子どもの人間関係のコツ?

先日、電車のなかで、向かいの席に男の子に本を読ませているお母さんがいました。
子どもが本の中の字を「これ、なんて読むの?」とお母さんに聞いています。
多分、小学校一年か二年ぐらいの子でしょうか。

で、本の表紙が見えて、それでびっくり!
デカデカと「人間関係」という字が・・・。

子どもの本としては予期しないタイトルだったので、その親子に目がクギ付けになりました。
つまりどうもそれは、子どものための対人関係マニュアルの本らしいのです。

子どものためにそんな本が出ているんですね!
私が世の中から遅れているのでしょうか。

それで家に帰って早速Amazonで検索してみました。
それらしき本が見つかりました。
タイトルは「12歳までに身につけたい人間関係のコツ」。

かなりのベストセラーになっているようです。

考えてみれば、(私の世代は)学校で「人間関係」についてなんて教わっていません。
もしかしたら他の世代もそうかもしれません。
ただ抽象的に「人に親切にしましょう」とか「助けの要る人には優しく」とか、そんな感じではなかったでしょうか。

ちなみに言えば、学校って本当に社会で必要なことは、あまり教えてくれなかったような・・。
(今は違っていたらごめんなさい)

家事のやり方は習うけれど、家計をどう切り盛りしていくかとか、お金の使い方とか、世の中にはお金に関して詐欺めいたことがはびこっているとか、そういうことは習わなかった。
海外では株の運用のしかたとか、教わる国もあるそうですね。

人前で発表はさせられるけれど、どうしたら他の人にアピールするかとか、話のポイントの置き方とか、発声とかの練習もなかったような・・・。
アメリカではここらあたりは、かなり徹底的に教わるようです。

しかし、「人間関係」・・・・

ふと、小学生が「傾聴」しているイメージが浮かんできてしまいました。
相手の様子をじっと見て「そう、そうだったんだねぇ」とうなづくイメージ(笑)。
子どもらしくない!

しかし、子どもの頃から人間関係のコツを教わると人生が少し違った方向に行ったかもしれない。
「小さい時に教わりたかった」という人もいるかもしれません。
あるいは、あまりに早い頃にそんなことを教わると、表面的な社交ばかりうまい人間になってしまうかもしれない。

よく子供向けの学習サイトなどを見ると、昔学習していたことが、すごくわかりやすく理解できることがありますが、大人にとってもそんな効果があるかもしれません。

もしかしたらこのお母さんは、自分が学校でいじめにあったから、子どもには人間関係のコツを身につけさせて、それを回避したいのかもしれない。
不登校にならないようにさせたいのかもしれません。

その親子を見ながら、もう頭のなかにはいろいろなことが湧いてきました。
やがてその親子は降りていきましたが・・。

とにかく本を読まないうえでの感想なので、ご了承ください。
以下がその本です。


対人恐怖のいろいろ

日本人に多いと言われている「対人恐怖」、現在では欧米の診断基準に合わせて「社会不安障害」とも呼ばれます。
ひとくちに対人恐怖といっても、いろいろな種類があります。

グループのなかでうまく話せないと悩む「雑談恐怖」。
一対一の関係でも、最初に会ったときはこだわりなく話せるのに、回を重ねるにつれ、だんだん緊張感が増してくる人。
これは「見知られることの恐怖」です。
結果的に社交の場から引っ込んでしまいます。

たくさんの人の前で話すときに恐怖を感じるのは「衆前恐怖」と言われます。
スピーチや朝礼、会議の席のプレゼンが死ぬほどこわい。
そのときに声が震える、原稿を持つ手が震えるなどのことにとらわれることもあります。
目の前の人たちが自分の緊張感を察知してしまうのではないかと不安なのです。
極力、そういう機会を避ける。
そのために出世を見送ることさえあります。

身体のことにこだわる対人恐怖もあります。
自分の視線がきつすぎて、他人を傷つけていると思う「視線恐怖」。
これはむしろ他人の視線がこわいというより、自分の視線が害を与えているという恐怖です。
このなかには「横目恐怖」なども含まれています。

自分の顔が赤くなることに恐怖を感じる「赤面恐怖」。
これは欧米でも古くからある種類の対人恐怖です。

「醜貌恐怖」というものもあります。
これは今の時代、若い世代には多いようです。
美容整形が簡単にできるようになったということもあり、整形を繰り返す人もいます。
どこかひとつ整形しておさまるならいいのですが、どういじっても自分の顔に満足できないのです。

