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この瞬間の自分に任せる

先日、カウンセリングにいらっしゃったかたが、「この瞬間の自分に任せようと思う」という言葉をおっしゃいました。
名言だと思いました。

これができるなら本当に楽だろうと感じる方が多いでしょう。

自分に自信がないとき、あるいは自信がない場では、私たちの頭は過去と未来に占領されてしまいます。

あの時こんな失敗をした(過去)、だからこういうふうにしなくてはならない(未来)。
そうすると頭のなかは、過去の反省とこれからの行動方針とが入り混じる言葉のるつぼになってしまいます。
「次はこうして・・・・」「いや、あれも忘れたらいけない・・・」

たとえばその「自信のない場」が、人前で話すことだった場合、頭のなかは、自分が変に見えないかとか、声がうわずらないかとかいう心配や、それを防ぐための方策で手いっぱい。
「たった今の瞬間」に身を任せる姿勢にはなっていない。

ここで「たった今の瞬間に身を任せる」と書くと、今度は「どうしたらそうなれるんだろう」と反射的に考えるのが、神経質の特徴でしょう。

実は、私たちは普通に毎日こういう姿勢で生きているのです。

一瞬一瞬を言葉で設計して、考えて生きているわけではない。
時々、ある時間帯だけ、そのことを忘れてしまうのです。
極度に緊張しているとき、あるいは神経症状態のときです。

そしてそうなる根本の原因としては、「自分自身を信じきれない」という気持ちがあるのではと思います。

本当は、私たちの意識は、私たちが言葉で分析操作し切れるものではない。
意識の根底には「無意識」があり、経験によってそこに蓄積されたものが、一瞬一瞬の私たちを動かします。
そして私たちは、それに従って生きていいのです。

森田正馬は「(森田療法は)無意識を意識化してしまったものを、また無意識に戻していく」という趣旨のことを書いています。

わかりやすい例で言えば、もし階段の昇降を意識的に行おうとしたら、すぐにつまづいてしまうでしょう。
私たちはいつも無意識に、今までの経験から学んだ身体の動きに任せて、階段の昇降をしているのです。
そしてそれが一番安全な方法なのです。

神経症状態のときには、不安に押されて、自然な動きを言葉で区切り、分析し、計画し、解釈し、そうすることで「安心」しようとします。
もしかしたら「言葉」に変換することで、自分に扱えるものになったように錯覚するのかもしれません。

行動するときには、ただその目的を考えればいい。
自分がどこに向かおうとしているのかを考えればいい。

有名な森田のたとえにあるように「丸木橋を渡るときには、向こう岸を見つめればいい」のです。
そうすれば私たちは自然に、今この瞬間の自分に身を任せることになるのです。

彼岸花

人の目が気になるということ&素直さ

以下の文章は、私がある日記指導のなかで「人の目が気になること」について書いたものです。

「こういうことは、誰でも若い時には必ずあります。
気になることは仕方ないし、気にしていてもいいと思います。
気にしながら行動していくしかない。

ただ困ることもあります。
例えば、他人の評価が絶対だと思い込んでしまうこと。
人の評価は絶対ではない。すべて相対的なものです。
いろいろな人のいろいろな評価の全部に「私」は合わせることができない。そんなことをしていたら、「私」はどこにもいなくなってしまう。

「私」は「私」でいいのです。
私の事実が「私」です。

私の身体、能力、心、そして感情もそのままでいるしかない。
そしてそれでOK。
それが森田療法の「あるがまま」です。
本当の成長や発展はこの「あるがまま」を土台にして始まるのです。」


この日記指導のかたは、対人恐怖です。
高校を卒業してからしばらく家にいて、なかなか外に出られませんでした。
けれど、現在は運転免許を取得し、ダンス教室に通い、異性とおつきあいを始め、バイトに応募して採用されました。
これから専門学校にも通おうと計画されています。

半年の日記指導の前にもカウンセリングに来られていました。
このような劇的な変化が起こったのは、このかたが「素直に森田療法の言っていることをやってみよう」と思われたときからです。
それからの変化の早さは目を見張るほどでした。

森田正馬も「素直さ」は非常に大切なポイントだと言っています。
神経質症状が大変でも、なぜかなかなか素直に実践しないかたは多いようです。
これがなぜなのかはよくわかりません。
今まで通りの自分のやりかたが(ある意味)心地良いのでしょうか。
あるいは我の強さ、頑固さが邪魔をするのでしょうか?

