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「毒親の正体」

クライエントさんから、その親御さんのお話を伺っていると、時々、「このお母さん(お父さん)は、なぜ子どもに対してこんなに妙なことをするんだろう」と思うことがあります。

当然ながら、子どもであるクライエントさんは混乱し、「もしかしたら自分が悪いのではないか」と思ったりします。
そういうかたたちは、なぜか親のことが心配で家を出られなかったり、親のことが頭にこびりついて次の人間関係に向き合えなかったりします。

親から離れられた人は、それはそれでいいのですが、頭のなかに親とのことが解決もせず残っていたりするものです。

そんなふうに子どもを混乱させる親は「毒親」であると定義することが一般に広がり、認められてきたことで、子どもは「自分が悪いわけではなかった」と安心できるようになってきた、というのが昨今の流れです。

でも「では、なぜ親は自分に対してそのような扱いをしたのだろう?」という疑問は残ったまま、距離はとれるようになっても釈然としないまま、という人も多いのが事実です。

そんな人に答えを提供してくれそうなのが、この本です。

『毒親の正体』水島広子著 (新潮新書)
精神科医の立場から、「毒親」の「精神医学的事情」を説明しています。

この本で特筆すべきは「毒親」が「毒親」になる事情を次の四つのパターンに整理し、そこからその詳細や対処について述べていることです。
(親が)
1 発達障害タイプ(ASDとADHD)
2 不安定な愛着スタイル(不安型と回避型)
3 うつ病などの臨床的疾患(トラウマ関連障害、アルコール依存症)
4 DVなどの環境問題(深刻な嫁姑問題、育児に対する心の準備不足なども)

考えてみればたとえ自立し、結婚で親から離れられたとしても、親に対する疑問は、何らかの形で(たとえば自己肯定感のなさ、人間関係に対する不安)子どもに残っていくものです。
つまり物理的に自立しても、精神的な自立は果たせないままということです。

カウンセリングでも実感するのですが、そういう親も人間であり、それぞれの事情があったのだと心の底から理解・納得することは、子の立場の人が親からの「精神的自立」を果たすために必須のことです。
そこで初めて、親と対等な人間になれるのだと思います。

「心の底から」と書いたのは、この作業を「こうでなければならない」と、頭のなかだけで進めようとしてしまいがちな人もいるからです。
「心の底からの納得」と「知識での納得」とは違います。
そういう方向性がわかっていれば、その時は自ずからやってくるものです。

この本では、順を追って、その理解のプロセスが書かれています。

ご自身の親を「毒親」と思っている人、ご自身が子どもから「毒親」認定されてしまった人、一度手にとってみられると参考になると思います。


 
親子関係で悩んでいるかた、ご相談ください お茶の水セラピールーム

親という役割

親との問題、子の悩みでご相談にいらっしゃるかたはたくさんいます。

世界で一番近い人間関係。
それでいて、子が順調に成長するならば、どこかで遠くなっていくべき人間関係。
それはある意味、世界で一番難しい人間関係かもしれません。

よく言われていることですが、日本では(あるいは東アジア圏かもしれません)、親と子の関係が密な割には、夫と妻の関係がそれほど密ではない。
そのあたりから、子の自立に問題が出てくるのだとも言われます。

夫婦関係が破たんしているのだったら、さっさと離婚するとか、シングルになったらすぐに次の相手を探すとかしていたら(そしてそれが社会通念上、あたりまえのことであったなら)あるいは「ひきこもり」の問題も、もっと少なくなっているのかもしれません。

子が親を断念することで、自立できるからです。
もちろん、そういう社会では、子どもの側に出てくる問題がないわけでもなく、また違ったものになるのでしょう。

とにかく、現代の日本社会では、子どもの問題で悩んでいない家庭、悩んだことのない家庭のほうが少ないかもしれません。

父親がいなかったり、いても家庭のことは母にまかせっきりだったりする場合、母は子のことがあるいは自分の責任ではないかと悩み、ますます子への関心を深めていきます。

「存在しない父」の責任も大きいのですが。

ごく当たり前のことですが、生まれてきた子は全面的に親の保護下にあります。
きちんとケアしないと、生きていることすら危うくなる。
そのときには、親は懸命に子を保護しサポートします。

親という役割の難しさは、子が成長するにつれ、そのサポートの手を少しずつ緩めて相手の能力にまかせる必要があることです。

相手が頼りないといつまでもサポートしてしまう。
そうすると、相手も都合よくこちらに寄りかかる。
そういうことも起こってきます。

人間は関係性で変わる生き物なのです。

しかし一般論でこう言っても、それはしょせん「他人」の言うことで、本人たちの身になって考えると、そこにはいろいろ複雑なものがあります。

子への情愛とか、経済的な問題、子の資質、それまでの親子の歴史、また親自身の家族歴なども複雑にからみあっています。
(そしてもちろん、子に障害や病気があった場合、サポートが必要になってきます)

