インナーチャイルドって・・・
インナーチャイルドワークって、どうも私は苦手。
なんだか不自然な気がして・・・ どうしてわざわざ子供の頃の自分を呼び出してかまってあげなくちゃいけないの?--そんな感じであまりきちんととりあげてこなかった。
でも、気がついた。
私はどうも子供の頃の自分がキライらしい。
だからインナーチャイルドという語感が気に入らない。
今はなんとかきちんとやっているんだから、今のことでいいじゃない、と思っていた。
しかしこれはひとつの落とし穴。
成長とか進歩とかいう名前の落とし穴みたい。
弱虫の自分が成長して強くなった・・・
できなかった自分が努力してできるようになった・・・
それはそれで生きていくなかで大切なことだけれど、否定しないけれど、でもできなかった頃の自分とか、弱さむき出しだった自分とか、それを踏みつぶしていることって、こわい。
現在の自分の肯定が、過去を否定することだったら、それは肯定でもなんでもない。
今より未熟だったけれど、昔の自分の未熟そのものを愛せるようになること・・・それって、完成形ではない人間をそのまま見られることにつながるのでしょう。
昔と今の比較ではない、これまでの一瞬一瞬に存在した自分の事実を、あんまり裁かずに受け入れていく。
今のところの私が考えているインナーチャイルドワークってそんな感じでしょうか。
なんだか不自然な気がして・・・ どうしてわざわざ子供の頃の自分を呼び出してかまってあげなくちゃいけないの?--そんな感じであまりきちんととりあげてこなかった。
でも、気がついた。
私はどうも子供の頃の自分がキライらしい。
だからインナーチャイルドという語感が気に入らない。
今はなんとかきちんとやっているんだから、今のことでいいじゃない、と思っていた。
しかしこれはひとつの落とし穴。
成長とか進歩とかいう名前の落とし穴みたい。
弱虫の自分が成長して強くなった・・・
できなかった自分が努力してできるようになった・・・
それはそれで生きていくなかで大切なことだけれど、否定しないけれど、でもできなかった頃の自分とか、弱さむき出しだった自分とか、それを踏みつぶしていることって、こわい。
現在の自分の肯定が、過去を否定することだったら、それは肯定でもなんでもない。
今より未熟だったけれど、昔の自分の未熟そのものを愛せるようになること・・・それって、完成形ではない人間をそのまま見られることにつながるのでしょう。
昔と今の比較ではない、これまでの一瞬一瞬に存在した自分の事実を、あんまり裁かずに受け入れていく。
今のところの私が考えているインナーチャイルドワークってそんな感じでしょうか。