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高知再訪

気がついたら、ずいぶんブログの更新を怠っていました。

別に具合が悪かったわけでも、特別忙しかったわけでもありません。
他のことに気をとられていたんでしょう。

それで本日は近況報告。

実は、この11月に今年二回目の高知市訪問をいたしました。
没後80年の事業の一環でしょうか、高知市で専門家のための森田療法セミナーがあり、その講師として行ってきました。

今年は高知に呼ばれているようです。

その時に会場の受付などをしてくださったのが、「森田正馬生家保存を願う会」の池本代表、そしてご親族の森田敬子さんでした。

あまりお話をする時間はなかったのですが、帰り道、送っていただく途中の車中で、森田さんから、森田家の墓地が新しくなった経緯を聞きました。
(墓地のことについては、この夏の没後80年行事のところに書きました)

最初は墓地を新しくする予定などなかったのですが、墓地の隣に三宝山トンネルができることになったのが、始まりだったそうです。

トンネル工事のために墓石にひびが入りました。
それで、調べてみたら、古いお墓のなかが水びたしになっていたそうです。
それでお墓を新しくせざるを得なくなったということです。

その際に森田一家の古い祖先の苔むした墓は整理し、お骨は納骨堂にひとつにまとめたそうです。
この納骨堂は塔のような形で、正馬のお墓の両脇にあったような気がします。

そしてお墓は正馬一家のものだけにしたとか。
つまり正馬の父母、兄弟、正一郎、久亥のものですね。
いろいろと大変だったのですね。

もう一つ個人的なことを尋ねてしまいました。
「20代の頃、森田先生のお墓に来て、お墓の前の樹から実をとってもらって、食べた覚えがあるのですが・・」そう言うと、「それは、ヤマモモの樹でしょう」という答え。
周辺にあった樹木は、地盤土壌の関係で撤去したそうです。

お話を聞いていて思ったのですが、こうやって全国から皆がお参りに来るお墓をきれいにしておくというのは、きっと大変なことだと思います。

多分親族である森田家のかたがたが負担なさるのですよね。
公費で出るはずもありませんし。

きっと森田の生家保存も今まで苦労が多かったと思います。
まだ文化財になっていないようですし、香南市の補助はどのくらいあるのでしょう。

日本は今、観光ブームで、伝統のあるものを売りにしていますが、こういう古い家や街並みなどを保存する努力をあまりしていないように感じられます。
耐震という大問題があるのはわかっていますが。

つまり、保存に寄与する財源が乏しかったり、それを活用する努力が少なかったり・・。

保存に熱心なのは、本当に一部の有名な人の残したものだけ。
高知でいえば、龍馬一辺倒。

そうそう、思い出してしまいましたが、以前、森田療法保存会で事務をしていたときに、お役所に、「森田正馬の診療所跡に碑を建ててほしいのですが、どのように申請・依頼をするのでしょうか?」と聞いたことがあります。

ところが、その段階でもう、「碑を建てたりするのは、歴史上有名な人に限らせていただいております」という返事がきてしまいました。

知らないのね。

それにしても、樋口一葉や、石川啄木の碑などは、そこらあたりにあるのですが、なぜ文学者だけ?という気もするのです。
文学者のほうが大切?

話があちこち行ってしまいました。
とにかく、古いものを新しい社会に活用するという努力はしていきたいですね。

高知では、次の日にまったりと、龍馬記念館から海を眺めておりました。


高知の海

野生の生き物

本日は、とりとめのない話を。

私はそれほど、旅行家ではないけれど、旅はいつも心躍るものです。
今まで、いろいろな人や景色や物に出会ってきました。

そのなかで、今でもありありと覚えている情景。

もうはるか昔、宮崎県の都井岬に行ったときのことです。
岬の遊歩道を歩いていたら、向こうからごく普通にゆっくりと馬が歩いてくる。

私は都会で育ったので、日常、犬猫以外の動物と出会ったことはありません。
飼われている動物なら会ったことはありますが、道を歩いていて、向こうから裸馬が歩いてくるなんて、私にとっては想像を越える体験でした。