「そうは言われても・・・」とおっしゃるかたが多いと思います。
言葉だけ言われてあてはめられても、「でも・・」と感じる方が多いはず。

そういう複雑微妙なところもあるのは当然なことです。

ただ、踏まえておかなくてはならない大原則は「他人は変えられない」ということ。
当たり前のことですが、相手をなんとかしようと奔走している親御さんが多いような気がします。

しかし自分は変わることができる。
そして自分が変わると、関係性が変わる。
関係性が変わると何かが変わる。

時間がかかることですが、そんなことを気持ちのなかにとめて行動していくことで、変化していくことができる。
実際、そうやって家族関係が変化したかたはたくさんいらっしゃいます。

自分がコントロールできないものは手放し、コントロールできるものに注力する。
それはどんな場合でも、大切な考え方ですね。



色紙2

書をたしなむかたの作品。言葉は鈴木秀子シスターのものです。「子どもを変えようとするかわりに、親が自分自身に気づくほうが、ずっと大きな実りにつながっていきます。そして親であるあなたは、いまそれができるのです」

親子の問題でお悩みのかた、ぜひご相談ください。お茶の水セラピールーム

無力感

いろいろなことで困難な状況にいるかたが、そのことを相談にいらっしゃいます。

職場、家庭などで周囲の人から圧迫されている。
周囲のおしつけてくるタスクや状況がひどい。

こういうことでお悩みのかたが多いように思います。

そのかたに、「では、その困った状況について周りのかたに言ってみたことはあるのですか?」とか「思っていることを相手に表現したことはありますか?」というと、「ない」というかたが多い。

「あの人には言っても無駄です」
「かえってもっとひどいことになります」
「会社の相談室に言ってもきっと無駄でしょうね」
「誰も自分の言うことなどきいてくれないと思います」

そんなふうにおっしゃいます。

「そんなこわいことをするなら、むしろ現状維持のほうがマシ」ということなのでしょう。

そういう言葉から感じられるのは、強い「無力感」です。

こういう「無力感」を抱きながら生活していらっしゃるかたは多いような気がします。

こういうふうに生きていると、その方の周りの現実は動かない。
何か突然ラッキーな出来事や変化があって、苦しい状況が打開できることもあるでしょう。
でもそれはたまたまであって、自分がしたことではない。

突然大きな話になりますが、日本人ってこういう無力感をもって生活している人が多いように思います。
昔から「見ざる、聞かざる、言わざる」のような伝統的な考え方もありますし。
逆に積極的に見たり、聞いたり、言ったりすると「攻撃」ととられるような雰囲気もまだあるのかもしれません。

だからこそ、長時間労働や有給休暇がとりにくいことなど、皆おかしいと思いながら「誰かがなんとかしてくれるだろう」的にやり過ごしてしまうのかもしれません。
それでブラックな労働環境は一向に改善されない。
「自分がなんとかしよう」ではなく「国がなんとかしてくれるだろう」という姿勢なのでしょうか。

そこにあるのは「我慢」です。
あるいは「あきらめ」かもしれません。

そして我慢して身体をすり減らして働いていく。
あるいは、誰かのやることがおかしいと思いながら、じっと耐えていくと、自分の奥に「怒り」が生まれてきます。

その「怒り」が自分に向くと「うつ」ということになります。
怒りを外に出す人は、自分よりあきらかに弱い人に八つ当たりします。

根本的な解決にはほど遠い。

そんな状況でいるより「逃げる」ほうがベターですが、それもまたできない人が多い。

たとえば幼少期から「ダメ、ダメ」ばかり言われてきて、自分の欲求をきいてもらえないと、こういう無力感を抱きやすいのかもしれません。
(逆に言えば、自分の言うことをなんでも聞いてもらえたという人は「万能感」を持つようになるのでしょう)
あるいは周囲の環境があまりに困難だったため、自分から欲求を出すことをあきらめる場合もあるでしょう。

自分がそんな袋小路に行きあたっていると気づいたときには、簡単なことから表現してみる。
自分の欲求を、ほんの少しでも言ってみる。

結果がどうなるかはわかりません。
(結果は自分のコントロールの範囲ではありませんから)
でも、結果がどうであろうと、「言えた」ということは大きな一歩です。

それは自分のなかに眠っていた「欲求」を確認するチャンスでもある。
ほんの少しでも「表現」することで、自分と外界との壁に風が通るかもしれません。


秋の花1

ACミーティング最終回

3月25日(金)のACミーティングで、今の形式のACミーティングはひとまず終了させていただきます。

2年間、「ACとは何か」「家族のなかの暴力」「境界線について」「依存症について」「アルコール依存」「回復について」などをレクチャーし、参加者との交流を行ってきました。
現代社会で必要でありながらあまり知識として知られていない家族問題、依存症の問題などを知ってほしいという思いから、始めたグループです。
毎回使う資料は、いろいろな書物を参考にしながら、オリジナルで作成したもの。
1クール目、2クール目は同じスケジュールですが、レジュメを作成し直したりする部分もありました。

