ブッダの死にかた、キリストの死にかた
私は寡聞にしてブッダがどのようにして死んだかを、つい最近まで知りませんでした。
五木寛之の対話集「霊の発見」(平凡社)に、ブッダの死のありさまが書かれています。
托鉢をしていたブッダは鍛冶屋の息子チュンダに頼まれ、説法をします。チュンダは感激して、明日自分たちの村でブッダにご馳走をしたいので来てくれと言います。ブッダは快く出かけて食事の供養を受けます。
鍛冶職人というのは、インドのカーストでは最も低い階層で、その村は貧しい被差別の村だったそうです。しかしブッダはあえてその村で食事をします。
チュンダは心をこめた料理を出しますが、出されたキノコの料理は明らかに腐っていた。極貧の村で、衛生的でもなく、それは仕方のないことだったのかもしれません。
ブッダはその料理を一口食べて、これは他の者に出さず土に埋めなさいとチュンダに言うのです。腐っていたのがわかったのでしょう。しかしブッダ自身は、チュンダが心をこめて作ったその料理を全部食べるのです。
その何時間かあとにブッダは猛烈な腹痛に襲われ、歩けなくなる。食中毒です。
クシナガラの地で最期を覚悟し川のほとりに座ったブッダは、付き添っていた弟子に「今、ここで自分が死んだら、悪いものを出して自分を死なせたとチュンダが非難される。だから彼に『最後にする供養は何倍もの価値がある』と伝え、くれぐれもチュンダが自分を責めたり、他人から非難されたりしないように配慮してほしい」と言って、死んでゆくのです。
ブッダ80歳。実に静かで地味な死にかたです。
私は今まで聖人の死というと、キリストしか知らなかったので、ブッダとキリストの最期の違いが興味深く感じられました。
キリストの死に方は、万人が知っていますね。
つき従っていた12弟子の一人、ユダに裏切られ、罪人として十字架につけられて死に、7日後に復活します。
33歳。なんともセンセーショナルな死に方です。
しかしキリストもたいへんだったのでしょう。
なにしろモーセから始まる何千年のユダヤ教の伝統、旧守的な律法学者たちに、お金も地位も何もない若者が立ち向かわなくてはならなかったわけです。こういう死に方をしない限り、自分の思想が歴史に残ることもなく、ただの預言者で終わってしまったかもしれません。
二人とも高貴な出自から、最下層の人々のなかに入っていって死にます。(キリストは大工の息子ですが、一応「神の子」なので・・・)本当の聖人とはそういうものなんでしょう。
突然個人的な話になりますが、私は中学校・高校とプロテスタントの学校で、毎日聖書を読まされました。キリストの生涯が、映画みたいに自分の頭のなかに描けるくらい新約聖書は読みました。
そのなかで特に私を悩ませたのは、ユダの存在でした。「キリストはこれで人類を救ったのかもしれないけれど、じゃぁ、ユダはどうなるの? ユダだけは例外で救われないの?」などと真剣に悩んだわけですね。
まさに思春期です。
でも最近発見された「ユダの福音書」のことを知って、「皆、同じこと考えるのね」と思いましたが。(このことはまた書きます)
で、ブッダの死に方を知って、なるほどと思いました。
キリストの死に方には、ヒロイズムの匂いがする。(別にヒロイズムが悪いわけではないのですけれど)
ヒロイズムには必ずユダが必要なんですね。
ヒーローには「影」が必要です。つまりヒーローをヒーローたらしめる存在、敵、反対者、圧迫者、裏切り者、無知な大衆などがいないと、人はヒーローにはなれません。
対立する二者が相手の存在を浮かび上がらせるのです。
こんなふうにブッダとキリストの死に方に差が出てくるのは、これは文化の問題なんじゃないかと、ふと思ったのです。
何千年も前の一個人の生涯です。正確なところは誰にもわかりません。
つまりこの二人の人生は、後世の人が「どのように伝えたか、伝えたかったか」で成り立っているわけです。
キリスト教圏の人々が培った理想の姿がキリスト。東洋の理想がブッダとすると・・・。
西洋のキリスト教文化圏では、「個人」というものが尊重され屹立し、各人の責任性が深く問われるような気がします。
対立をメインテーマとする二元論のなかでは、どちらかが「影」にならないと両者とも存在価値をなくすような部分がありそうです。
では東洋は?
腐った料理も相手のためを思ってあえて食べてしまうブッダ・・・
二元論などというかっきりした枠組みはなく、正邪すべてを飲み込んでしまう混沌が東洋にはありそうです。
このテーマ、いろいろな角度から見てみると、まだまだ面白い発見がありそうです。