「夜明け前—呉秀三と無名の精神障害者の100年」(映画)

今回、友人からの情報で、上映期間中に間に合うようにと急いでこの映画を見に行きました。これは、精神医学者・呉秀三(くれ・しゅうぞう)の業績についての映画です。

呉秀三(1865~1932)は、東京帝国大学医学大学教授(現在の東京大学医学部)。
森田療法をよくご存じのかたにはなじみのある名前でしょう。

森田正馬は呉秀三に師事したのです。そして、森田正馬の神経質治療の独創性を認めたのも、この呉秀三でした。

呉は、日本の精神医学の基礎を築いたと言われています。森田だけでなく、精神医学の分野で多くの後進を育成しました。

そして何よりも大きな功績は、彼が当時の精神病者を拘束具から解き放ち、その待遇改善に尽力したということです。
そのために彼が調査し、その結果を発表した報告が「精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察」(1918)です。当時は、行政の許可を得れば、精神病者を自宅監置することができたのです。呉はしかし、治療も受けられずに自宅の座敷牢に劣悪な条件で閉じ込められている病者の実態を明らかにし、当時の「精神病者監護法」を批判しました。
 
ヨーロッパでは既にこの100年も前にピネルが、精神病者を鎖から解放していました。

呉は、この報告書で有名な言葉を書いています。
「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたる不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」

この映画は、呉のこの報告の意味と内容、彼の行った改革についてを、何人かの研究者が語っています。そして彼が留学したウィーン大学まで撮影に行き、彼の足跡を追います。

現代でも精神を病んだ子を自宅に閉じ込め、衰弱死に追いやったという事件が起きています。また、呉秀三が拘束具をはずしたはずなのに、精神病院での拘束死ということも起こっています。
そういう時代への問題提起として、この報告が書かれてちょうど100年という節目にこの映画が作られたのです。

重い内容ではありますが、見ることができるかたにはお勧めいたします。(東京渋谷のアップリンクにて上映中)

個人的な思い出になりますが、私はこの呉秀三の「私宅監置」の報告書をずいぶん若い頃に、故・長谷川洋三先生から見せていただきました。そのときはあまりの凄惨な内容にショックを受けたものです。
 
そして最近、森田正馬の「根岸病院看護法」の冊子が森田療法学会で話題になることもあります。
これは精神病者に対する看護人の心得として森田が書いたものです。
病者に対する虐待や不当な扱いを防ぐためでしょう。
森田正馬は根岸病院で、初めての試みとして患者をまじえて運動会をしたりもしています。

森田が恩師・呉の精神病者に対する人道的態度から、大きな影響を受けていたことが如実にわかります。
そして府立巣鴨病院(現・都立松沢病院)で呉が行った作業療法なども、あるいは森田入院療法のヒントになったのかもしれません。


マリア・モンテッソーリ

本日は軽いお話。

「スマホを見ると時間のたつのも忘れて、寝る時間が遅くなる」「ネット検索をし出すととまらなくなる」とおっしゃるかたがたくさんいます。

現代ならではの悩みですね。

けれど、自分の悩みについては、ネット検索すると次々心配なことがひっかかってきて、「もしかしたら、私は〇〇ではないかしら?」的な不安がムクムクと湧いてきたりするものです。
こういうのは、「精神交互作用」になって、ますます悩みを深くしますので、症状がきついときは、やめたほうがいいようです。

もちろん、私もネットを見るととまらなくなる傾向があります。
どれだけ時間を無駄にしているんだと思いますが、面白いこともたくさん知ることができます。(と、肯定的にとらえることにしましょう!)

さて先日、ネットでマリア・モンテッソーリ(1870-1952)のことを検索しました。
森田正馬が自分の治療法に、モンテッソーリの考え方を取り入れたことは有名です。
(森田療法はもちろん、モンテッソーリの考え方だけでなく、禅や仏教、武道、ドイツ医学、井上円了からの影響など、様々な要素から成り立っているものですが)

私はモンテッソーリのことは、「子どもの意欲や自発性を引き出す教育をした女性」ぐらいしか認識していなかったのですが、この教育法が現代でも脈々と受け継がれているということを、今回のネット検索で知りました。

モンテッソーリは、イタリアで初めて女性で医者になった人だそうです。
おまけに女性差別的な当時の風潮をものともせず(というより相当苦しめられたようですが)シングル・マザーになりました。
先駆的な勇気ある人だったのですね。

さて、彼女の教育は子どもの感覚を発達させることによって能力を開発していくという方法。知的障害のある子や、貧困家庭の子を対象に、子どもの好奇心を喚起させ、能力を目覚めさせていく研究と実践をしたのだそうです。