自分の身体の匂いが他人に迷惑をかけていると思い込む「体臭恐怖」「口臭恐怖」もあります。
お医者様に「絶対、匂っていない」と言われても、それが信じられない。
結果、電車のなか、教室など人が密集するところには行けなくなります。
また、静かな場でお腹がゴロゴロと鳴ることの恐怖、放屁してしまうことの恐怖を訴えるかたもいます。

「場」にこだわるかたもいます。
他人との会食がこわい。自分のマナーに不安を感じたり、「嘔吐恐怖」を伴うことがあります。

身体に直接現れるものもあります。
吃音恐怖、書痙、発汗恐怖などです。

これらは、人のいないところでは苦しくないし、震えたり吃ったりもないので、やはり対人恐怖の一種です。

こうして書いてみると、本当にいろいろな種類の対人恐怖があります。
ベースには深い不安がありますが、その不安は「自分はこのままでは他人に受け入れてもらえない」「嫌われてしまう」という自信のなさから生まれてきます。

でも、自信がないだけなら、対人恐怖にはなりません。
「自分はダメだ」と思えばいろいろなことから逃げて消極的に生きればいいのですから。
けれどそこにおさまっていられないから、葛藤が生まれ、対人恐怖になるのです。

対人恐怖の裏には必ず「このままではいたくない」「なんとか人に認められたい」という、強い願望があります。
対人欲求ということもできます。
この欲求に自分で気づいていないことも多いのですが。

対人恐怖からの回復には、自分の強い欲求をバネにしていく必要があります。
自分の主観にとらわれた迷妄状態にいるときは、言葉で自分を納得させることはなかなかむずかしい。
やはり欲求に向かって現実に踏み出すこと(踏みとどまること)が克服への道なのです。


5月のバラ

対人恐怖でお悩みのかた、ご相談ください。電話・日記での相談もあります。
お茶の水セラピールーム

対人恐怖について その2

引き続き、対人恐怖について。

神経症を森田式に分類すると、三種類に分かれます。これは現在世界で使われている診断基準DSM5やICD10とは違う分類です。
つまり、不安神経症、普通神経症(身体のことが気になる神経症)、強迫神経症です。
対人恐怖は強迫神経症のなかに入りますが、対人恐怖のかたと、何かひとつのことにとらわれる強迫タイプのかたとは、ちょっと違った感じがします。
(もちろん、すべての症状の根に「強迫性」というものがありますので、いろいろな症状を兼ね備えているかたもいます。)

どこが違うかというと、それは多分、他の症状のかたは問題が対人的なことではないので、社会的な部分、社交的な部分の経験が豊富ということころでしょうか。

その経験の質はまた別問題ですが、とにかく対人恐怖のかたは対人関係に恐怖を持っているわけですから、やはり社会的なことから逃げていて経験が少ないと言えると思います。

そして、これは全部のかたとは言いませんが、対人恐怖のかたは自立していないことが多い。つまり社会との接点が少ない分、親に依存していることが多いのです。その依存のしかたも、ただの依存から、反発するという形での依存といろいろな形をとります。

ここは面白いところなのですが、AC的な人は大抵、社会的な関係性は良好でも、親密な関係で問題が出る(つまり恋愛や結婚がうまくいかない)のですが、対人恐怖の人は、社会的な関係は苦手でも、結婚すると意外にうまくいくかたが多いようです。

さて、対人恐怖のかたに共通の面白い傾向があります。
それは「おとなしい」と評されると、激しく反応することです。
私は別に自分のことを「おとなしい」と言われても「そうなのね」と思うくらいですが、対人のかたは「絶対にいや」なのだそうです。

つまり、社会的な自分のあり方の理想像が、とても特異なのですね。
それも不思議なほど皆が同じ理想像をもっているのです。

活発で、明るくて、話がうまく、皆の中心的存在で、冗談がうまく、リーダーシップがとれる。そんな感じでしょうか。
大抵の場合、対人恐怖的なときとは全く正反対の理想像です。
どうしてそういう人になりたいのでしょうか?

そういう人でなければ、他人の尊敬や愛情は得られないと思っているのでしょうか?