ショックを受けている私などにおかまいなく、小さな馬は悠々と歩いて、私たち(友人もいたと思う)とすれ違っていきました。

ご存知と思いますが、都井岬は野生の馬がいることで有名です。
でもまさか道を歩いているとは思わなかった。

記憶力のない私が今でも覚えているということは、よほど感動したのでしょう。

そういえば、やはり若い頃カナダへ行ったとき、いろいろ美しい景色は見たけれど、くっきりと覚えているのは、夜を走るバスの窓から、ライトに浮かび上がった鹿の姿が見えたことでした。
カナダに来たんだ・・・という実感がわいてきました。

映画「スタンド・バイ・ミー」でも、少年の1人が森の奥で一頭の鹿に出会って、感動する場面がありました。
あの気持ち、わかります。

奈良の鹿には感動しないのに、不思議です。

カナダでは、遠くからでしたが、バッファローの群れを見ることもできました。これも迫力でした。

かといって、別に動物が好き、動物園が好きというわけでもありません。
ただ、動物園で一度感動したのは、夕刻に園の奥のほうから虎の咆哮が聞こえてきたとき。
地面が振動するような重低音の咆哮は、「さすが」でした。

もちろん密林で聞きたくはない。もしこんな咆哮が聞こえてきたら腰が抜けるほど恐ろしいでしょうね。

こう書いてみると、私はどうもただ「動物と出会う」というだけでなく、飼いならされていない、保護されていない、野生の動物との出会いに感動やショックを受けるようです。

先日のイギリス旅行でも、大学のキャンパスに当たり前のようにリスやウサギがはねているのがうれしかった。

都会の生活はあまりにも自然と離れているけれど、野生の動物と出会ったときに、私たちの遺伝子のなかに太古から潜む野生が呼び起こされるのでしょうか?

野生の動物と出会ったときの感覚は、どう説明しようとしても言葉や論理などを超えています。

あ、もちろん熊や狼はいやですよ。
出合ったときが最後のときになりますものね。



風見

北のまほろば

先般、夏休みをとって青森に旅行しました。

「北のまほろば」(「街道をゆく41」 司馬遼太郎)をバッグに入れていきました。
これは「街道をゆく」シリーズのなかでも、青森の旅をとりあげて書いた巻。
(ちなみにこの本は1995年刊行で、まだ3・11が起こっていなかった頃に書かれています)

「まほろば」とは、「住みやすい場所」「素晴らしい場所」という意味です。
東北がなぜ「まほろば」なのか?

縄文時代、東北は、今よりもっと豊かで住みやすい国ではなかったか・・というのが司馬遼太郎の仮説です。

確かに近年、亀が岡遺跡、三内丸山遺跡、砂沢遺跡など縄文時代の遺跡がたくさん発見されています。

北海道、青森、秋田、岩手に遺跡群、ストーンサークルなどが広がっているところを見ると、やはりこのあたりは食料も豊富で、住みやすく、人が集まった土地だったに違いありません。

「山や野に木ノ実がゆたかで、三方の海では魚介がとれる。走獣も多く、また季節になると、川を食べ物のほうから、身をよじるようにして――サケ・マスのことだが――やってくる。そんな土地は、地球上にざらにはない」(司馬遼太郎)

しかし、私たちが教科書で習う東北の歴史的イメージは、冷害に悩まされ、何度も飢饉に襲われた地方、子供を間引きしたり、娘が身を売ったりという悲劇のあった地方ということです。

この食料が豊富なはずの地域で、なぜそんなことが起こるのか。

それは藩政によるのだと、この本は言います。

中世までは、東北は北海道・擦文文化との交易で栄え、「まほろば」だったのではないか。
豊臣時代、藩というものが成立してから状況が変わってきた。
藩は収入を「米」に頼り、「米」は当時の通貨でもあるので、自分たちの威信はその石高にかかっていた。

だから藩主は、東北には向かない稲作を無理やり農民に義務付け、他の作物の割合を少なくし、そのために、冷害の被害を受けると、東北中のひとたちが飢えることになった・・・。

