時間を意識する
PCの電源を入れてから、PCが立ち上がるまでに、少し時間がかかります。
特に、私のPCはデスクトップにやたらガジェットを入れたりしているので、1,2分待たされます。
元気なときには、この時間に何をしようかと考え、すぐ手が出ます。
たとえば、PCの周りを整理してみたり、埃のたまっているところをティッシュで拭いてみたり、
飲み物を冷蔵庫にとりに行ったり・・・
たとえ1,2分でも、何かができます。
ところが、何か考え事があるときとか、元気がないときには、その時間は画面を眺めて放心状態。
意識はどこかへ行ってしまって、気になることをいろいろ考えたりしています。
たとえPCが立ち上がる数分間でも、その時間を意識し、その時間に何かしようとするということを、お仕事をなさっているかたは、常時やっているのではないかと思います。
また主婦のかたでも、料理をするとき、電子レンジで何分か温めているときに、その時間にお皿を洗ったり、ということは、日常なさっていることかもしれません。
よく料理の達人は、料理が終わると、料理中に使った器具もすべて洗い終わっていると言います。
(私はもちろん料理の達人でもなく、四苦八苦して料理するほうなので、こんなことはできません)
こんなふうに「時間を意識すること」を、森田正馬はよく言ったり、実際に行ったりしていました。
これも、森田療法の技法のひとつと言えるかもしれません。
たとえば、PCの立ち上がる合間に「何かできることはないかな」と探すような人は、神経症にはなりにくいでしょう。
神経症的な時期には、こんなちょっとのヒマにも、自分の悩み、心配事、後悔などに頭が行って、PCがもう立ち上がっているのにも気がつかないかもしれません。
ヘタをすると何時間もボ~ッと自分の失敗のこと、悩み事を考え続けて日が暮れるということもあるかもしれません。
だからといって、森田療法というのは、「いつもいつもコマネズミのように忙しくしていろ」というものではありません。
「時間を大切にしよう」というものでもないのです。
そういうふうにとらえると、それがまた別の「かくあるべし」になって、「時間は大切にしなくてはならない」と、疲れ果てるまで動きまわることになります。
決して、「いつも有意義な活動をしていなさい」というものではない。
昼寝したって、だらだらしていても、それはそれで自分の選択なのですから、いいのです。
ここらあたりが、森田療法を解説するときの難しさ。
ただ、「PCを立ち上げる数分の間でもこんなことができる!」という発見とか、「その数分を何に使おう」と考える心の働きが呼び水になって、その人の気持ちが活気づいてくることが大切なのです。
そんなふうにしていると、心は自分の内面だけでなく、外側の世界にも向いてくる。
そのきっかけのひとつが、時間を意識するということなのだと思います。