身体と季節
唐突に夏が終わり、唐突に秋になりました。
今日は中秋の名月。
でも台風がきているので、見られそうにありません。
人間が自然の一部である限り、人間の身心も、自然と離れては存在できません。
季節によって、身体の調子が変化するように、心の状態も変化します。
以前、精神療法関係の団体の事務局にいたことがありますが、毎年、必ず電話が増える時期がありました。
それも、あきらかに「その話ちょっとおかしい」というような電話が増えるのです。
そうすると、あぁ、春が近い・・・と感じたものです。
「木の芽どき」と言います。
2月末から3月、身心のバランスが崩れやすいときなのでしょう。
そして、これからの秋冬、人の心が「うつ」的になりやすい季節です。
「季節性うつ」と言いますが、日照時間が短くなることと関係があるようです。
何か暗い方向にしか考えられなかったり、どんよりとしてしまったり・・・
しかしそれをあんまり「困ったこと」ととらえると、またまた心配事が増えてしまいます。
自分のせいではなく、季節と身体との相互作用と思えば、活動量を控えたり、自分なりの工夫をしてその時期をやり過ごすことができます。
あんまりムキになって「対策」しないことも「対策」かもしれません。
たとえば「うつ」的だから楽しい曲を聞いて気分をあげようとか、それも適度ならいいのですが、落差が激しいとますます疲れてしまったりということがあります。
芸術鑑賞とか、映画、音楽でも適度に同じムードのものに浸ることで癒される部分もあります。
「悲しみが悲しみを癒す」ということもあるのです。
さて、あまりにも酷夏だった今年の夏が終わり、今は少しホッとして、センチメンタルになる時期かもしれません。
夏の終わり(といっても、もう10月ですが)の私の定番。
「8月の濡れた砂」です。
これは70年代の学生運動や若者文化の終焉の時期に流れた歌であり、その世代の青春の終わりを象徴する歌でもあります。