強迫神経症があっても・・その1「名探偵モンク」
米国には、強迫神経症の人が登場する映画がいくつかあります。その人物が登場すると、他の人が「黴菌恐怖?」とか聞くので、きっと認知度が高いのでしょう。
ずっと昔の話ですが、「The boy who couldn’t stop washing」(Rapoport,J,1989)という本がベストセラーになったことがあります。
内容としては、とうとう強迫神経症を治す薬が開発された! というのがメインの本だったのですが、米国には400万人以上の強迫神経症者がいると書いてあります。
どちらかというと、日本では「対人恐怖」のほうが有名だし、人数も多いのではないかと思います。
この相違は、きっと文化の違いでしょう。
不安というものが欲望の反面であるのならば、日本人は対人関係に不安と欲望を感じる人が多く、米国人は完全ということに不安と欲望を感じる人が多い。
つまり、日本人は生きていくために、対人関係が大事。
米国人は生きていくために、きちんと仕事ができるなどという「完全な能力」が大切になってくるわけです。
さて、今回は、強迫神経症の主人公が出てくる映画について・・・
まずは新しいところで「名探偵モンク」。テレビシリーズです。
強迫神経症のために刑事をやめ、犯罪コンサルタントをしているモンク氏、百発百中の推理力で難事件を解決してしまいます。
しかし彼のそばには、いつも看護士のシャローナがいて、彼が握手したら濡れティッシュを差出し、彼がパニックになったらなだめなくてはなりません。
もちろんモンク氏は、毎週精神科医のところにカウンセリングに通っています。
モンク氏や、彼をとりまく人物たちのキャラクター設定が面白く、笑いながら見てしまいますが、「強迫神経症」をポイントに見ると、「なるほど」と納得したり、「ここは違うんじゃない?」と疑問を感じたり・・・なかなか興味は尽きません。
まずはシャローナの存在。
強迫神経症の人は、時として(全員ではありませんが)、自分が依存できる人がそばにいると安心します。
その人に「大丈夫?」と確認して、「大丈夫」と言ってもらうと安心するという存在です。
母親だったり、配偶者だったりということが多いようですが、モンク氏の場合、それが看護士のシャローナというわけです。
けれど、その依存する相手の心のなかのことまでは、あまり考えが及ばない。モンク氏も、それで時々シャローナを怒らせてしまいます。「思いやりがない!」というわけです。そしてモンク氏が人の心のなかまで考えて共感したりしたときに、シャローナは「今、相手に共感できたじゃない! すごいわ」とほめてあげたりするのです。
それから推理の手法。
面白いのは、彼の推理の手法。徹底的な観察と、論理的な推理から犯人を追いつめていきます。
あくまで「モノ」にこだわり、現実的であるという部分、実に強迫神経症的です。
海外の探偵ものには、相手の心理を深く読み込み、それで犯人を割り出していくという手法のものもあります。
けれどモンク氏は観察と記憶から推理していきます。
私は常々、神経症圏の人たちはかなり現実的な人たちだと思っていました。
確かに、悩みの真っ最中のときには、非現実的な恐怖などにとらわれますが、根本的にはあまり天馬空をゆくような空想、想像はないような気がします。
モンクシリーズを見ていて、その理由がわかった気がしました。
サスペンスものによくある下水道での追跡シーン。
スタイリッシュなアクションだと、ヒーローたちは、まるでそこが下水道ではないかのように、水のなかをバシャバシャと駆けていきます。
よく考えれば臭いし、汚いですよね?
モンク氏は下水道に降り立つと、「臭い! 汚い!」でパニック状態になります。
そう、当たり前ですよね。それが現実。
そのシーンを見ていて、強迫神経症の人たちというのは、現実を実にリアルに見ている人たちで、リアルなその感覚を拡大強調して感じてしまうのだなと思いました。
現実から他のイメージに飛んでいくという感じはまったくないのでしょうね。
そんなふうにいろいろと考えながら見ていると面白いシリーズです。
どうしてこれが強迫神経症なの?と思うシーンも多々ありますが、フィクションですので仕方ありません。
それに、回を重ねるにつれ、だんだんモンク氏の奇人ぶりばかり強調されてきます。
テレビドラマですからね・・・
でも、コメディタッチだし、犯罪ものにありがちな気持ちの悪いシーンもなく、毎回大笑いできて、ストレス解消にはいいドラマシリーズです。
強迫神経症があっても、仕事はできる!
当たり前のことですが。
ずっと昔の話ですが、「The boy who couldn’t stop washing」(Rapoport,J,1989)という本がベストセラーになったことがあります。
内容としては、とうとう強迫神経症を治す薬が開発された! というのがメインの本だったのですが、米国には400万人以上の強迫神経症者がいると書いてあります。
どちらかというと、日本では「対人恐怖」のほうが有名だし、人数も多いのではないかと思います。
この相違は、きっと文化の違いでしょう。
不安というものが欲望の反面であるのならば、日本人は対人関係に不安と欲望を感じる人が多く、米国人は完全ということに不安と欲望を感じる人が多い。
つまり、日本人は生きていくために、対人関係が大事。
米国人は生きていくために、きちんと仕事ができるなどという「完全な能力」が大切になってくるわけです。
さて、今回は、強迫神経症の主人公が出てくる映画について・・・
まずは新しいところで「名探偵モンク」。テレビシリーズです。
強迫神経症のために刑事をやめ、犯罪コンサルタントをしているモンク氏、百発百中の推理力で難事件を解決してしまいます。
しかし彼のそばには、いつも看護士のシャローナがいて、彼が握手したら濡れティッシュを差出し、彼がパニックになったらなだめなくてはなりません。
もちろんモンク氏は、毎週精神科医のところにカウンセリングに通っています。
モンク氏や、彼をとりまく人物たちのキャラクター設定が面白く、笑いながら見てしまいますが、「強迫神経症」をポイントに見ると、「なるほど」と納得したり、「ここは違うんじゃない?」と疑問を感じたり・・・なかなか興味は尽きません。
まずはシャローナの存在。
強迫神経症の人は、時として(全員ではありませんが)、自分が依存できる人がそばにいると安心します。
その人に「大丈夫?」と確認して、「大丈夫」と言ってもらうと安心するという存在です。
母親だったり、配偶者だったりということが多いようですが、モンク氏の場合、それが看護士のシャローナというわけです。
けれど、その依存する相手の心のなかのことまでは、あまり考えが及ばない。モンク氏も、それで時々シャローナを怒らせてしまいます。「思いやりがない!」というわけです。そしてモンク氏が人の心のなかまで考えて共感したりしたときに、シャローナは「今、相手に共感できたじゃない! すごいわ」とほめてあげたりするのです。
それから推理の手法。
面白いのは、彼の推理の手法。徹底的な観察と、論理的な推理から犯人を追いつめていきます。
あくまで「モノ」にこだわり、現実的であるという部分、実に強迫神経症的です。
海外の探偵ものには、相手の心理を深く読み込み、それで犯人を割り出していくという手法のものもあります。
けれどモンク氏は観察と記憶から推理していきます。
私は常々、神経症圏の人たちはかなり現実的な人たちだと思っていました。
確かに、悩みの真っ最中のときには、非現実的な恐怖などにとらわれますが、根本的にはあまり天馬空をゆくような空想、想像はないような気がします。
モンクシリーズを見ていて、その理由がわかった気がしました。
サスペンスものによくある下水道での追跡シーン。
スタイリッシュなアクションだと、ヒーローたちは、まるでそこが下水道ではないかのように、水のなかをバシャバシャと駆けていきます。
よく考えれば臭いし、汚いですよね?
モンク氏は下水道に降り立つと、「臭い! 汚い!」でパニック状態になります。
そう、当たり前ですよね。それが現実。
そのシーンを見ていて、強迫神経症の人たちというのは、現実を実にリアルに見ている人たちで、リアルなその感覚を拡大強調して感じてしまうのだなと思いました。
現実から他のイメージに飛んでいくという感じはまったくないのでしょうね。
そんなふうにいろいろと考えながら見ていると面白いシリーズです。
どうしてこれが強迫神経症なの?と思うシーンも多々ありますが、フィクションですので仕方ありません。
それに、回を重ねるにつれ、だんだんモンク氏の奇人ぶりばかり強調されてきます。
テレビドラマですからね・・・
でも、コメディタッチだし、犯罪ものにありがちな気持ちの悪いシーンもなく、毎回大笑いできて、ストレス解消にはいいドラマシリーズです。
強迫神経症があっても、仕事はできる!
当たり前のことですが。