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個展のお知らせ

もちろん、私の個展ではありません。

なぜなのでしょうか。
私のところにつながる方には、最近、画家のかた、デザイナーのかた、イラストレーターのかたがとても多い。

私が心ひそかに、絵を描きたいなぁ、でも落ち着いて描く時間がないなぁ・・・などと思っているからでしょうか?

今回も、そんなかたをご紹介。
アニマル・イラストレーターのかたです。

元気になられて、久々の個展。
いろいろなしかけがあるということで、それも楽しみです。
ご興味のあるかたは、ぜひどうぞ。

第15回渡辺ゆう イラスト展 「めがねわんこ」
10月4日(金)~7日(月)11:00~18:00
銀座 石川画廊

めがねわんこ

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思春期はこわれもの

「荒野へ」という本を読みました。
1996年に、ジョン・クラカワ―という人が書いたノンフィクションです。

なぜ読もうと思ったかというと、とある思春期のかたが「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画のことを教えてくれたからです。

ロードムービ―好きの私は早速DVDを見てみました。
2007年の映画で監督はショーン・ペン。
そしてこれが実話だと知り、すぐに原作を読んでみました。

何しろ私は「この物語は事実にもとづいています」という決まり文句にすごく弱い。
すぐに原作本を探して読みたくなります。

この作品の主人公、クリストファー・マッカンドレスは、1992年アラスカの荒野の捨てられたバスのなかで死体となって発見されます。24歳、死因は餓死でした。
彼はその2年前大学を卒業したあと、アメリカ放浪の旅に出ます。所持金を燃やし、車を捨て、ヒッチハイクでアメリカを放浪します。そして目的の地、アラスカで生活することを夢みて、捨てられたバスのなかに住みつきますが、結局生還できずそこで死んでしまいます。

家族は彼が死んで報道されるまで、彼がどこにいたか手がかりもつかめず混乱していました。

この事件は当時、アメリカで大きな話題になったようです。賛否両論があったようです。その事件をとりあげ、登山家のクラカワ―が、クリスの足跡を追ってノンフィクションを書いたという経緯です。

私がこの映画を見、物語を読んで感じたのは、「実に思春期だなぁ」ということ。
クリスは読書家で、トルストイやソローを読み、その思想に心酔していました。
言うまでもなくこの作家たちは皆、理想主義者です。トルストイは自分の財産や印税を疎ましく思い、それを拒否しようとした清貧の人でした。

クリスが最小限のものだけ持って放浪したというのも、そんな理想に共感したからでしょう。
そしてそんな理想を胸に放浪するクリスは、アメリカの圧倒的な自然美を次々と目にし、所有欲とは縁遠い生活をする人たちと出会って影響し、影響されていったのです。

思春期をとうに卒業した人たちは、彼の行動を「無謀」と言い、「家族のことや自分の命を大切にしなかった」「自然を甘く見ていた」と言うでしょう。

しかし思春期とは、そういう時代なのだと私は思います。
何かの「理想」に共鳴したら、それが現実化できるものと思い、それを目指そうとする。

理想とは遠い現実には醜さを感じ、怒りを感じ、なるべくそこから遠ざかろうとする。
クリスも家族に対して怒りを感じていたようです。父親は努力して成功した人でしたが、重婚をしていた時期がありました。

幼年期、そして思春期は、脆さを抱えている時期です。
脳だって、まだ発達途上です。
この時期の情緒的トラウマは、時として精神的な病気の遠因となったりします。(断っておきますが、素質もありますので必ずそうなるというわけではありません)

だからといって、どうすればいいのかということは、簡単には言えません。
しかし、思春期がそういう時代だと知っておくことは、大事なのではないでしょうか。
知性は十分発達しているけれど、経験は少ない。

そんなときに、家庭内の不和や親の過剰な支配、学校でのいじめを経験したら、それはその人の後の人生に大きな刻印となるであろうことは、予想できます。

しかし、思春期は美しく、詩的で新鮮な発想の宝庫でもあります。
キラキラした音楽や詩や芸術が思春期の感性から生まれてきます。
それは脆弱で感じやすい時期だからこそ生まれてくるもの。

