fc2ブログ

今年は良い年でありますように


      かきくらし猶降る雪の寒ければ 
      春とも知らぬ谷の鶯            


新春なので、和歌を。
金塊和歌集より。 源実朝の歌です。
実朝の歌は少し寂しいものが多いですが。

意味は、谷に棲んでいる鶯は雪があまりに降るし、寒いので、実はもう春がきているということも知らない・・・ということでしょうか。

自分の身に置き換えてどんなふうにでも解釈できます。

寒くて暗い時期だけれど、この雪が降りやめばすぐに春の太陽が照ってくる。

季節は春だし暗くないのだけれど、目の前の雪があまりに冷たく寒いので、春だということに気づけない。

今は悲観的な思いや悩みで目の前が暗いけれど、その闇の向こうには本当はもう明るい日の光がさしている。

ゆきどまりに閉じ込められてしまったみたいだけれど、よく考えるとすぐそこに解決の道がある。


思い切り遠く連想していけば、今はコロナ騒ぎで寒々しい世の中だけれど、実はコロナに悩まされない世界はすぐそこに来ている。

そんなふうに考えたいですね。

皆様に明るい春がきますように。
そしてもうすぐそこに来ている春に気づくことができますように。

つばき

トニ・モリスン

ずっと「読書ブログ」を書きたいと思っていました。
けれどブログを別個に作って書くほど、このところの読書量は多くはなく、かえって面倒かもしれないと逡巡して、結局ここに書くことにします。

以前はもっと映画のことや本のこと、アートのことを書いていたのですが、最近は森田療法お勉強ブログのようになってしまい、何か不完全燃焼感がありました。

まぁ、私のブログなので何を書いても私の自由。

昨今の米国の状況を見て、トニ・モリスンのことを書きたくなりました。

以前私は、短編よりも、長くてテーマが重い小説を好んで読んでいました。
たとえばドストエフスキーなどです。
けれど最近どうもドストエフスキーが「観念的」に思えてきて、本は全部手放してしまいました。

偏愛しているのはフォークナー。
そのフォークナーの味わいと、ドストエフスキーの重さを兼ね備えた小説に出会えたと思ったのが、トニ・モリスン(Toni・Morrison,1931-2019)の「ビラヴド(Beloved、1988)」です。

トニ・モリスンは黒人女性として初めてノーベル文学賞を受けた作家です。

この小説の舞台になっているのは、19世紀半ばの米国。
逃亡奴隷セスは、地下鉄道(黒人の自由州への逃亡を助ける組織)を頼って子どもたちを連れて逃げます。
しかし途中で追手が迫り、セスは思い余って2歳になるわが子を殺してしまいます。
この子が自分と同じ奴隷になるのならばむしろ・・と、思いつめた結果です。

セスはこの子を葬り、墓碑銘に「ビラヴド(愛されし者)」と刻みます。
娘と二人、そして元のプランテーションで一緒だったポール・Dと暮らしているセスのもとに若い女性が現れます。
彼女は「ビラヴド」と名乗り、セスはこの女性は自分が殺めた幼児の幽霊とさとります。
ビラヴドは、セスの愛を独占しようとセスを支配し、セスもまた罪悪感からビラヴドに易々と仕えるようになるのです。
それはまるで、セスがビラヴドの奴隷になったかのような状況でした。

そんな何か寓話的な雰囲気のなかで物語が展開するのですが、何よりもすごいのが、ここに出てくる過去の奴隷たちの描写です。
奴隷たちにはもちろん人権などない。
人間として扱われない。
奴隷は簡単に殺され、その家族は所有者の都合でばらばらに売られてしまう。
気の弱い人なら途中で本を置きたくなるような描写が続きます。

そしてこれが、現在の米国人に大きなトラウマとして残る「奴隷制」の現実だったのです。
モリスンは白人も黒人も、等しく目を背けてきた過去を描きます。
このきつい過去の描写を読者に受け止めてもらうには、小説全体の寓話的な味付けが必要だったのかもしれません。
モリスンの文章には観念的なところもなく、何かの思想を喧伝するようなところももちろんありません。
しかし読了したときの衝撃、確かにノーベル賞級です。

19世紀のこととはいえ、現在の米国の暴動の背景には、このような歴史がある。
そしてまた、アフリカ系米国人にとって今でも差別は存在する。
ビリー・ホリディの歌う「奇妙な果実」のような状況がまた起こっているようです。

彼女は昨年亡くなってしまいましたが、今一度トニ・モリスンを手に取る時期かなと、「ソロモンの歌」を読み始めました。





個展のお知らせ

もちろん、私の個展ではありません。

なぜなのでしょうか。
私のところにつながる方には、最近、画家のかた、デザイナーのかた、イラストレーターのかたがとても多い。

私が心ひそかに、絵を描きたいなぁ、でも落ち着いて描く時間がないなぁ・・・などと思っているからでしょうか?

