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森田正馬没後80年記念行事(4)

本日は生家の次に訪ねた森田家の墓地の話。
森田家のお墓は、生家から少し離れた三宝山の麓にあります。

この三宝山は、森田が亡くなる一年前、最後の帰郷のときに近隣の人たちに担いでもらって登ったところです。

彼は、ここから故郷の景色を心ゆくまで眺めたといいます。
故郷・兎田が一望できる場所なのです。

現在の三宝山は、しかしかなり変化しています。
お墓の横に「三宝山トンネル」が掘られ、道路が通っています。
そして山頂には「シャトー三宝」という、西洋の古城を模した建物が建っています。

同行のかたが早速調べてくださったところによると、そこは昔遊園地とレストランだったところで、今は閉園になっているそうです。
ただお城だけは、住民の要望で取り壊さず残したということ。
「この違和感のある建物をどうして残す!?」と思ってしまいますが、そこは毎日見ているかたと訪問者の感覚が違うところなのでしょうか。

そしてお墓もまた変化しています。
最初にここを訪ねたときは、先にも述べましたように生誕100年記念事業のときで、全集編集委員の先生方と一緒でした。
お墓は緑に囲まれ、お墓の前に実のなる木があって(何の実かは定かではありません)、その実をもぎって食べた覚えがあります。
そして森田先生のお墓の後ろには、苔むした先祖のかたがたの古い墓石が並んでいました。

下が墓地の変遷です。
お墓の写真ばかり出てくるので、縁起恐怖のかたはお気をつけください(^^)

      森田墓地20032003年撮影

森田墓地2009 2009年撮影(同行のかたのもの)

森田墓地2018 今回撮影(2018)

2003年に行ったときは三宝山トンネルは工事中でした。
その工事に伴ってお墓を移動し、先祖の墓石を新しくしたようです。
苔むした墓石を新しくしたいのは子孫のかたがたの当然の気持ちでしょうね。

崖崩れの心配もあるのでしょうし。
ただ樹木がなくなっているのは、この照り返しのなかで、ちょっと気の毒な感じ。
これから植えるのでしょうか?

ちなみに2014年の様子がGoogle Map のストリートヴューで見られます。
2009年のものに近いです。
高知県香南市野市町兎田で三宝山トンネルの隣を探してみてください。
(関係ないけれど、GoogleCar って、こんなところまで走ってくるんですね。ストリートヴューを考えた人って頭のなかのスケールはすごい)

というわけで、今回森田先生の墓参もできて、たった一泊の高知でしたが、満足の想いで帰京できました。
同行してくださったのは、先般の森田ワークショップの参加者四人です。
お世話になりました。

こんなふうに、ものごとの変遷を感慨深く思うのは、私が歳をとった証拠でしょうね。
歳をとるというのは、そういう意味で面白いことでもあるのですよ。

皆様も歳をとることを楽しめますように(笑)!

森田正馬没後80年記念行事(3)

さて、実は墓前祭の始まる前に、野市の森田先生の生家と墓地とを訪問したのです。

今回の墓前祭、講演会のテーマのひとつに、森田の生まれ育った家の保存ということがありました。
これは本当に意義のあることです。

森田先生にまつわる東京の家とか診療所とかは、すべて無くなってしまっています。
残っているのは、この野市にある家と墓地のみ。

この家がなくなったら、お墓しかありません。

一時はこの家は、不登校の子たちのための施設として利用されていて「森田村塾」と名付けられていました。
その頃は人が出入りしていたので、お庭も手入れされていたのですが、このごろ荒れているという噂も聞きました。
でも、市のほうが保存に乗り出してくれているようで、少し安心しました。

下の写真は、私が2003年に行った時の全景です。
木がよく手入れされているのがわかります。

森田生家2003

森田生家2003年


今回は外から写真を撮っただけです。
次の日の生家訪問ツアーには行けませんでした。

森田生家2015


2003年と同じようには撮れませんでしたが。
庭木の手入れが今一つ・・・

この家の端には、高良先生揮毫の「森田生馬生誕の地」の碑があります。
下は今回撮影のもの。

森田先生碑


やはり微妙に変わっていますが、でもよく保存されていますよね。
そして、これが森田家の門。

門2015


もう何千人ものファンのかたが、この門の前で記念写真を撮ったでしょうね。
私も行くたびに同行の人たちと一緒に撮っております。

2003年には、この門の前に森田村塾という看板がかかっていました。

「森田生家の保存を願う会」も発足し活動しています。
古いものをなんでもかんでもこわしてしまうという風潮の今の日本。
この森田生家だけでも、そのままの形でのこしてほしいものです。

