ユダの福音書と逆転の発想

前回、キリストのことを書いたとき、少しだけユダについて触れたので、今回は「ユダの福音書」というものの、短い解説を・・・

「ユダの福音書」は、1970年代にエジプトで発見された、聖書の「外典」(現在の「聖書」は正典、外典はそれ以外の文書)で、その後、転々と売買され、やっと2006年に内容が解読され公表されたものです。
現在の推定では二世紀頃に成立したものだそうです。

なぜエジプトかというと、古代のエジプト・アレキサンドリアは、文化の中心。
アレキサンドリア図書館などというものもあり、膨大な蔵書を備えていたそうなのです。
ここは初期キリスト教の拠点でもあったそうです。

さて2006年当時、この福音書の発見がかなりのニュースになったのは、その内容がセンセーショナルだったから。

何しろ、あの「イスカリオテのユダ」が、裏切り者ではなく、むしろ12弟子から超越してイエスの本質を見抜き、イエスが十字架上で肉体から脱する手助けをしたと書かれてあったからです。
それも自ら汚名をかぶることを引き受けて。

当然あっていい解釈ですよね。
ユダがいなくてはキリストは十字架にかかることはできなかったわけで。

そうなるとユダは地獄に落ちる人ではなく、キリストの計画遂行を助けた人になるわけです。

でもこの福音書は、ユダが書いたわけではなく、グノーシス派というキリスト教の一宗派の人が、正典福音書を参考にして、当時の教会への反発の意味をこめて書いたものらしいです。

で、グノーシス派というのは、極端な二元論をとる宗派で、このように今まで悪と思われていたものを善にしてみたり、そういう反転した見かたをよくするのだそうです。


面白いのはそういう見かたの逆転ですね。

私たちも様々な場面で、逆転したものの見かたをすると、違う局面がわかったりします。

心理学でもそれは絶対必要で、ちょっと考えてみると、構図がまったく変わって見えたりする。

家族のなかで、病気がちやら自立できなかったりという「弱い」人がいて、周囲の人はその人をなんとか支えようとする「強い」人。
しかし、視点を変えれば、その弱いと言われている人は、その弱さをひとつの力にして、周囲の人のエネルギーをもらい、「強い」と言われる人たちは、実は強さゆえにどこにも助けを求められず、誰のケアも受けられない弱者だったりする。
(たとえばの話です。すべてがそうではありません)

「わがままは悪いこと」と、必死に自分を抑えて生きてきたら、気づくと周囲の人はどんどん好き勝手をやるようになってくる。こんなとき、自分が少しわがままを出すことは、周囲の人の自制や気づきのためには「善」になってくるのです。

固定した「善悪」観念や、「強い、弱い」概念を、少し流動させ、逆転させてみると、新しいものの見かたを発見できると思います。


「ユダの福音書」から、だいぶ脱線ですが。










プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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