強迫神経症があっても その2 「恋愛小説家」
さて、海外には強迫神経症をとりあげた映画が、いくつかありますね。
代表的なもので、ヒットしたのが、「恋愛小説家」。
ジャック・ニコルソンが主演です。
主人公メルビンは、ただの一度も恋愛したことがないのに、60作以上の恋愛小説を書く作家。
彼は強迫神経症で、決まった日常のルールを守り続けています。
たとえば、決まった回数鍵を確認。いくつも石鹸を使って手を洗う。決まったレストランの決まった席で食事をする。道路の敷石の継ぎ目は絶対に踏まない。
自分の決めたルールが守れないと、パニックになり、怒ったり、人を攻撃したりします。
その彼が、ゲイの隣人と関わり、その犬を預かるところから変化が始まります。汚いと思っていた犬に愛着を覚えてしまう。
そして通っていたレストランのウエイトレス、キャロルの優しさに惹かれるようになります。
恋愛をしたことのない恋愛小説家が、初めて恋愛をするに至るという映画です。
キャロルに恋をした彼は、自分の変化に気づきます。なんと鍵をかけ忘れるのです!
とにかくとても心温まる映画なのです。
それにさすがにジャック・ニコルソン。微妙なところがとてもうまい。
ヘタな役者がやったら、メルビンは、ただの「イヤな奴」になってしまう。
そこを救いようがある感じに描いているのは、さすがの演技力があるからでしょう。
たとえばメルビンは、よく相手に対して差別的なことを言ったり、傷つくようなことを言ったりします。
ところが、相手が反撃したり、怒ったりすると、「えっ?」という顔をします。
そう、多分彼は、相手の心のなかに起こっていることなんて、想像できないのです。
彼は相手を攻撃しているわけでもなく、思ったことを言っているだけなのかもしれません。
そういう相手の心理とか立場の微妙さが理解できない、というか、強迫行為が大変でそこまで余裕がないのでしょう。
相手もそれがわかるから、なんとなく憎めない。
しかし日本の強迫神経症の人は、メルビンのような露骨なことはもちろん言いません。
他者配慮的だし(文化がそうですから)、むしろ「相手を傷つけなかったろうか」という強迫観念に悩む人すらいます。
でも強迫神経症に悩んでいるときは、まったく余裕がなくて、相手の心とか立場とかが理解できないというところは似ています。
しかし、そもそもメルビンって強迫神経症なんでしょうか?
強迫行為はしているけれど、あまり自分が困っている感じもないですよね。どんどん悪化していく様子もないし・・・。
強迫性人格障害かなとは思いますが。
ま、映画ですし、しょせんフィクション・・・
でも、強迫的な人のことを結構理解して作っているかもしれません。
そういうふうに思うのは、彼の悩みが治っていくポイントが的を射ていると思うからです。
怪我をした隣人の代わりに犬の世話をして情が移り、自分勝手な理由ながら、キャロルの子供の援助をして、思いがけずキャロルに感謝される。
孤立して、自分の世界を守ることに汲々としていた彼が、他者と(他犬と)交流し、今まで奥底に秘めていた、情感に気づくようになる。
(ちなみに、この映画では、犬が泣きます! すごい演技力。この犬はアカデミー賞もらえなかったんでしょうか)
自分の感情を自覚するだけでなく、他の人と感情の交流をすることができるようになる。
それって、強迫神経症治癒のポイントではないでしょうか。
もちろん、私の考える治癒のポイントですが。
そこらへんを書いていると長くなるので、やめますが、とにかく後半、彼が不器用ながらキャロルや隣人のことを思い、不器用に手を差し伸べるところは、素直に「がんばれ!」と感じられます。
脇道にそれますが、この映画のタイトル「As good as it gets」は、メルビンがかかりつけの精神科医の待合室で、待っている人たちに言う言葉。
「This is as good as it gets!」
日本語字幕では「希望なんか無駄だぞ」と翻訳されています。
しかしこの言葉には正反対の意味もあり、「最高に素晴らしい」という表現にもなります。
洒落た「かけことば」なんですね。
あ、ここでまたひとこと余計なことを言いたくなった。
この精神科医は、メルビンにホトホト手を焼いている様子で「ちゃんと予約をとってから来てくれ」と追い返します。
そのときにお医者様は、医院がずっと前に改装されていることも、ドクターがひげを生やしたことも、メルビンがまったく気づいていないことを指摘します。
そうなんですね。症状が大変なときって、周りのことには、ほとんど目がいかないんですよね。
やはり、この映画の作者は、強迫神経症のことを、よく理解して作っているようです。
ともあれ、強迫神経症でも恋愛はできる!