森田正馬生家保存を願う会

次はお墓の話です。


森田正馬没後80年記念行事(2)

さて、日本は最高気温を更新中!
私は元気に(笑)ブログ更新中。

高知で熱中症にならなかったので、少し自信がついたのかもしれません・・・。

15日午後の講演会ですが、まずはプログラムを見てびっくり!


プログラム2018


森田正馬のイラストでは有名な、タナカサダユキさんの絵ですが、森田療法の世界もずいぶんくだけてきたのですね。

また、会場の様子にも驚きました。
午前中は会場が小さかったので、300人という規模で、それでも今までにない盛況と思ったのですが、今度は高知県民文化ホールという大きな会場、それがそこそこ埋まっていましたので、多分1000人以上の聴衆です。

そのうえ、開会前に県立高知追手前高校の吹奏楽部のウェルカム演奏が・・。
(この高校は森田正馬の母校ということです)
そしてホールには、その高校生たちが書いた森田正馬の言葉が張り出されていました。

森田の言葉


またまた昔と比べて感慨深い・・・。
私が遥か昔、森田生誕100年記念事業で全集編集委員の先生方と、四国に同行してきたときには、郷土の人は森田正馬なんてまったく知らなかったのですが・・・・。

そしてまた、高知県知事、高知市長の挨拶がありました。

講演は、中山和彦先生、「高知文化財研究所」の溝渕先生、生活の発見会の奥村典彰さん、作家の帚木蓬生先生の充実したラインアップ。
私も朝から動いて疲れていたのか、中山先生の講演のなかで「雨」という曲が流れると、子守歌的に聞いてしまいました・・・。
いい歌でしたよ!

朝に続き、会場では、たくさんのかたにお会いしました。
その他、目礼だけしかできなかったかたがた、お疲れ様でした。

記念講演会2018


ここ高知で、盛大な講演会に参加して、森田療法が忘れ去られていくのではなく、むしろ少しずつでも広がっているのだという実感が持てました。

何事も、流れ、動いて変化していくのですね


(つづく)



森田正馬没後80年記念行事(1)

先週の7月14日、15日にかけて、「森田正馬没後80年記念行事」に参加のため、高知市へ行ってきました。

ちょうど、あの西日本の水害のあとだったこともあり、開催は大丈夫だろうかと思われたのですが、高知の雨量はかなりだったのに、高知市近辺では大きな災害はなかったようです。

東京でも毎日、死ぬほどの暑さが続いていますが、高知は南国ですし、もちろんものすごい暑さでした。
行く前は本気で「熱中症で死ぬのでは」と心配しました(^^;)

でも、なぜなんでしょう。
楽しいことをしている時には、暑くてもそれほどきつくないのですよね。

さて、この記念行事は「森田正馬没後80年記念事業会」主催で、共催には「日本森田療法学会」「(公財)メンタルヘルス岡本記念財団」「NPO法人生活の発見会」「生きがい療法ユニオン」「森田正馬生家保存を願う会」が名を連ねています。

まずは香南市野市町「のいちふれあいセンター」で開催された墓前祭。
15日(日)午前中です。


墓前祭2018


あまり良い写真が撮れなかったのですが、びっくりしたのは集まった人数の多さ。
300人を優に超える人数のかたが集まっていました。

昔の高知での森田正馬の知名度のなさを知る私としては、会場いっぱいの人の数には驚きました。
偶然隣にいたのが、いつもブログにコメントを書いてくださる六花さんでした。
他にも知っている顔がたくさん。

