夢の意味
人間の無意識は、ときとして不思議な働き方をします。
よく言われるのは「夢」として、出てくる無意識の働き。
いろいろな話がありますね。
ずっと考えていた難解な公式が夢のなかで解けたとか。
夢のなかで画期的な発見のヒントが示されたとか。
夢は当然のことながら、私たちの意識と連動して、眠っている間に私たちの心の有様を見せてくれます。
心理学にも、夢を扱う分野があります。
元祖は、フロイトの「夢分析」ですが、その他にも、クライエントさんと一緒に夢を展開していったり、いろいろなアプローチがあります。
でも、一番忘れてはならないポイントは、その夢の本当の意味は、夢を見た人にしかわからない。
セラピストがいくら解釈しても、それは推測にすぎない。
夢を見た人の広大な無意識の世界を、他の人が全部知っているわけではないからです。
さて、今朝、私は夢を見ました。
鮮明で奇妙な夢でした。
夢のなかで私は猫を抱いていて、抱きながらあせっているのです。
なぜあせっているかと言えば、私はずっとこの猫に餌をやるのを忘れていたのです。
「しまった! 他のことに夢中で、猫に餌をやるのを忘れていた!」
私は、猫に申し訳なくて、抱きかかえているのですが、その猫はまだ子猫で、目は開いていますが、心なしかぐったりしているのです。
ここで目が覚めました。
目が覚めても「たいへん!」というドキドキ感が残っていて、やっと「自分は猫を飼っていない」という現実を思い出し、ホッとしたという次第です。
でも、なんとなく、小さな猫に対する罪の意識のようなものは残っていました。
お昼過ぎになり、またこの夢のことを考えてみました。
私は誰かの世話をするのをおろそかにしているのか?
そう思ってみましたが、どちらかというと私は過剰に世話をするタイプです。
それで、ふと気付きました。
「猫」の意味するもの・・・・
それは、いつも昼寝していたり、遊んでいたり、人に甘えたり、じゃれたりして、それで許される存在です。
なるほど・・・・
「猫」は、私の「遊び心」・・・「ゆとり」とか「余暇」とか「趣味」とか、楽しいことに存分に浸れる心なのかもしれません。
そう解釈すると、この夢は、実に今の自分の状況をよく現わしているのかも。
どうも、私は遊び下手です。
自分のためにお金を使ったり、時間を使ったり、思い切って旅行に出かけたり、ということが下手です。
誰かが誘ってくれれば行きますが、自分から「~したい!」ということがなかなかありません。
つい、仕事とか、執筆とか、家事とか、やらなくてはならないことのほうに目が行きます。
それでいて、完全主義なので、なかなかそれが片付かない。
楽しいことは、気になることが全部片付いてから・・・と、思うと、いつまでたっても楽しいことができない。
何か新しいことを始めても、それが「健康のため・・」とか「仕事にプラスになるから・・」という理由なので、すぐ重荷になってきます。
楽しいこともしているのですが、心のなかで、いつもかすかな罪悪感があったのです。
「まだ、片付いていない仕事があるのに・・」とか、思ってしまうのですね。
そんな状況がずっと続いていて、きっと、私の無意識は「あかん!」と思ったのでしょう。
そうか、あの猫は私の「遊び心」で、無意識からの警告の一種なのかな。
そう思うと、ぴったりきました。
そうすると「猫に餌をやる」==「心から楽しむ」ということですね。
夏休みはとれなかったけれど、秋には、少し休みをとって、自分の行きたいところに行こう!
そう決心しました。
皆さんも、ご自身の印象的な夢を、そんなふうに使ってみたらいかがでしょう。
正解なんか目指さなくていい。
自分のなかで納得できればいいのです。
よく言われるのは「夢」として、出てくる無意識の働き。
いろいろな話がありますね。
ずっと考えていた難解な公式が夢のなかで解けたとか。
夢のなかで画期的な発見のヒントが示されたとか。
夢は当然のことながら、私たちの意識と連動して、眠っている間に私たちの心の有様を見せてくれます。
心理学にも、夢を扱う分野があります。
元祖は、フロイトの「夢分析」ですが、その他にも、クライエントさんと一緒に夢を展開していったり、いろいろなアプローチがあります。
でも、一番忘れてはならないポイントは、その夢の本当の意味は、夢を見た人にしかわからない。
セラピストがいくら解釈しても、それは推測にすぎない。
夢を見た人の広大な無意識の世界を、他の人が全部知っているわけではないからです。
さて、今朝、私は夢を見ました。
鮮明で奇妙な夢でした。
夢のなかで私は猫を抱いていて、抱きながらあせっているのです。
なぜあせっているかと言えば、私はずっとこの猫に餌をやるのを忘れていたのです。
「しまった! 他のことに夢中で、猫に餌をやるのを忘れていた!」
私は、猫に申し訳なくて、抱きかかえているのですが、その猫はまだ子猫で、目は開いていますが、心なしかぐったりしているのです。
ここで目が覚めました。
目が覚めても「たいへん!」というドキドキ感が残っていて、やっと「自分は猫を飼っていない」という現実を思い出し、ホッとしたという次第です。
でも、なんとなく、小さな猫に対する罪の意識のようなものは残っていました。
お昼過ぎになり、またこの夢のことを考えてみました。
私は誰かの世話をするのをおろそかにしているのか?
そう思ってみましたが、どちらかというと私は過剰に世話をするタイプです。
それで、ふと気付きました。
「猫」の意味するもの・・・・
それは、いつも昼寝していたり、遊んでいたり、人に甘えたり、じゃれたりして、それで許される存在です。
なるほど・・・・
「猫」は、私の「遊び心」・・・「ゆとり」とか「余暇」とか「趣味」とか、楽しいことに存分に浸れる心なのかもしれません。
そう解釈すると、この夢は、実に今の自分の状況をよく現わしているのかも。
どうも、私は遊び下手です。
自分のためにお金を使ったり、時間を使ったり、思い切って旅行に出かけたり、ということが下手です。
誰かが誘ってくれれば行きますが、自分から「~したい!」ということがなかなかありません。
つい、仕事とか、執筆とか、家事とか、やらなくてはならないことのほうに目が行きます。
それでいて、完全主義なので、なかなかそれが片付かない。
楽しいことは、気になることが全部片付いてから・・・と、思うと、いつまでたっても楽しいことができない。
何か新しいことを始めても、それが「健康のため・・」とか「仕事にプラスになるから・・」という理由なので、すぐ重荷になってきます。
楽しいこともしているのですが、心のなかで、いつもかすかな罪悪感があったのです。
「まだ、片付いていない仕事があるのに・・」とか、思ってしまうのですね。
そんな状況がずっと続いていて、きっと、私の無意識は「あかん!」と思ったのでしょう。
そうか、あの猫は私の「遊び心」で、無意識からの警告の一種なのかな。
そう思うと、ぴったりきました。
そうすると「猫に餌をやる」==「心から楽しむ」ということですね。
夏休みはとれなかったけれど、秋には、少し休みをとって、自分の行きたいところに行こう!
そう決心しました。
皆さんも、ご自身の印象的な夢を、そんなふうに使ってみたらいかがでしょう。
正解なんか目指さなくていい。
自分のなかで納得できればいいのです。