なるほど、そういうことだったんですね。
教科書で通り一遍に習っただけではわからないことです。

たしかに今回の旅行でも、東北の自然の豊かさを感じることができました。
食べ物がおいしいとか、それだけの豊かさではなく、自然の豊穣さです。

まだ日本にこれだけの緑があったんだ・・・という安心感みたいなものも覚えました。
とにかく圧倒的な緑。

奥入瀬、十和田湖、白神山地をめぐり、五能線で海岸を眺めているうちに、もう日常のことはすっかり忘れていました。
「癒される」というのは今や手垢のついた言葉ですが、でもそんな感触。

けれど十和田湖の周辺で現実に引き戻されました。

軒並み閉館した旅館、ホテルばかり。
さながらゴーストタウン。

東北大震災後、青森の観光地はそれほど被害を受けなかったとはいえ、皆が東北観光を自粛し、結局、ホテル・旅館の倒産となってしまったわけです。
大震災の影響はこんなふうに波及していたのですね。

でもこれだけの美しく豊かな自然にあふれた東北は、その資源によって再生してほしいものです。

まだまだ復興ボランティアも必要かもしれないけれど、東北観光に行くことも、温泉に行くことも、復興の一助になるのでしょう。

またぜひ、でかけてみたいと思います。

                             奥入瀬 奥入瀬

福岡に行ってきました

昨年に引き続き九州へ行ってきました。
今度は福岡。
また「生き生き森田ワークショップ」実演のためです。

今回は生活の発見会九州支部主催だけあって、なんと、九州各地のみならず沖縄、山口からも皆さま集まってくださいました。

総勢50名でのグループワークは結構大変だったけれど、二つのグループに分け、なんとかワークの世界を体感していただけたかな・・・(不安)。

とにかくゲームはいつもながら盛り上がりました。

自分の「純な心」(きれいな感情という意味ではなく、価値批判を含まないナマの感情という意味)を自覚し、それを表現して受け入れられるという体験は、特に価値判断の厳しさで自分を苦しめている神経質の人にとって大事なことです。

自分が忌み嫌う感情(たとえば嫉妬とか、怒り、不満、恐怖)を安全な場で口にしてみる・・・神経質の人にとっては、これだけでも結構大変なことかもしれません。

むしろ、森田療法理論を語ったり、言葉で学習したりするほうが楽なのかと思います。
でも、森田療法って、本当は言葉だけでは理解できないものなのですよね。

単純そうに見えて、実はものすごく深い。

自分で体感してみると、次々と新しい発見があります。



さて話は変わり、初めてじっくり滞在する博多は、実に活気がある国際都市でした。
道を歩いていても、いろいろな言語が耳に入ってくる。
ま、東京も同じですが。

考えてみれば、九州という土地は、江戸期から諸外国に向かって開かれていて、江戸よりずっと早く海外の文物に触れる機会があったのですよね。

ある意味、中央から遠い分だけ、とらわれずにものの本質がよく見えたのでしょう。

だから維新の頃に、九州や山口、高知の人たちが主導権を握れたのかもしれませんね。


そんなことを思いながら、もっと歴史が古い太宰府天満宮へ。
私のオフィスの近くに湯島天神がありますが、ここはその総本山みたいなものですね。

もちろんのことながら、ここは学問の神様、菅原道真公を祀っていますが、なんと湯島だけじゃなかった。全国に12000箇所の天神様があると初めて知りました。

日本人ってそんなに学問が好きなんでしょうか?