発見会の人、森田療法学会関係の人もいらっしゃいましたが、地元の人も多かったのではないでしょうか。
野市で開催されるということ自体、隔世の感があります。

弔辞も、いつもの森田療法関係のかたがたに加え、(うろ覚えですが)高知県知事、市長、香南市長など、地元のかたが読み上げました。
献花の時間があり、森田先生の遺影の前に白い菊を捧げます。
来賓だけかと思って落ち着いていたら、結局全員が壇上で捧げることになり、「スニーカーで来なければよかった!」などと慌てたりしました。
でも良い記念になりました。

とても印象深かったのは、最後の遺族による謝辞。
森田先生の曽孫という若いお医者様が読みました。
(ついでに言えば、森田先生は息子を亡くしていますので直系のかたはおらず、養子になさった甥御さんの家系のかたと思います)

そのかたは遠くから見ても、謝辞の紙を持つ手や足が震えているのがわかりました。
「このように緊張して震えております」と彼は言い、でも最後に「曾祖父の教えのように、欲望にのって行動することで、今は震えも小さくなり役割も果たせました」と締めくくられました。

もちろん盛大な拍手でした。

そんなこんなで、午前中の墓前祭は終わり、皆はタクシーやバス、車で、次の講演会場のある高知市へと向かったのです。

(つづく)

弱力性と強力性

強力性とか弱力性などと書くと洗剤のことみたいですが・・・。

よく神経症(不安障害)になる人の性格特徴を言うとき、「強力性と弱力性」という表現を使うことがあります。
こういう矛盾したものが性格の中に同居しているので、それでその葛藤で悩みが深くなるのだと言われます。
(もちろん他にも特徴的な性格の要素はたくさんありますが)

具体的に言うと、神経症になるかたは、強烈な負け嫌いです。
つまり人より上に行きたい、人より優れていたい、もっといいものを手に入れたい、という心情があるかたです。

それ自体は、生きるエネルギーになるわけですから、あっても邪魔にはならない。
強弱の差はあれ、たいていの人が持っているものです。
けれど神経症になる人はそれが強い。

ところが、そのような「強力性」とともに、「弱力性」と言われるものもあわせ持っている。
その弱力性とは、ひとくちに言えば「気の小ささ」「小心さ」です。

強力性があるわけですから、自分のなかに潜むこの「小心さ」は、できれば見たくない。
小心さを自覚するだけで、負けたような気になってしまいます。

たとえば、誰よりも立派にプレゼンをしたいという強烈な欲求がありながら、そのプレゼンでの失態を死ぬほど恐れている自分もいる。
失態を恐れるというよりも、その失態から自分の気の小ささを垣間見られてしまうのが、死ぬほどいやなのです。

字を書くとき手が震えるのがいや(書痙といいます)で、人前で字が書けないという人も、手が震えるのが他の理由(たとえば筋肉が疲れているとか)なら自分を許せるのです。
けれど、手が震えるのを人に見られて「気が小さいなぁ」と心を見透かされるのがいやなのです。

たとえば、そこまで負け嫌いでない人は、「あぁ、自分は気が小さいなぁ」で終わってしまうでしょう。
でも、それをどうしても認めたくない。
その性格をなんとか直そうとする、あるいは隠そうとする。

自分の性格の事実を、違うものにしようとするわけですから、どうしても日常の言動が不自然になります。

少しぐらい強がったり見栄を張ったりすることは、誰にでもあります。
けれど、あえて一つのことに集中してそれを隠そうとするのですから、毎日がとても不自由になります。

上の例で言えば、人前でのプレゼンで緊張しないように努力する。あるいは、人前で字を書くとき震えないようにと思う。

自分の「強力性」と「弱力性」がそこでバトルを繰り広げているのです。

自分は気が小さいのだ。
こういう時は緊張するのだ。
そう認めてしまえば楽なのですが、それを認めるのが悔しい。

その悔しさもわかります。
でも、まったく小心さのない人などいないし、負け嫌いでない人もなかなかいない。

ただ程度の差だけなのです。

自分はそれほど特別小心なわけではない。
ごく普通の人なのです。(普通と言われるのはイヤかもしれませんが)

そんな自分の性格を、知っておくことで、すこしずつ自分の「ありのまま」でいられる方向へ進めるかもしれません。


あじさい

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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