普通、人が信頼を置くのは、物静かで、人の話を聞き、それでいて肝心なときには自分の意見をしっかり言える人なのではないでしょうか。

対人恐怖的理想像を追いかけて、話し方教室などに通い、たまたま自分が理想に近づけたと思ってしまうと悲惨なことになります。

話すのは上手かもしれませんが、人の話を聞かず、うるさくて、周りをよく見ない。
それでいて負け嫌いなので、ちょっとでもプライドを傷つけられると、相手に逆襲する。
そんな人になりかねません。

対人恐怖者が理想的とする人間像になれたとしても、それでなおかつ人に好かれるには、経験の蓄積がものを言うのです。

対人恐怖の人は、経験が少ないぶん、対人関係の基礎から学んでいく必要があるかもしれない。
けれどその努力をすれば、なんとなく自分流に対人関係を学んできた人よりも、ずっと洗練された対人関係を持てるかもしれません。

そのために、お勧めしたいのが、故・長谷川洋三先生の「森田式精神健康法」という本のなかの「対人関係の根本問題」という章です。
もちろん長谷川先生は、生活の発見会の元会長、創始者といっていいかたです。

この本は、実はもう絶版です。
この部分だけでもコピーして対人恐怖のかたにお渡ししたいくらいですが、なにせこの章は長くて、コピーが容易ではありません。著作権の問題もありますし。

人間関係で本当に基本的な「挨拶をする」「人の話を聞く」「相手を尊重する」などのこと、当たり前と思われるかもしれませんが、意外とできていないことが多いかもしれませんね。

そしてもっとも基本的なことは、対人関係にばかり気をとられすぎず、自分が何をするべきか、何をしたいのかを把握していくことだと思います。


対人恐怖について

日本人に多いと言われる対人恐怖。
対人恐怖や対人不安を抱えて悩んでいらっしゃるかたも多いことと思います。

森田療法はときには対人恐怖のための治療法とも言われます。
けれど対人恐怖のかたに対応するのは、とてもむずかしいという感じがあります。
これは、個人的な感じというだけでもなく、とある高名な治療者のかたが「対人恐怖が治せるようになったら一人前」と言われたことでもわかります。

これを聞くと強迫神経症のかたなどは、自分たちのほうがたいへん、と思われるかもしれません。
でも、強迫のかたのほうがすっきりと症状は消えるのです。
治療やカウンセリングに通い続けることもできる。

ですから対人恐怖のかたでも、「視線」とか「赤面」とか、ひとつのことに集中しているかたのほうが楽になるのは早いようです。
たいへんなのは、「友達ができない」とか「雑談のなかに入れない」とか訴えるかたがたです。

たいへんな要因はたくさんありますが、ひとつには人に対して批判的で、なかなか相手を信頼できない、というところ。
つまり、カウンセリングや治療が続かないことが多い。
相手を信頼して、通い続けるということがむずかしいのです。

これに関して、ひとつ興味深く思うことがあります。
神経質のかたの自助・学習グループの「生活の発見会」のなかには、強迫神経症のグループや不安神経症のグループはありますが、たくさんいるはずの「対人恐怖」のグループができない。
当たり前ではないかと言われる人がいるかもしれませんが、特徴的です。

また対応する側も判断を誤ることがあります。
これは森田療法での対応に関してですが、妙な言い方をすれば、相手の訴えの切迫感に押されて、つい「対人恐怖」をなんとかしようとしてしまう。
森田療法的アプローチとしては(あるいは個人でなんとかしようと思っているかたにとっても)これは違うということはご理解いただけると思います。

大事なのは対人恐怖をなくすことではない。
それを持ちながら、自分のやりたいことをやっていくことです。

森田療法では「欲望」に目を向けると言いますが、症状真っ最中のかたは、そこから脱することが「欲望」だと思っている。

そして対人恐怖の方に「症状がなくなったら、何をしたいですか?」と尋ねると、「人と仲良くして、皆の輪のなかに入りたい」とおっしゃいます。
当然のことですが、では何のために人と仲良くしたいの?というところはわからないかたが多い。

実は森田療法的な欲望探しは、非常にむずかしい側面があるのです。
輪郭がぼんやりとした欲求を、はっきりとさせていくのが、森田療法的なアプローチなのですが、対人恐怖のかたの欲求は、なかなか地に足がつかない。