けれど森田療法の言っていることを学び、それを素直に実践していけば、前向きな日常を取り戻すまでにそれほど時間はかかりません。

他のあるかたは、カウンセリングに通って2か月ほどで10年悩んだ神経症を克服されました。
ただ私の本を読んで、それをすぐ素直に実践なさっただけです。
森田療法は、素直に実践すれば、実に効果的な治療法だという証明です。

さて、今回は少し自慢になりました。
森田療法の自慢? このかたの自慢? 私の自慢?
(前回のブログ「自慢」のなかに書いたことの実践です! 読んでくださってありがとうございます)

森田療法の初歩

今回は、神経症真っ最中のかたのために書きます。

神経症という言葉は、現代では「不安障害」という病名になっています。
何か一つのことが気になって、そのことが頭から離れなくなり、生活にまで影響が出てくる状態のことです。

たとえば、電車のなかや狭いところが不安になって、そのために遠出ができなくなる。
鍵を閉めたかが気になって、何度も何度もそれを確認しに帰り、仕事に支障をきたす。
身体の不調が気になり、病院めぐりをし、「なんともない」と言われても納得できず、また病院へ行く。
もしかしたら、こんな自分の状態が何かおかしいと思っても、神経症だと思い至らず、一人で長い間悩んでいるかたもいるかもしれません。
こういう神経症は、森田療法で克服することができるのです。

さて、森田療法はこのようなグルグル思考(精神交互作用)を解消するだけでなく、そのような悩みを生み出す考え方の歪みや、性格にまで変化を及ぼすことができるある種の哲学的な思想です。

なのでいろいろな語彙や説明があり、本などで独学しようとすると、混乱するかたもいるかもしれません。

この「精神交互作用」を生み出す根底にあるのは、不安感と恐怖感です。
ですから、このグルグル思考をやめようと決心するだけでは、ここから抜け出すことができません。
悩んでいる人は、多大な恐怖感に突き動かされて、何度もこの思考の渦に戻って行ってしまいます。
これはとても苦しい状態です。
そして他の人の言葉なども届かない状態です。

森田はこの状態を「夢のなかの有無は、有無ともに無なり」と言っています。
夢のなかであがいている状態です。

ただし「この夢から抜け出そう」と思って努力しても抜けられない(ここが森田療法の説明で難しいところです)。
むしろその努力は「精神交互作用」を強化する方向に働くのです。
不安や恐怖感から逃げようと思ったからこそ、こういう状態を作ってしまったわけなのですから。
自分で抜け出そうとすることは、今までと同じ努力になります。

まずはその不安・恐怖のなかにそのままとどまること。
これを森田療法では「なりきる」、「往生する」と言います。
そして、現実のなかでいやいやでも目の前のことに手を出し、ゆっくりでも行動実践していくこと。

ところが往々にして、この「なりきる」というところが飛ばされて、(むずかしいですものね)「実践」のみが強調されてしまうことがあります。
そうすると、「これだけ実践したから、楽になったのではないか。症状は消えたのではないか」と「症状をはかる」ことになります。
もちろんこの「症状をはかる」行為は、症状を悪化させますね。

だから実践だけしていても、苦しさは変わらないという人が多くなります。
もちろん実践が順調に進んで、根底にあった不安感が解消されれば症状が問題にならなくなったということもあり得ます。

しかし「(症状や不安に)なりきる」という部分は、ある意味、一瞬にして違う世界に行ける体験でもあります。
それは「事実そのままになる」ことで、「あるがまま」という言葉でも表されます。

難しいようでいて簡単。
簡単なようでいて深い。

ぜひ森田療法の深さを体験してほしいものです。

「往生」についてはこちらも参考にしてください。⇒往生する



事実唯真

「事実唯真」は「じじつただしん」と読むのだそうです。
私は口調が簡単なので、いつも「じじつゆいしん」と読んでいました。

「森田正馬」もそうです。
口調が簡単なので「しょうま」と読んでいました。
こちらは「まさたけ」でなく「しょうま」が正解だそうです。
本人が海外論文を書くときに「しょうま」と言っているので、森田本人の意向はこっちなのでしょう。

私にはどっちでもいいような気がします。
「意味が通じればいい」というのは、森田本人が言っていること。
学生の提出物を見るときも、誤字などはあまり注意せず、何を言っているかのほうを見ているというようなことを言っていますね。

話がそれました。
私が初めて「事実唯真」という言葉を見たとき「なんと当たり前のことを・・・」と感じたものです。
その頃は森田療法のなかの「事実唯真」の大切さを知らなかったのですね。

