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マラケシュの声

せっかくマニアックを標榜しているので、マニアックな話題に入っていきましょうか。

一度読んで、すぐに内容を忘れてしまう本と、いつまでもその本に描かれた情景が記憶に焼きつく本とがあります。

私にとってエリアス・カネッティの「マラケシュの声」は、なぜか忘れられない一冊。
これはカネッティが1954年頃、モロッコのマラケシュ(街の名前です)に旅し、滞在したときの旅行記。

かなり昔の話なので、きっと今はもうずいぶん様変わりしているのでしょう。

しかしその頃は、ヨーロッパから来た旅人にとって、その街の人々の生活は新鮮な違和感の連続だったに違いありません。
カネッティは、その感覚を音によって拾い上げます。

自分の国では聞いたことのない様々な音。

百人近い物乞いたちの唱和するコーラン。
建物の奥から愛の言葉を囁き続ける狂女。
鳥のさえずりのような子供たちの音読の声。
屠殺される駱駝のあげる叫び声。
道におかれた包みのなかから聞こえる呻き声。

その生活のあり様は、自分たちの価値観では「悲惨」とも見えるものかもしれません。
カネッティはそれを、見たまま、聞いたまま、読者に提供します。

というより、言葉のわからない異国の者は、それを音としてとらえるしかないのでしょう。

--「そこには、われわれの内部において初めて意味が生ずるような、さまざまの出来事や光景や音があった。それらは言葉によっては拾いあげられることも刈り込まれることもなかった。それらは言葉の域を越え、言葉よりも深みがあって複雑である。」

--「私は音自身の欲するままに、音そのものによって掴まれたかったし、不十分かつ不自然な知識によってそれをいささかも弱めたくなかったのである」


言葉で概念化するという行為は、時として、その対象から深みや意味、リアリティを削ぎ落とします。
しかしそれでも表現に言葉を使わなくてはならないのが、文学者としての宿命です。

カネッティのこの旅行記は、言葉によって「音」を響かせ、異様とも思える風景をそのまま、読者の前に差し出します。
読者はそれを受け取り、自分なりの世界へと移植します。

そのときに「言葉」よりも「情景」が、「言葉」よりも「音」が残るのが、あるいは優れた文章と言えるのかもしれません。

だから、私のなかには時を経ても、まるでマラケシュに行ったことがあるかのような、ひとつの経験であるかのような、情景と音、埃と喧騒がよみがえってくるのだと思います。




プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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