今回も、そんなかたをご紹介。
アニマル・イラストレーターのかたです。

元気になられて、久々の個展。
いろいろなしかけがあるということで、それも楽しみです。
ご興味のあるかたは、ぜひどうぞ。

第15回渡辺ゆう イラスト展 「めがねわんこ」
10月4日(金)~7日(月)11:00~18:00
銀座 石川画廊

めがねわんこ

リンク

思春期はこわれもの

「荒野へ」という本を読みました。
1996年に、ジョン・クラカワ―という人が書いたノンフィクションです。

なぜ読もうと思ったかというと、とある思春期のかたが「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画のことを教えてくれたからです。

ロードムービ―好きの私は早速DVDを見てみました。
2007年の映画で監督はショーン・ペン。
そしてこれが実話だと知り、すぐに原作を読んでみました。

何しろ私は「この物語は事実にもとづいています」という決まり文句にすごく弱い。
すぐに原作本を探して読みたくなります。

この作品の主人公、クリストファー・マッカンドレスは、1992年アラスカの荒野の捨てられたバスのなかで死体となって発見されます。24歳、死因は餓死でした。
彼はその2年前大学を卒業したあと、アメリカ放浪の旅に出ます。所持金を燃やし、車を捨て、ヒッチハイクでアメリカを放浪します。そして目的の地、アラスカで生活することを夢みて、捨てられたバスのなかに住みつきますが、結局生還できずそこで死んでしまいます。

家族は彼が死んで報道されるまで、彼がどこにいたか手がかりもつかめず混乱していました。

この事件は当時、アメリカで大きな話題になったようです。賛否両論があったようです。その事件をとりあげ、登山家のクラカワ―が、クリスの足跡を追ってノンフィクションを書いたという経緯です。

私がこの映画を見、物語を読んで感じたのは、「実に思春期だなぁ」ということ。
クリスは読書家で、トルストイやソローを読み、その思想に心酔していました。
言うまでもなくこの作家たちは皆、理想主義者です。トルストイは自分の財産や印税を疎ましく思い、それを拒否しようとした清貧の人でした。

クリスが最小限のものだけ持って放浪したというのも、そんな理想に共感したからでしょう。
そしてそんな理想を胸に放浪するクリスは、アメリカの圧倒的な自然美を次々と目にし、所有欲とは縁遠い生活をする人たちと出会って影響し、影響されていったのです。

思春期をとうに卒業した人たちは、彼の行動を「無謀」と言い、「家族のことや自分の命を大切にしなかった」「自然を甘く見ていた」と言うでしょう。

しかし思春期とは、そういう時代なのだと私は思います。
何かの「理想」に共鳴したら、それが現実化できるものと思い、それを目指そうとする。

理想とは遠い現実には醜さを感じ、怒りを感じ、なるべくそこから遠ざかろうとする。
クリスも家族に対して怒りを感じていたようです。父親は努力して成功した人でしたが、重婚をしていた時期がありました。

幼年期、そして思春期は、脆さを抱えている時期です。
脳だって、まだ発達途上です。
この時期の情緒的トラウマは、時として精神的な病気の遠因となったりします。(断っておきますが、素質もありますので必ずそうなるというわけではありません)

だからといって、どうすればいいのかということは、簡単には言えません。
しかし、思春期がそういう時代だと知っておくことは、大事なのではないでしょうか。
知性は十分発達しているけれど、経験は少ない。

そんなときに、家庭内の不和や親の過剰な支配、学校でのいじめを経験したら、それはその人の後の人生に大きな刻印となるであろうことは、予想できます。

しかし、思春期は美しく、詩的で新鮮な発想の宝庫でもあります。
キラキラした音楽や詩や芸術が思春期の感性から生まれてきます。
それは脆弱で感じやすい時期だからこそ生まれてくるもの。

そんなふうに美しく、それでいて脆い「こわれもの」の青年たちをしっかり守る環境を私たちは作れているのでしょうか。

クリスは、自分の家庭を嫌って「自然」に抱かれようと放浪した。
でもその自然はNature ではなく Wild(荒野)だったんですね。




個展のお知らせ

個展と言っても、私が個展をするわけではありません(^^;

知り合いのかたが、銀座で絵画の個展をなさいます。

素敵な色調の柔らかな絵です。
私は絵のことは何もわからないのですが、見ているとなんとなく気持ちが安らぐ気がします。

ご本人から了承を得たので書きますが、田村さんは私のところでカウンセリングを体験なさいました。
こんなふうに本格的に絵を描き始めたのは、カウンセリング終了後だと思います。
もちろん素養はおありだったと記憶しています。

カウンセリングでいろいろなかたのお話をお聞きしていると、絵画、音楽、手芸、創作、ダンス・・・アーティスティックな活動をなさっているかたがとても多い。
その結果として何を生み出すかよりも、そういう活動をなさっている時間には、きっと悩みとはまた別の次元の充実感を得ていらっしゃるのだと思います。

結果よりも、その活動をしていることそのものの喜びとでもいうのでしょうか・・・。
「努力即幸福」ですね。

田村さんは、カウンセリング後、不思議な出会いや偶然に恵まれて、こんなふうに何回も個展を開くまでになりました。

つねづね思うのですが(私自身もそうでしたが)、カウンセリングをしながら、自分の人生を真剣に考える期間を経験すると、なぜか自分の周りに、様々な新しい出会い、不思議な偶然(共時性とでもいうのでしょうか)が起こり、生きる方向性が劇的に変わってきたりします。

それは多分、長い時間をかけて自分自身をきちんと見つめることによって、自分の視点が、もっと広い世界へと開かれ、今までとは違う人生を生きる準備ができてくるといったようなことでしょうか。

カウンセリングでもいいし、きちんと自分を見ることのできるワークショップでもいい。
「なんとなく」ではなく、真剣に自分と向かい合う時間を持つことは、どのかたの人生にも必ず大きな変化をもたらすものだと思います。

個展のお知らせ

田村氏個展

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
フリーエリア
    ↑ 悩んでいる人のための森田療法解説書                           
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR