家系の記憶
先日「ある公爵夫人の生涯」という映画をレンタルして見ました。
われながら、なぜこれを選んだのかよくわからないのですが、とにかく借りてきたからには見ましょうということで、観賞しました。
これは2008年の映画。
イギリスの歴史物で、18世紀後半のお話です。
スペンサー家の令嬢のジョージアナは、富裕な貴族デボンシャー公爵に17歳で嫁ぎます。
ところが嫁いだ相手の公爵は、まったく彼女を愛しておらず、息子を生んでほしいだけの結婚でした。
それに加えて、彼女が家に住ませた親友のエリザベスと公然と浮気をするのです。
彼女は、しかしそんな家庭の事情にも関わらず社交界の花となり、政治的な活動をし、芸術を愛し、人びとから愛され、注目の的となります。
そして彼女の死後、公爵はエリザベスと再婚するのです。
私としては、さして面白いと思えない映画でしたが・・・・このジョージアナが、あのダイアナ妃の先祖であり、そしてこのストーリーとなると、興味が湧きました。
実際、映画公開当時は、ジョージアナとダイアナ妃の人生の相似を宣伝の謳い文句にしたようです。
その当時、私は関心がなかったのですが、かなり話題になったのでしょうか?
歴史は繰り返される――というキャッチフレーズでしたが。
さて、ここからが私の妄想です。
心理療法をする際、その人の家系図(ジェノグラムと言いますね)が、とても重要と言われます。
「家系図を見れば、その人がわかる」とまで言う人もいます。
ダイアナ妃の出たスペンサー家は、美人を輩出した家系だそうです。
それで上流階級だったら、当然政略結婚に利用されます。
だとしたら、同じ悲劇が繰り返される可能性も高かったわけです。
それに、家系に何か一定の傾向というのは、出やすいものです。
たとえば、病弱な家系とか、酒飲みの家系とか、美人の家系、学者の家系、エネルギッシュな実業家を輩出する家系とか・・・。
DNAのことを考えれば、それもまた自然なことかもしれません。
しかしジョージアナとダイアナ妃との人生の相似は、DNAだけでは説明がつかない部分もありますね。
思うに、もしかしたら、対人関係・夫婦関係のパターンというのも、伝承されているのかもしれません。
昨今「次世代AC」ということが認識されてきています。
AC(安全な子ども時代を過ごせなかった人)が家庭を持ち、その家庭はおだやかで、子どもたちもごく普通の子ども時代を過ごす。
たとえば、アルコール依存の父のもとで、「良い子」として育った人が、自分は酒を一滴も飲まず、平和な家庭を作る。
でも、その子どもたちにACの特徴が出てくることがあるのです。
これは実際にあることです。
なぜそうなるのか?
表面的な行動では、真逆のことをしても、そのなかに含まれる対人関係のパターン、感情表出のパターン、価値観などは、変わらず伝承されるからです。
それに、子どもというのは、無意識に親の生き方を模倣するものです。
ですからこれをACだけの話にすると、なんだか、「不幸は不幸を呼ぶのね」みたいな話になりますが、そうではなくて・・
ACに限らず考えてみると、その家系独特の夫婦関係のありかたや対人関係のパターンが、すこしずつ形を変えて伝承されるというのは、確かかもしれません。
またその家系の社会的な立場というのも、影響が大きいでしょう。
こんなことを言うと、「宿命論」と言われてしまうかもしれませんが、価値判断を抜きにして考えると、ある意味これは当り前のことかもしれません。
社会に歴史があるように、その家族にも歴史がある。そして個人にも歴史がある。
その歴史が私たちを形作っているのですから。
家族の歴史を考えるのは、自分を知るためのひとつの手段にもなり得ます。
そして私たちが目を向けなくてはならないのは、「なぜ歴史は繰り返されるのか?」ということ。
その歴史を繰り返したくないのなら、私たちが何をすればいいのか、ということですね。
