母の悲しみ
仕事柄、今までいろいろな「母親の悩み」を聞いてきた。
もちろん、それは「母としての悩み」なので、つまり子についての悩みである。
本当に多様な悩みがある。
息子(あるいは娘)が統合失調症だとわかった。遺伝子に異常がある。ダウン症である。発達障害だと言われた。治療法のない病気にかかっている・・・。
もしかしたら自立することができないかもしれない子をかかえ、母親は不安と絶望感にさいなまれる。
運命を呪うという言葉が適当かもしれないが、たいていの母はそれよりも自分の責任を問う。
自分の遺伝子が悪かったのではないか・・・発症を未然に防ぐ何かができたのではないか・・
また、息子がひきこもっている、娘が摂食障害であるという母親。
子どもが非行に走ったという母親。
もっと大変なのは、自身が夫のDVにさらされ、やっと子を連れて逃げたと思ったら、子どもたちが様々な問題をあらわしてくるという母親。
子のことを愛しているからこそ、母の悩みは深い。
悩みの殆どは自責の念だろう。
やはり私の育て方が悪かったのだ。何がどこで間違ったのだろう?
責任を問うことで、問題が解決するわけでもないのに、世間もまた母の育て方を責める。
まるで「理想の母」というものが、どこかにいるかのような幻想は、まだ人々に共有されているからだ。
しかし、母もまた一人の人間であり、自分の境遇のなかで苦闘しているだけなのだ。
そんな苦闘を共有してくれる夫(つまり子にとっての父)がいる母は、それでもまだ救われる。
しかし、そのような夫がいない人もいれば、いても子に何の関心も示さず、かえって妻を非難する夫もいる。
母という存在は、歴史始まって以来、こんな悲しみを背負わされてきたのかもしれないと、思ったりする。
もちろん、それは「母としての悩み」なので、つまり子についての悩みである。
本当に多様な悩みがある。
息子(あるいは娘)が統合失調症だとわかった。遺伝子に異常がある。ダウン症である。発達障害だと言われた。治療法のない病気にかかっている・・・。
もしかしたら自立することができないかもしれない子をかかえ、母親は不安と絶望感にさいなまれる。
運命を呪うという言葉が適当かもしれないが、たいていの母はそれよりも自分の責任を問う。
自分の遺伝子が悪かったのではないか・・・発症を未然に防ぐ何かができたのではないか・・
また、息子がひきこもっている、娘が摂食障害であるという母親。
子どもが非行に走ったという母親。
もっと大変なのは、自身が夫のDVにさらされ、やっと子を連れて逃げたと思ったら、子どもたちが様々な問題をあらわしてくるという母親。
子のことを愛しているからこそ、母の悩みは深い。
悩みの殆どは自責の念だろう。
やはり私の育て方が悪かったのだ。何がどこで間違ったのだろう?
責任を問うことで、問題が解決するわけでもないのに、世間もまた母の育て方を責める。
まるで「理想の母」というものが、どこかにいるかのような幻想は、まだ人々に共有されているからだ。
しかし、母もまた一人の人間であり、自分の境遇のなかで苦闘しているだけなのだ。
そんな苦闘を共有してくれる夫(つまり子にとっての父)がいる母は、それでもまだ救われる。
しかし、そのような夫がいない人もいれば、いても子に何の関心も示さず、かえって妻を非難する夫もいる。
母という存在は、歴史始まって以来、こんな悲しみを背負わされてきたのかもしれないと、思ったりする。