あるいは森田療法のなかだけでなく、現代社会でも「事実唯真」はとても大切な概念かもしれません。
ネット社会で流れてくる雑多な情報、そのなかにはただの憶測や偽情報、陰謀論などもあります。
そういうものがあふれている時代、「何が現実なのか」を調べたり、問うたりするのはとても大事なことになっています。
「現実、事実」に基づいて推論し、行動することがますます大切になってきているのです。

さて、では森田療法の方法における「事実唯真」はどういう意味を持っているのか、ということです。

症状の真っ只中にいるとき、その人は自分で作り出した恐怖の世界にいます。
自分で作り上げた「恐ろしいもの」から逃れることに必死で、必死だからこそ「精神交互作用」でますます世界は恐怖に満ちたものになるという悪循環にはまっています。

こんなときには、現実(事実)と自分の空想・思考の区別がつきません。
実際、そうなるのです。
症状から抜け始めると、やっと周囲の「事実」に気付くことができるようになり、そのうち自分を客観的に見られるようになります。

人や自分の視線が気になり、それをどうにかしようと座る位置を調節し、立ち居振る舞いに注意することに一生懸命だった人がいます。
けれど、会社にとってはそんなことはちっとも重要なことでなく、いかに仕事の能率をあげるか、仕事をどんどん達成していくかが大切なことなのです。
そして本当に症状から回復していくと、きちんと仕事をしているとばかり思っていたのに、こんなに不十分なところがあった、と気づくものです。

皆が厳しいと思っていたけれど、それは「症状」のせいではなく、自分の仕事ぶりや他者への気配りが至らなかったからということがわかるのです。
森田が言っている「事実唯真」というのは、そういうことなのです。

「思考」は「思考」であって事実ではない。
空想・思考は行動に移さない限り、外界には何の影響も及ぼさないものなのです。

いまだに症状的思考に悩んでいらっしゃるかた、症状的な悩みはそのままでは出口がありません。
まずは、ご自身の「空想、思考」と、「現実、事実」とを区別するところから始めてみませんか。

御茶ノ水の桜


御茶ノ水の桜

後悔と「努力即幸福」

さて、花に季節があるように、人生にも季節があります。
私自身も自分の生きてきた道筋を俯瞰できる年齢となりました。

そんなときには当然「充足感」だけではなく、後悔の念も湧いてきます。
「あの時にあんな選択をしなければ・・・」
「もう少し早く決断していれば・・・」
しかし、そういう思いに重く引きずられることもなくなりました。

森田療法の「努力即幸福」という考え方は、そんなときに大きな助けになります。

この言葉は「努力しなさい」という言葉ではないと、私は思っています。
何度もこのブログで解説しているし、著書でも書いているので、ご理解いただいていることと思います。

シンプルに言い換えれば「結果よりプロセス」ということです。
試験のために勉強した、けれど試験に落ちた。
それですべてがダメになったのでしょうか?

試験など「時の運」という部分もあります。
ヤマがはずれた、交通機関が遅れた、当日風邪をひいた・・・そんな不運はそこら中にあります。
結果として試験には失敗したとしても、それは本当に失敗だけなのでしょうか?
「努力即幸福」とは、目標のために努力した、その「努力」のなかにこそ幸せがあるという考え方です。

結果として希望はかなわなかったけれど、そのときに自分が目標のためにいろいろ試し、学んだり、経験したりしたこと、それこそが人生の宝物なのです。

時として慎重すぎる人は、「失敗するかもしれない」「途中で放り出すことになるかもしれない」などと考えて、挑戦することさえ控えてしまいがち。
強迫的タイプのかたは、将来の自分の落胆さえも頭のなかで空想して、それを回避するために逃げたり、思考のやりくりをします。
結局、自分自身は何をしているかといえば、行動せずに考えているだけ。
失敗や落胆(不快な感情)を回避するためだけの人生になってしまいます。

それで満足であればいいのですが、神経質タイプのかたはその反面に大きな欲望を持っているので、葛藤のために苦しくなります。

現代的な「成功」とか「達成」とか「持続」とか、そんなものを美徳と思う必要はない。
失敗しても途中でギブアップしても、そこに至るまでに何らかの努力をしたり、工夫をしたりしたはず。

最初の文章に戻れば、つまり、私が後悔しているような選択や、企画しても達成できなかったことも、そのなかに実は大きな意義があったのではないかということです。
苦心したり、試行錯誤したり、次の選択をしたり、その経験こそが人生なのです。

成功とか達成とかの目標を持つのを否定しているわけではありません。
ただ、目標に向かっていたときのプロセスも、人生の中で私たちが誇るべきものなのだと思うのです。

はる

T.H氏撮影

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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