言うまでもないことですが。
代表的なもので、ヒットしたのが、「恋愛小説家」。
ジャック・ニコルソンが主演です。
主人公メルビンは、ただの一度も恋愛したことがないのに、60作以上の恋愛小説を書く作家。
彼は強迫神経症で、決まった日常のルールを守り続けています。
たとえば、決まった回数鍵を確認。いくつも石鹸を使って手を洗う。決まったレストランの決まった席で食事をする。道路の敷石の継ぎ目は絶対に踏まない。
自分の決めたルールが守れないと、パニックになり、怒ったり、人を攻撃したりします。
その彼が、ゲイの隣人と関わり、その犬を預かるところから変化が始まります。汚いと思っていた犬に愛着を覚えてしまう。
そして通っていたレストランのウエイトレス、キャロルの優しさに惹かれるようになります。
恋愛をしたことのない恋愛小説家が、初めて恋愛をするに至るという映画です。
キャロルに恋をした彼は、自分の変化に気づきます。なんと鍵をかけ忘れるのです!
とにかくとても心温まる映画なのです。
それにさすがにジャック・ニコルソン。微妙なところがとてもうまい。
ヘタな役者がやったら、メルビンは、ただの「イヤな奴」になってしまう。
そこを救いようがある感じに描いているのは、さすがの演技力があるからでしょう。
たとえばメルビンは、よく相手に対して差別的なことを言ったり、傷つくようなことを言ったりします。
ところが、相手が反撃したり、怒ったりすると、「えっ?」という顔をします。
そう、多分彼は、相手の心のなかに起こっていることなんて、想像できないのです。
彼は相手を攻撃しているわけでもなく、思ったことを言っているだけなのかもしれません。
そういう相手の心理とか立場の微妙さが理解できない、というか、強迫行為が大変でそこまで余裕がないのでしょう。
相手もそれがわかるから、なんとなく憎めない。
しかし日本の強迫神経症の人は、メルビンのような露骨なことはもちろん言いません。
他者配慮的だし(文化がそうですから)、むしろ「相手を傷つけなかったろうか」という強迫観念に悩む人すらいます。
でも強迫神経症に悩んでいるときは、まったく余裕がなくて、相手の心とか立場とかが理解できないというところは似ています。
しかし、そもそもメルビンって強迫神経症なんでしょうか?
強迫行為はしているけれど、あまり自分が困っている感じもないですよね。どんどん悪化していく様子もないし・・・。
強迫性人格障害かなとは思いますが。
ま、映画ですし、しょせんフィクション・・・
でも、強迫的な人のことを結構理解して作っているかもしれません。
そういうふうに思うのは、彼の悩みが治っていくポイントが的を射ていると思うからです。
怪我をした隣人の代わりに犬の世話をして情が移り、自分勝手な理由ながら、キャロルの子供の援助をして、思いがけずキャロルに感謝される。
孤立して、自分の世界を守ることに汲々としていた彼が、他者と(他犬と)交流し、今まで奥底に秘めていた、情感に気づくようになる。
(ちなみに、この映画では、犬が泣きます! すごい演技力。この犬はアカデミー賞もらえなかったんでしょうか)
自分の感情を自覚するだけでなく、他の人と感情の交流をすることができるようになる。
それって、強迫神経症治癒のポイントではないでしょうか。
もちろん、私の考える治癒のポイントですが。
そこらへんを書いていると長くなるので、やめますが、とにかく後半、彼が不器用ながらキャロルや隣人のことを思い、不器用に手を差し伸べるところは、素直に「がんばれ!」と感じられます。
脇道にそれますが、この映画のタイトル「As good as it gets」は、メルビンがかかりつけの精神科医の待合室で、待っている人たちに言う言葉。
「This is as good as it gets!」
日本語字幕では「希望なんか無駄だぞ」と翻訳されています。
しかしこの言葉には正反対の意味もあり、「最高に素晴らしい」という表現にもなります。
洒落た「かけことば」なんですね。
あ、ここでまたひとこと余計なことを言いたくなった。
この精神科医は、メルビンにホトホト手を焼いている様子で「ちゃんと予約をとってから来てくれ」と追い返します。
そのときにお医者様は、医院がずっと前に改装されていることも、ドクターがひげを生やしたことも、メルビンがまったく気づいていないことを指摘します。
そうなんですね。症状が大変なときって、周りのことには、ほとんど目がいかないんですよね。
やはり、この映画の作者は、強迫神経症のことを、よく理解して作っているようです。
ともあれ、強迫神経症でも恋愛はできる!
言うまでもないことですが。