次世代ACについて知りたい方は、こんな本があります。


われながら、なぜこれを選んだのかよくわからないのですが、とにかく借りてきたからには見ましょうということで、観賞しました。
これは2008年の映画。
イギリスの歴史物で、18世紀後半のお話です。
スペンサー家の令嬢のジョージアナは、富裕な貴族デボンシャー公爵に17歳で嫁ぎます。
ところが嫁いだ相手の公爵は、まったく彼女を愛しておらず、息子を生んでほしいだけの結婚でした。
それに加えて、彼女が家に住ませた親友のエリザベスと公然と浮気をするのです。
彼女は、しかしそんな家庭の事情にも関わらず社交界の花となり、政治的な活動をし、芸術を愛し、人びとから愛され、注目の的となります。
そして彼女の死後、公爵はエリザベスと再婚するのです。
私としては、さして面白いと思えない映画でしたが・・・・このジョージアナが、あのダイアナ妃の先祖であり、そしてこのストーリーとなると、興味が湧きました。
実際、映画公開当時は、ジョージアナとダイアナ妃の人生の相似を宣伝の謳い文句にしたようです。
その当時、私は関心がなかったのですが、かなり話題になったのでしょうか?
歴史は繰り返される――というキャッチフレーズでしたが。
さて、ここからが私の妄想です。
心理療法をする際、その人の家系図(ジェノグラムと言いますね)が、とても重要と言われます。
「家系図を見れば、その人がわかる」とまで言う人もいます。
ダイアナ妃の出たスペンサー家は、美人を輩出した家系だそうです。
それで上流階級だったら、当然政略結婚に利用されます。
だとしたら、同じ悲劇が繰り返される可能性も高かったわけです。
それに、家系に何か一定の傾向というのは、出やすいものです。
たとえば、病弱な家系とか、酒飲みの家系とか、美人の家系、学者の家系、エネルギッシュな実業家を輩出する家系とか・・・。
DNAのことを考えれば、それもまた自然なことかもしれません。
しかしジョージアナとダイアナ妃との人生の相似は、DNAだけでは説明がつかない部分もありますね。
思うに、もしかしたら、対人関係・夫婦関係のパターンというのも、伝承されているのかもしれません。
昨今「次世代AC」ということが認識されてきています。
AC(安全な子ども時代を過ごせなかった人)が家庭を持ち、その家庭はおだやかで、子どもたちもごく普通の子ども時代を過ごす。
たとえば、アルコール依存の父のもとで、「良い子」として育った人が、自分は酒を一滴も飲まず、平和な家庭を作る。
でも、その子どもたちにACの特徴が出てくることがあるのです。
これは実際にあることです。
なぜそうなるのか?
表面的な行動では、真逆のことをしても、そのなかに含まれる対人関係のパターン、感情表出のパターン、価値観などは、変わらず伝承されるからです。
それに、子どもというのは、無意識に親の生き方を模倣するものです。
ですからこれをACだけの話にすると、なんだか、「不幸は不幸を呼ぶのね」みたいな話になりますが、そうではなくて・・
ACに限らず考えてみると、その家系独特の夫婦関係のありかたや対人関係のパターンが、すこしずつ形を変えて伝承されるというのは、確かかもしれません。
またその家系の社会的な立場というのも、影響が大きいでしょう。
こんなことを言うと、「宿命論」と言われてしまうかもしれませんが、価値判断を抜きにして考えると、ある意味これは当り前のことかもしれません。
社会に歴史があるように、その家族にも歴史がある。そして個人にも歴史がある。
その歴史が私たちを形作っているのですから。
家族の歴史を考えるのは、自分を知るためのひとつの手段にもなり得ます。
そして私たちが目を向けなくてはならないのは、「なぜ歴史は繰り返されるのか?」ということ。
その歴史を繰り返したくないのなら、私たちが何をすればいいのか、ということですね。
次世代ACについて知りたい方は、こんな本があります。