森田正馬は、これに刺激を受け、自分でも14歳の知的障害の子を家に預かり、その子の知能を伸ばそうと実験教育をしたことがあります。

現代でも、様々なところでモンテッソーリ教育が受け継がれて実践されているそうです。もちろん日本でも。

で、私が検索中にびっくりしたのは、小さい頃モンテッソーリ教育を受けた人たちの錚々たる顔ぶれ。

アンネ・フランク
ジャクリーン・ケネディ
ビル・ゲイツ(マイクロソフト創立者)
ジェフ・ベゾス(アマゾン創立者)
サーゲイ・ブリン(Google創立者)
ラリー・ペイジ(Google創立者)
ジミー・ウェールズ(Wikipedia創立者)
ピーター・ドラッカー(社会学者)
ジョージ・クルーニー(映画俳優)
ウィリアム王子とヘンリー王子
藤井聡太(将棋棋士)

ここまですごいメンバーが並ぶと「え?スティーブ・ジョブスは違うの?」なんて言いたくなる。
この顔ぶれを見たら、もう効果だのエビデンスだのうるさいことは必要ないでしょう。

下手なお受験させるより、お受験予備校行かせるより、こっちじゃないですか?
自分は間に合わない、子どもも間に合わない、せめて孫でも・・・なんて考えてしまうかたがいるかもしれませんね。

今回はただのネットの知識ですけれど、幼児期の教育って大切なものだと、改めて認識した次第です。


春の花

「魂でもいいから、そばにいて」 ―3.11後の霊体験を聞くー

また3月11日がやってきます。
一万八千人もの行方不明者、死者を出した災害、そしていまだに廃炉のめどがたたない福島第一原発。

何年たっても傷跡は大きいまま。
そして修復などまったく不可能なのは、親しい人、家族を失った人たちの心の傷です。

そんな被災地に出る幽霊の話は、時々新聞などに取り上げられていました。
この本は、被災者の人たちの霊体験を聞き書きしてまとめたものです。

けれど、これは興味本位の本ではありません。
よく言われる怪談話を集めたものではないのです。
むしろ、そういう話は正面から取り上げられてはいません。

ホラーとか、人を怖がらせるための本ではないのです。

聞き書きされた体験は、ほとんど家族を亡くした人たちの話です。

小さな息子や娘を亡くした人、妻や夫を亡くした人、親を亡くした人たちの話です。
亡くなった人たちは、夢に出てきて、生者に語りかけます。

鉄道好きだった息子のプラレールが突然動いたり、亡くなった人の携帯が急に光ったり、亡くなった人の携帯にかけたら昔のままの声でその人が出てきたり・・・

でもなぜか、この霊体験はこわくないのです。
この世に残された人たちが、「もう一度会いたい」と願っているから、この霊体験はあの世とこの世のかけはしとなり、生きている人たちを励ますものにもなるのです。

著者は、とある医師から勧められ、被災地の霊体験を聞き始めますが、最初は科学で裏付けることのできない体験をとりあげることに懐疑的でした。

しかし、霊体験をした被災者からの言葉に背中を押されます。
「霊体験なんてこれまで信じたことがなかったのに、自分がその体験者になって、頭がおかしくなったんじゃないかと思っている人がいます。同じような体験をした人が他にもたくさんいるとわかったら、自分はヘンだと思わないですよね。そういうことが普通にしゃべれる社会になってほしいんです」

著者が体験者を何回も訪ねることで、被災者は自分たちの身に起こったことを語ることができ、ある意味、彼はカウンセラーの役割をしたのかもしれません。

この本を読むうち、何度かもらい泣きをしてしまいました。

近しい人を亡くした経緯も当然語られますので、あらためて震災のむごさが実感されます。
唐突に家族を亡くしてしまうという、これ以上ないほどの悲劇が、死者の数だけ起こっているのです。

そして施設の職員や先生たちなど、津波の迫る中、他の人たちを助けようとしている最中に巻き込まれてしまった人たちが多いことに気づきます。

阪神大震災のときには、霊体験はあまり目立たなかったのに、なぜ東北に多いのか。
東北という地域に根付いた精神性、土俗、集合的無意識などが関係しているのではと著者は書いています。

あの大震災を忘れないためにも、人と人との絆を実感するためにも、ご一読をお勧めします。



他人の評価

ブログをしばらくご無沙汰してしまいました。
春は確定申告があり、森田ワークの準備もあり、ブログへ戻ってくる余裕がありませんでした。

さて、今回は単なるボヤキをひとつ。

冬季オリンピック、私はほとんど何も見ていなかったのですが、その時期のネットニュースでかなり違和感を覚えることがありました。

「海外からも絶賛」という類の表現が異様に多い。

別に素晴らしいものは素晴らしいので、それが海外からどう評価されようがいいのではないかと思うのですが、外国からの評価があると、それがお墨付きになるという感覚。

私はテレビもあまりつけないのですが、そういう類の番組がたくさんありそうです。
なかには外国の人の賛辞を引き出すような質問のしかたをしているものもあり、そういうのを押しつけがましいと感じるのは私だけでしょうか?
どうせ返事はお世辞よ、と思ってしまう。