そんなふうに美しく、それでいて脆い「こわれもの」の青年たちをしっかり守る環境を私たちは作れているのでしょうか。

クリスは、自分の家庭を嫌って「自然」に抱かれようと放浪した。
でもその自然はNature ではなく Wild(荒野)だったんですね。




個展のお知らせ

個展と言っても、私が個展をするわけではありません(^^;

知り合いのかたが、銀座で絵画の個展をなさいます。

素敵な色調の柔らかな絵です。
私は絵のことは何もわからないのですが、見ているとなんとなく気持ちが安らぐ気がします。

ご本人から了承を得たので書きますが、田村さんは私のところでカウンセリングを体験なさいました。
こんなふうに本格的に絵を描き始めたのは、カウンセリング終了後だと思います。
もちろん素養はおありだったと記憶しています。

カウンセリングでいろいろなかたのお話をお聞きしていると、絵画、音楽、手芸、創作、ダンス・・・アーティスティックな活動をなさっているかたがとても多い。
その結果として何を生み出すかよりも、そういう活動をなさっている時間には、きっと悩みとはまた別の次元の充実感を得ていらっしゃるのだと思います。

結果よりも、その活動をしていることそのものの喜びとでもいうのでしょうか・・・。
「努力即幸福」ですね。

田村さんは、カウンセリング後、不思議な出会いや偶然に恵まれて、こんなふうに何回も個展を開くまでになりました。

つねづね思うのですが(私自身もそうでしたが)、カウンセリングをしながら、自分の人生を真剣に考える期間を経験すると、なぜか自分の周りに、様々な新しい出会い、不思議な偶然(共時性とでもいうのでしょうか)が起こり、生きる方向性が劇的に変わってきたりします。

それは多分、長い時間をかけて自分自身をきちんと見つめることによって、自分の視点が、もっと広い世界へと開かれ、今までとは違う人生を生きる準備ができてくるといったようなことでしょうか。

カウンセリングでもいいし、きちんと自分を見ることのできるワークショップでもいい。
「なんとなく」ではなく、真剣に自分と向かい合う時間を持つことは、どのかたの人生にも必ず大きな変化をもたらすものだと思います。

個展のお知らせ

田村氏個展

歩く「映画」

もちろん映画が歩くわけではありません。
歩くことをテーマにした映画を、このところ続けて見たので。

今はウォーキングに最適の季節なのですが、なかなか出かけるチャンスがなく、ジムのトレッドミルで我慢しています。
せめて、歩くことに関する映画を見ようと、二本見てみました。

ひとつは「星の旅人たち」(原題・The Way)で、歩く場所はスペインの巡礼の道、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう800キロの道です。
もうひとつは「わたしに会うまでの1600キロ」(原題・Wild)。舞台はアメリカ西海岸をメキシコからカナダまで縦断するパシフィック・クレスト・トレイルです。

どちらも淡々と道を歩く映画なので、ストーリー性があったり劇的だったりするわけではありません。

二つの映画に共通するのは、自分の大切な人をなくして、それをきっかけに歩き始めるということです。

「星の旅人たち」では、眼科医をしている男性が、ある日息子の訃報を受け取る。
世界を放浪していた息子は、スペイン巡礼を始めようとした矢先、ピレネー山脈で遭難してしまったという。
息子の遺体を引き取りに行った彼は、息子のバックパックを背負い、遺灰を持ち、自ら巡礼の旅に出る・・というストーリー。

「わたしに出会うまでの1600キロ」は、母をなくした主人公が、しばし自堕落な生活をしていたが、恋人にも去られたのをきっかけに、女性一人でパシフィック・クレスト・トレイルに挑戦する、というストーリーです。

「星の旅人たち」の主人公は、息子の遺灰をまきながら道をたどりますが、徐々に道で出会った人々と心を通わせるようになり、そこに亡き息子の面影を見て、気持ちは癒され、心が開かれていくのです。

「わたしに出会う~」のほうの旅は、もっと過酷です。距離は2倍の1600キロ。
巡礼のように宿があるわけではなく、女性には重いテント一式を背負い、野宿をし、危険な目にあいながらとうとう目的を達成します。
彼女は歩きながら、母の記憶をたどります。
母はDVの夫から二人の子を連れて逃げ、貧しい暮らしをしながらも、向上心と明るさを失わない人でしたが、若くして亡くなります。
彼女は、道中に誰かと出会うということはなく、ひたすら自然のなかで自然と対峙します。
道を歩き切ったとき、彼女を癒したのは、独力で歩きとおした自分の「力」だったのかもしれません。

