もっとも頭で理解する世界ではないので、「森田療法にはこんな境地があるんだよ」ということを提示しただけですが・・。

さて、話題を変えましょう。

ちょうどそのセミナーの質問の時間に「選択と決断」についてお尋ねになったかたがいました。

以前にも少し決断について書きました。

自分の意志での決断を迫られる場面は、人生で何度もあります。

受験、就職、転職、結婚、離婚 等々。
どうしていいかわからずに迷い、悩み、悶々とするかたも多いと思います。

ここでひとつ押さえておくべきことは、「後悔のない決断はない」ということです。

決断に過剰に悩む人は、もしかしたら「最上の、非の打ちどころのない、リスクのない」結果を求めているのかもしれません。

ところが、どちらを考えてもリスクはいっぱいある。
リスクの少ない方をと考えても、そもそも何かを変えるための決断であれば、必ずリスクを伴うものです。

そのリスクばかり恐れると「行くも地獄、とどまるも地獄」のような心境に陥りがちです。

そんな心境になってしまうのは、もしかしたら「全部がほしい」からなのかもしれません。

こちらを選べば何かを得られるけれど、失うものもある。あちらを選んでも同じ。
つまり、決断はしたいけれど何も失いたくないのです。

「最良の決断」のようなものがどこかにあると思っている。

わかりやすく単純に言えば、結婚だってそうです。
いいことばかりではありません。
独立した大人として、責任を持ち、二人で生活を営んでいく。
一人でいるより、プライバシーがなく、我慢することも多くなります。

では結婚しないという決断はどうでしょう?
自由ですし、自分のお金は全部自分で使えます。束縛もない。
けれど、孤独感もつきまとう。
老後の自分はどうなるのだろうと不安になる。

どっちの決断でもリスクはあります。
決断に迷う人は、責任をとって大人として我慢するのもイヤ、でも時折感じる孤独もイヤ、将来の孤独死などのことも考えてこわい。

何かを選び、決断をするとき、別にどれをとってもいいのです。
ただ、選んだ結果のリスクをしっかり自分で引き受けさえすればいいのです。

そのリスクを負うのがいやで、何かもっとよい道があるのではないか、それを探し続け、迷い続けて、結局人生が停滞する。
停滞しているその「時間」が一番もったいない気がします。


法隆寺1

法隆寺

今年もよろしくお願いします

新しい年になりました。
今年もよろしくお願いします。

戦争もなく大災害もない、平和な年であってほしいですね。

年の初めに何か目標を立てたかたもいらっしゃると思います。
「もう、そんなことしても無駄・・・」と目標を立てることに消極的なかたは、ぜひまた試してみていただきたいものです。

「どうせ三日坊主」と思っても、三日間だけでもやってみたという経験が残ります。
まったく何も試さず、いつもと同じ毎日を過ごすよりいいとは思いませんか。

年間目標を早々にギブアップしても、次は月間目標にすればいい。
いくらでも方法はあるし、まったくなにも試さないよりずっといい。

せっかく年の区切りがあるのですから、利用しない手はありません。

できなかったことを悔やむより、手をつけたことを大事に思う方が前向きですね。

そうそう、先日「間違った決断は、最後まで下されない決断に優る」という言葉に出会いました(ブライアン・トレーシー)。

多分この意味は、失敗してもその経験は残る。でも、何もしないでそのままでいれば、その人の人生は停滞したまま・・・ということなのでしょう。

こういう言葉に出会うと、精神の拮抗作用で、「でもその決断で危険にさらされたら?」なんて反対のことを考えてしまいます。
けれど、日常の生活や仕事などでは、決断しなければ何も変わらず、惰性の毎日や惰性の仕事になる。

ひたすら平穏無事なことや、変化のないことだけを願う傾向の人には耳の痛い言葉かもしれません。

人生には決断も必要。

さぁ、今年はどんな目標を立て、どんな決断をしましょうか?


日の出

心の中の誰か

クリスマスです。

この頃は「クリぼっち」などという言葉が流行り、一人でいることが何かみじめなことのように言われます。

特に若い人たちには、刺さる言葉なのかもしれません。

でも、一人でいることと「孤独」とは、違うような気がします。
人間であれば、誰でも一人になる時間はあるし、それが全くない人のほうがこわいと思います。

人間には心の中に誰かを棲ませる能力というものがあり、自分のイメージの中に誰かがいれば、そこまで寂しいことはない。

よく映画や小説に、今そばにはいない誰かのためにがんばるというストーリーが出てきます。

そんなふうに、逆境のとき、気持ちが落ち込んだときに、自分を信頼してくれる誰かを思って癒されるということもあるでしょう。

それはたとえば、もう亡くなってしまった人であるかもしれません。
遠いところにいる誰かかもしれません。
昔自分を信頼して、励ましてくれた教師かもしれない。
もしかしたら、身近な人ではなく、自分の尊敬するアーティストということもあるでしょう。
信じている宗教の神かもしれません。

どんな存在でも、心のなかに自分を信頼してくれる(であろう)誰かを棲まわせることは、私たちを内側から強くしてくれます。

それは、誰かを「愛する」ということの、ひとつの形なのだと思います。


クリスマスツリー
 
恵比寿ガーデンプレイス

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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