            太宰府1




さて太宰府の緑を眺めながら道を行くと、九州国立博物館へ行きつきます。

まぁ、スケールの大きい建物・・・よく作りましたね、という感じの巨大なガラス張りの建物です。

           太宰府2 
            全体を撮り切れなかった・・・


展示は、しかし、このスペースを活かしてダイナミックでした。

特に「文化交流展示」の「海の道、アジアの道」は、スケールの大きな展示。

「日本文化の形成をアジア史的視点から捉える」というコンセプトで、古代からの日本とアジアの交流を「遺跡」や「物」によって追っていきます。

太古の海や自然を背景に、人々の国を越えた壮大な交流が彷彿とされます。
現代の、子どものケンカレベルの外交が恥ずかしく感じられますね。

というわけで、古代から現代まで九州で展開された歴史の一端に触れることができた数日でした。


           太宰府3 
           太宰府の圧倒的な新緑

風の又三郎

私はいつも新緑の季節に風が吹くと、風の又三郎がガラスのマントを着て空を飛んだのは、こんなふうに木々の葉が輝いているときなのだろうなと思っていました。
で、先日、「風の又三郎」を再読しました。
それでびっくりしたのは、私の思い込みとは大きく違い、あの物語は二百十日の頃、つまり9月1日、台風がよく来る季節の話なのですね。


私の季節感のなさでしょうか。
又三郎がのった風の強さも、肌合いも、匂いも、私には実感として感じられていないのかもしれません。


昔、水俣の詩人として有名な石牟礼道子さんのエッセイを、「すごい表現力よね」と友人に話したら、海辺で育ったその友人が「でもさ、あのエッセイの中には海や浜にいる生き物の感触とか動き方とかが、すごくうまく書いてあるんだけれど、東京の人はそういうのどう感じるのかな?」と言われてしまいました。


ま、仕方ありません。
人は本来、自分の育ったところの空気や感触だけしかわからないものかもしれませんし。


私は昔からなぜか、その地方にある独自の文化に興味をひかれるたちでした。
特に学生時代にはそれが高じて、友人たちと岩手県の旅館もない山奥に行き、しばし滞在したこともあります。


で、先日の「岡本太郎展」で、太郎が熱烈な興味を寄せた「なまはげ」や「鹿踊り(ししおどり)」のビデオを見て、またまたそれが再燃し、宮澤賢治再読となったわけです。

有名な「なまはげ」は、動画で見ると尋常でない迫力で恐ろしく、あれで子供を脅していいものだろうか、トラウマになるんじゃないかと本気で心配になりました。

「鹿踊り」のほうも、人間だか動物だかわからないような衣装を着て、髪振り乱して踊るのは、かなりの不気味さと迫力。

              鹿踊り



これを知ったうえで宮澤賢治の「鹿踊りのはじまり」を読むと、また違う感想になるのでしょうか。しかし、賢治の童話のなかのような可愛い鹿ではないですよね・・・。


東北の文化には、洗練されていないからこそ剥き出しで現れる原初の匂いがあって、それが心を惹きつけます。

対照的に宮澤賢治の童話や詩は、そのような土俗文化をどこかで化学変化させて、純化してしまったような透明感があります。
岩手県がイーハトーブになるわけです。
でもバックグラウンドに、森の深奥の暗さが潜んでいるからこそ、その透明感も際立つのでしょう。



そういえば、今回、岩手の種山高原というところに、素敵な「風の又三郎」像があることを知りました。

     風の又三郎2
                   ブログ「イーハトーブの森を抜けて」より


ぜひ種山高原に行って、この風の又三郎と会ってみたい、一度鹿踊りをナマで見たいという気持ちが湧いてきました。
東北に観光に行けば、それは復興の一助になるのでしょうか。
確かに、東北は観光客が激減してしまったと聞きます。
だから行こうかという気持ちと、「でも・・」という気持ちが葛藤します。


だって、同じ県のなかで、まだ避難生活をしているかたたちがいるのに、宿に泊まってのんびりと観光をするって、それはどう考えても心苦しい。
たとえ東北復興の助けになると頭では思っても、気持ちがすっきりしません。


人間の気持ちって、こんなふうに割り切れないことが多いものです。
でもきっと、それが人間の心の働きの精妙さ。
それはそれでいいのだと思います。


たいていの人は、葛藤しながら、時期を待つのでしょうね。
私もそうします。


でもこの機会に、あらためて東北の文化、伝承、文学などに目を向けてみるのもいいかもしれません。
そういう人が多ければ、それがきっと、将来の東北の再発展につながるでしょうから。
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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