巡礼の道や、自然のなかの道をたどるルートが、どの国にもあるということは、きっと道を歩く、歩きとおすということに何らかの意味を見出す人が多いからでしょう。

確かに「歩き切った」ときには、自分の力、後押ししてくれた自然の力を身体ごと受け止めるような、かけがえのない感覚を覚えます。

歩いているときには、風景ともゆっくりと向き合えて、「自然」を身近に感じることもできます(時にはこわいこともあるでしょうが)。

うつの時には、疲れない程度に「歩く」ことが推奨されたりもします。
悩んでいるときには、自然の中で歩いてみると、少し気持ちが変わるかもしれません。

平凡な行為でありながら、「歩く」ことのなかには、何か人を変える力があるのでしょうね。

紅葉の美しい季節、できるだけ外に出てみようかと思います。


道

「ずっとやりたかったことを、やりなさい」

本日は本の紹介。

11月の末に日本森田療法学会があり、発表も終わって、気持ちに余裕が出たので、そういえばこんな本があったなぁと、とりだしてみました。

ついでに学会についてひとこと。
先日、心理学とは何の関係もない友人に「頼まれてもいないのに、なぜ学会発表なんてするの?」と尋ねられました。
発表してもお金にもならないし、準備には時間はかかるし、論文を発表する義務もないし、確かに「なぜ?」と思われてもしかたないですね。

でも、今のような仕事をしている限り、自分で何か能動的に考えたり資料を調べてまとめたりしていかないと、やっていることがマンネリ化していくのですね。
研修会なども、受動的なので、ノートをとっても生かせなかったりすることが多い。

どんな稚拙なものでも、自分で考えて、まとめて、発表するという行為のなかに、今までの自分のやりかたや認識を新たにするチャンスがあるものなのです。
それに、「やり遂げた感」というのは、すごく励みになるものなのです。
結果はどうであろうと。

でもね、いつまでもそんなことばかりでは・・と思う部分もあります。

この本「ずっとやりたかったことを、やりなさい」は、決して新しい本ではないのですが、自分の生活が少しマンネリ化しているな、と思う方にお勧めです。

毎日の生活のなかに埋もれている自分の「創造性」を掘り起こす方法が、懇切丁寧に書いてあります。

これが実に具体的な方法論なのです。
毎朝、モーニングページという自分だけのノートを書く、アーティストデートという楽しいものや美しいものを見、自分を楽しませる時間を持つ・・・
そうやって、規則や「かくあるべし」に縛られた脳を解き放って、自分のなかの創造性を目覚めさせる方法です。

私なども、いつも論理脳ばかり使っていて、少しのゆとりにも罪悪感を持ってしまうというワーカホリックです。

昔、この本を読んで、「なるほど~」と思っていながら、この頃、またもや仕事にまい進している。
もうリタイアを考えてもいい年なのに、何をしているんでしょう・・・そう思うときもあります。

つまり遊ぶのが苦手。
遊ぶと言っても、読書とか音楽鑑賞とか、すごく受動的。
能動的な趣味があまりないのですね。

ですからこの本をゆっくり読み返して、ちゃんと実践してみようかと思っています。
なかなか良い言葉も書いてあります。

「『自分を貴重品のように扱えば、自分は強くなる』。そう絵の具かクレヨンで好きなように書き、日々、目に入るところに貼っておこう。この言葉はおまじないになる。私たちは自分につらくあたることが自分を鍛えると考えがちだが、私たちが強くなるためには、自分自身を大切にすることが肝心なのだ」

実は論理脳だけで考えているより、こうやって感受性を活発化したほうが、アイデアも自由に浮かんでくると思います。

若い頃はあんなこと、こんなことがやりたかったなぁ・・などと思い出し、試してみるということもいいですね。

私もしばらく手をつけていなかったあれをやってみようかな・・・・。
そう、自分が何を試そうとしているかは、人には言わないほうがいいそうです。



プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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