放射能恐怖に悩むかたへ
3・11以降、ときとして「自分は異常なほど放射能がこわい」「子供を抱えて不安でしかたがない」とおっしゃるかたとお会いすることがあります。
神経質的なかたで、普段から用心深いかたが多いようです。
自分のことというより、小さいお子さんを育てている最中のかたがほとんどです。
当然のことながら、いずれも東北・関東地方にお住まいのかたです。
お話を伺っていると、放射能がこわい、子供が内部被爆してしまうのではないかという心配とともに、もうひとつ悩んでいることがあります。
それは他のかたがたの無関心(と見える)態度です。
保育園や小学校に、「砂場の放射線量を計測してください」というと、「行政から指導されていないからするつもりはない」という説明とともに「他の父兄のかたがたはそれほど気にされていませんよ」と言われることがあるそうです。
買い物に行き、この野菜は買って大丈夫かと逡巡するときに、他のかたがたは何も迷わず買っているように見える。
こんなことを気にしているのは私だけだろうか。
私が、こういう性格だから、こんなことを気にしてしまうのだろうかと考え込んでしまう。
また、こういう話題になると夫が、「またそんなことを言っているのか」と不機嫌になる。
「安全だと言われているだろう」と言って、自分の不安に対して相談にのってくれないということに悩んでいるかたもいらっしゃいます。
つまり、他の神経症の症状と同じように、もともとの不安のうえに「こんなつまらぬことに悩んでいるのは、自分だけだろうか。報道では安全な範囲と言っているのに、それを信じられずにいるこんなに過敏な自分は異常だろうか」という悩みが加わるわけです。
それに、こういうかたがたは自己内省的ですから、「東京にいるのにこんな心配をして、もっと大変な福島の人に申し訳ない」と思ったりするのです。
そんなかたがたにとっては、しばらくはきつい時間が続くでしょう。
しかし、放射能を恐れること自体は、異常でも過敏でもありません。怖いものは怖い。それが当たり前のことです。
そしてその「怖さ」は、あなたやお子さんを危険から守ってくれているのです。
今回の原発事故では、最初「安全」と言われていたことが、だんだんとそれほど安全ではなかったことがわかってきています。
放射能恐怖で、極度に用心深い生活をしていたことは、絶対にマイナスではありません。
「放射能くらい大丈夫」と思って(あまり放射能の怖さを知らないで)注意を怠った人たちよりは、被ばく量はもちろん少ないでしょう。
臆病を恥じる事はありません。
それは人間の防衛本能でもあるのです。
そして「自分だけこんなに怖がっている」と思っているかたは、ネットなどで、同じように子供を抱えて、どうやって育てようか悩んでいるかたとつながると、ホッとするかもしれません。
東北・関東地区に住んで子育てをしていれば、不安にならざるを得ないのです。
不安になるのが自然なのです。
ただ、ひとつだけ心しておかなければならないことは、「完全に」放射能を遮断することは「不可能」だということです。
そういうイメージで生活していると、すべてが不自由になってきます。
不幸にして「放射能」というものは、無色無味無臭、まったく目に見えない五感では把握できないものです。
完全に放射能から逃げるということを目標にしていると、だんだん身動きがとれなくなってきます。
子供を外で遊ばせられない。給食も疑わしくて拒否するということになってきます。
また自分も手作りの食事にこだわり、疲労困憊してきます。
放射能を避けることも大事ですが、その時期の子供たちにはそれ以外に大事なこともあるのです。
そして子供のことだけでなく、自分には自分の生活、自分の楽しみがあるはずです。
怖いものはそれでいいし、注意を怠らないのも正解ですが、生活がそれだけになってしまっては、本末転倒。
怖がりつつも子供の生活のバランスを考える。
怖がりつつも、たまには気晴らしに遊びに出かける。
放射能ストレスを減らす工夫にも目を向けて、この時期を乗り切りたいですね。