小さな島国だから仕方ないのかなと思いますけれど・・・。
他の国もそうなんだろうか?
もちろん、自分の国の文化が評価されるのは「うれしい」、これは当然です。
でもなんだか、他の国にも評価してほしいという意図が過剰な気がする。

それでは他国の文化に興味を持ち、尊重しているかというと、ここらへんは希薄な気もする。


そういうテレビやメディアだけでなく、日本では「海外から評価されると絶対」みたいな価値観があるようです。
もともと自国にあったものでさえ、自分たちで認めるよりも、海外からの評価によって認めるというような・・・

自信がないんでしょうか。

確かに、自分に自然な自信のない人は、外からの評価によってやっと自尊心を保つようなところがありますね。

学歴、地位、役職にこだわる社会人、外見に異様にこだわる人たち、子どもを自分の延長と考えてお受験競争に投入する親たち。

そういう人たちって、自分がありのままに、自然でいるだけでは心細くて落ち着けないんでしょうか。

外から評価されなくても、でも、いいものはいい。
自分のことについても、周りの物事についても、そういう意識でいられれば楽だろうなと思います。

論があちこちになりましたが・・・。


紅梅

災害に思う

福岡の水害で被害にあわれたかたがたへ、心よりお見舞い申し上げます。

たまにしかつけないテレビのスイッチを入れると、ニュースで避難所にいるかたがたの映像。
今まで何回、こういう映像を見たかなと思います。

東日本大震災のとき、熊本地震のとき、そして時折の水害や台風のとき、それから今回の福岡県での大水害。

一瞬にして家財のすべてを失うという悲運にみまわれたかたが大勢いらっしゃいます。
安定したものと思っていた自分の生活が、すべて流れていってしまうという恐ろしさ。
明日も人生がずっと続くと思っていたのに、それが突然途切れてしまう無念さ。

他人事ではなく、日本に住んでいる限り、明日は我が身であるのかもしれません。
あるいは、この地球に住んでいる限り、と言い換えたほうがいいのかもしれませんが。

人間の活動のせいなのか、あるいは地球という生命体の必然の過程なのか、地震の多さ、天候の異変が、最近加速してきているような気がします。
地球自体が人間の生存に適さなくなってきているのに、おかまいなく戦争で殺し合ったり、核兵器で武装したりする一部の指導者の無責任さ。
自分さえよければあとの人はどうでもいいという思想なのでしょうか。

どこまでが人間のせいで、どこまでが自然の異変なのかはわかりませんが、人間の営みが自然の異変に加担しているのは否めないでしょう。
自然の敵は人間なのでしょうね。

さて、この時期にちょうど昔林業をやっていたかたのお話を伺う機会がありました。

そのかたは、もう林業はやめているのですが、その事情を話してくださいました。

昔は、山から立派なひのきを2本切り出して売れば、子どもを大学に行かせられるぐらいのものになったそうです。
ところが、安い輸入木材のせいで、だんだん木材の値段が下落し、林業では食べていけなくなってきた。

そして、人手不足、資金不足で山の手入れができなくなってきた。
山林はほとんど放ったらかしにせざるを得ないということなのだそうです。

間伐という、生かすべき樹を残して、他は適宜伐採し、森林を健康なものにするということをしていないと、土壌が弱くなり、水害などのときには樹木が根こそぎとれてしまうとおっしゃっていました。

特に以前よく植林された、杉、ヒノキなどは根が浅くて、大雨のときにはそれが土とともに流れてしまう。
そのかたは、「このままでいくと、日本の山は全部崩れてしまう」とおっしゃっていました。

そのお話が今回の福岡の水害にあてはまるかはわかりません。
そのかたは東北のかたなので。

東北に行くと、山々の樹木の豊富さに圧倒され、なんだか安心感を覚えたものですが、それでもリスクがあるのですね。

植林が悪いわけではなく、自然林だってそういう事態は起こるという説もあります。
それだけ、この頃の気象が異常だということなのだそうです。

かといって山を全部コンクリで固めてしまったところには住みたくない。

これだけ変化がある豊かな自然に恵まれているということは、一方でいろいろな気象の変化によって災害にみまわれる可能性が高いということなのでしょうか。

災害の前に人間は無力。

結局のところ、私たちができることは、与えられている時間を精一杯生きることでしかないのでしょうね。


tree

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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