風の又三郎

私はいつも新緑の季節に風が吹くと、風の又三郎がガラスのマントを着て空を飛んだのは、こんなふうに木々の葉が輝いているときなのだろうなと思っていました。
で、先日、「風の又三郎」を再読しました。
それでびっくりしたのは、私の思い込みとは大きく違い、あの物語は二百十日の頃、つまり9月1日、台風がよく来る季節の話なのですね。


私の季節感のなさでしょうか。
又三郎がのった風の強さも、肌合いも、匂いも、私には実感として感じられていないのかもしれません。


昔、水俣の詩人として有名な石牟礼道子さんのエッセイを、「すごい表現力よね」と友人に話したら、海辺で育ったその友人が「でもさ、あのエッセイの中には海や浜にいる生き物の感触とか動き方とかが、すごくうまく書いてあるんだけれど、東京の人はそういうのどう感じるのかな?」と言われてしまいました。


ま、仕方ありません。
人は本来、自分の育ったところの空気や感触だけしかわからないものかもしれませんし。


私は昔からなぜか、その地方にある独自の文化に興味をひかれるたちでした。
特に学生時代にはそれが高じて、友人たちと岩手県の旅館もない山奥に行き、しばし滞在したこともあります。


で、先日の「岡本太郎展」で、太郎が熱烈な興味を寄せた「なまはげ」や「鹿踊り(ししおどり)」のビデオを見て、またまたそれが再燃し、宮澤賢治再読となったわけです。

有名な「なまはげ」は、動画で見ると尋常でない迫力で恐ろしく、あれで子供を脅していいものだろうか、トラウマになるんじゃないかと本気で心配になりました。

「鹿踊り」のほうも、人間だか動物だかわからないような衣装を着て、髪振り乱して踊るのは、かなりの不気味さと迫力。

              鹿踊り



これを知ったうえで宮澤賢治の「鹿踊りのはじまり」を読むと、また違う感想になるのでしょうか。しかし、賢治の童話のなかのような可愛い鹿ではないですよね・・・。


東北の文化には、洗練されていないからこそ剥き出しで現れる原初の匂いがあって、それが心を惹きつけます。

対照的に宮澤賢治の童話や詩は、そのような土俗文化をどこかで化学変化させて、純化してしまったような透明感があります。
岩手県がイーハトーブになるわけです。
でもバックグラウンドに、森の深奥の暗さが潜んでいるからこそ、その透明感も際立つのでしょう。



そういえば、今回、岩手の種山高原というところに、素敵な「風の又三郎」像があることを知りました。

     風の又三郎2
                   ブログ「イーハトーブの森を抜けて」より


ぜひ種山高原に行って、この風の又三郎と会ってみたい、一度鹿踊りをナマで見たいという気持ちが湧いてきました。
東北に観光に行けば、それは復興の一助になるのでしょうか。
確かに、東北は観光客が激減してしまったと聞きます。
だから行こうかという気持ちと、「でも・・」という気持ちが葛藤します。


だって、同じ県のなかで、まだ避難生活をしているかたたちがいるのに、宿に泊まってのんびりと観光をするって、それはどう考えても心苦しい。
たとえ東北復興の助けになると頭では思っても、気持ちがすっきりしません。


人間の気持ちって、こんなふうに割り切れないことが多いものです。
でもきっと、それが人間の心の働きの精妙さ。
それはそれでいいのだと思います。


たいていの人は、葛藤しながら、時期を待つのでしょうね。
私もそうします。


でもこの機会に、あらためて東北の文化、伝承、文学などに目を向けてみるのもいいかもしれません。
そういう人が多ければ、それがきっと、将来の東北の再発展につながるでしょうから。
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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