「アルコール依存症」については、依存症中間施設に勤務経験があるセラピストの大杉さんにレクチャーをお願いしました。
素晴らしい資料を作成していただきました。

本当は土曜日の昼の時間に開催したほうが、たくさんのかたに来ていただけたと思うのですが、土曜日はカウンセリングのほうで忙しく、やむなく金曜日の夜という時間設定になり、いらっしゃれないかたも多かったかもしれません。
でも、ひとまず役目は果たしたかと思い、2クール目で終わりにします。

私には今まで、会合とか勉強会とかは、なんとなく「続けることがいいことだ」という観念がありました。でも、佐藤優氏(今を時めく人ですね)の下の言葉を読んで、なるほど終わらせることもまた大切なことなのかと気が付きました。

「異業種勉強会や趣味の会を立ち上げるときも、まず会をいつ終了させるかについて決めておくことが大切である。一旦できあがった組織は、必ず組織自体が生き残ろうとする本能を持つ。会を立ち上げるときに、解散について決めておかないと、組織の生き残り本能に翻弄されて、本来の目的以外のところで、大きなエネルギーを消費するようなことになる。この場合、解散については、目的が達成されたときと、一定の時間が経過したときの双方について、とりあえず合意しておく必要がある」(野蛮人のテーブルマナー)

まぁ、そんな大げさなことでもないのですが、今までACグループを運営してきたエネルギーが余れば、また別の新しい企画もできるかと思っております。

ACグループの最終回は、3月25日(金)夜6時半から。今回のテーマは「回復について」です。
内容は私のオリジナル。

ACの回復に、森田療法の考え方がどのように役に立つか、私の現在思っているところをお話しし、皆さまとの体験交流をいたします。
ACのかただけでなく、森田療法に興味のあるかたのご参加も歓迎いたします。

詳細は右をクリックし、お茶の水セラピールームのHPをご覧ください。お茶の水セラピールーム


新宿NSビル

ホワイト・オランダ―

「最後の瞬間まで、母親は人生すべてで出会った人間のなかで、もっとも狂っている女、もっとも予測不能な女にとどまり続けるのでしょう。」
これはマルグリット・デュラスの言葉です。(「私はなぜ書くのか」より)

母親をそういうふうに感じる人もいれば、この言葉がまったくピンとこないかたもいるでしょう。

この頃、「毒親」などという言葉も流行っています。
きっと自分の親でさえなければ、その人は毒でもなく、ごく普通の人だったのかもしれません。
親と子という、あまりに近すぎる関係は、ごく普通の人の持ち味も「毒」に変えてしまうのでしょうか。

ジャネット・フィッチ(Janet Fitch)の小説 「White Oleander(邦題「扉」)」 には、文字通り「毒母」が出てきます。
これは「ホワイト・オランダ―」というタイトルで映画化されてもいます。ちょっと古い映画ですが。
ミシェル・ファイファーが美しい毒母を演じ、心優しい継母をレ二・セルヴィガーが演じています。

タイトルの「オランダ―」というのは「夾竹桃」のこと。
夾竹桃は、戦後原爆の落ちた広島の焼け野原に最初に生えた植物とか・・・。
強い生命力と、猛毒とをなかに潜ませた花です。

主人公アストリッドの母は詩人(映画では芸術家)。
強靭な自己愛を持ち、自分を捨てた恋人を夾竹桃の毒で殺します。
そして彼女はまだ12歳のアストリッドを残し、刑務所に収監されます。
アストリッドは、里親を転々としますが、母は刑務所のなかからも彼女を支配し、娘の愛を得た継母を言葉の毒で殺してしまいます。
その強烈な母を、ティーンエイジャ―のアストリッドがどのように乗り越え、成長していくかの物語です。

ただの自立とか、愛憎とかの物語として単純にまとめるだけではなく、いかに母と子という絆が複雑で切りがたいものか、そんな微妙なところも小説は「ブンガク的に」深く書き込んでいます。

そう、親に対する感情というものは、憎しみもあり愛もありながら、そんなふうに言葉で定義しきれない無限に複雑で微妙なものかもしれないと思います。

私たちは「自分がこうなったのは親の責任」とか「毒親」とか決めつけるだけではなく、人生のそれぞれの時期で親と関わりながら、そこで感じる微妙な思いを、ただ受け止める。
そして、その思いが変化するままにまかせる。
親への接し方とはそういうことでしかないのかなと、考えたりもするのです。



  

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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