人のなかで活躍したい、皆の人気者になりたい、華やかな存在でいたい。
具体的な社会的役割や仕事、勉学というほうに気持ちが向かないことが多いのです。

端的に言いましょう。森田療法の基本中の基本です。
仕事や学問ができていれば、対人恐怖があってもいいのです。

こういうことを考えると、必ず思い出すかたがいます。
以前、高良武久先生の森田療法施設として下落合にあった高良興生院に、丸山氏という作業療法士さんがいました。
私は取材などで時々しか行きませんでしたが、丸山氏は元対人恐怖と聞きました。(多分そうだと思います)
彼は、入院生の作業指導をしているのですが、無駄口をきかない、愛想はない。
とても静かな、どちらかというと、目立たない人です。
でも、自分の仕事をきっちりするというところで、存在感がありました。
(私は偉い人と言われる人より、こういう目立たないところで光っている人のほうが好きです)
「対人恐怖」の治り方としては理想的ではないかとさえ思ってしまいました。

でも、ここまでになるのはなかなかむずかしい。(高良興生院での指導はさすがだと思います)

私も、セラピストとして神経症のかたたちが、カウンセリングに通い続けてくれるように、もっと楽な世界観を持ってもらえるように、精進したいと思います。

対人恐怖については、まだまだ書きたいこともありますので、またそのうちに。


バラ2

人がこわい

ひとくちに対人恐怖といっても、いろいろなかたがいます。
森田神経質の対人恐怖のかたも、人がこわいのですが、また違う意味で人がこわいかたがいます。

多分、診断的にはひとくくりで「対人恐怖」と名付けられてしまうのかもしれません。
しかし森田神経質の「対人恐怖」は、人にプライドを傷つけられる恐怖です。
仲間外れにされる恐怖です。

そういう恐怖ではなく、何か本能的に人がこわい人がいると思います。
もっと直接的な、相手がどのような人でも感じる恐怖。
暴力的に相手に侵入される恐怖と言ってもいいかもしれません。

特に女性にこわさを感じるとか、特に年上の男性に感じるとか、そんな恐怖もあります。

それは多分、過去の経験によって出来上がったものなのかもしれません。

暴力的な家庭で育った。
あるいは日常的に暴力的な場面を見て育った。
日常的に、暴言にさらされて育った。
家族(親)との愛着に問題があった。
トラウマ的な体験をした。

こういう恐怖は言葉では説明できません。
あるいは自分が恐怖を感じていることすら自覚しないことがあります。

これにひきかえ、対人恐怖の場合は、なんとなく言葉で説明できそうな気がする。
「自分がこうなれたらいいのに」とか「こんなことがあるからいやだ」とか。
自分のこわさが説明できるし、その「こわさ」は自分が欠点と思うひとつのことに集約されてたとえば「視線恐怖」とか「赤面恐怖」とか「手が震える」とかいうことになります。

本能的に人がこわい場合、それは理屈や言葉を越えている部分なので、自分で自分を持て余してしまうようなことになりがちです。

もう一歩のところで親しくなれそうだけれど、こわくて逃げる。

これは神経質的対人恐怖のかたにもあります。
ただ、その場合は「見知られる恐怖」つまり自分の正体がばれてしまう恐怖です。

もっと違いを言えば、神経質的対人恐怖のかたは、むしろ親密な関係では対人恐怖は出ない。
家族のことはまったくこわくなかったり、結婚してしまえば親密な関係を維持できます。

トラウマ的な対人恐怖のかたは、親密になればなるほど、つまり物理的な距離が近づくほどこわくなります。
あるいはそこで問題が露呈したりします。

今まで社会ではうまく振舞っていたのに、親密な関係を築くことができない。
養育環境の影響で、周りの空気を読むことがうまくて、集団ではそつなく振舞うことができる。
しかし、人に本当に近づくのがこわい。
そういう人もいます。

ひとくちに「対人恐怖」と言っても、中身は違うのです。
もちろんのことながら、対処のしかたも違います。

社会で生きていくうえで人がこわいと感じるのは、辛いことだし、たいへんなことです。
ただ、今現在の自分の持っている「恐怖」を認め、そしてその怖さがどこからきているのか知ることは、克服の第一歩になることでしょう。

自分はただ気が小さいだけではない。
恐怖には理由も原因もあり、自分の責任ではないという安心感にもなるのです。


樹氷


対人恐怖でお悩みのかた、ご相談受け付けております。 お茶の水セラピールーム
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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