他人の目が気になる・・・
「他人の目が気になってしかたない」という悩みは多いですね。
他人にどう思われているか、どんなふうに映っているのかは、気になるものです。
ひょっとして、馬鹿にされているのではないか、お高くとまっていると思われているのではないか、変な人と思われているのではないか・・・
そんな思いがとめどなく湧いてくる、このような苦しさに悩むかたも多いでしょう。
しかし、他人の目がまったく気にならないとどうなるでしょう。
よくいますね。
電車のなかでお化粧している人。
優先席で通話している人。
そんな人にはなりたくない・・
でも、他人の目ばかり気にしたくない・・
そんな葛藤に悩むのは不快なことだけれど、実は自然なことでもあるのではないでしょうか。
他人の目や他人の評価が気になることを、逆に生かすこともできます。
それを利用するのです。
たとえば「◯◯をします!」と公言することで、のっぴきならなくなり、実行に拍車がかかるということもあります。
私は、怠惰なので、この手はよく使います。
宣言しないと、何もやらずに終わりそうだからです。
あるいは強迫神経症のかたにとっては、この「他人の目が気になる」ことは、大いに活用できます。
実は、対人恐怖のかたに負けず劣らず、強迫神経症のかたも「他人の目が気になる」タイプです。
それを利用して、なるべく人の目がある、強迫行為ができないところに身を置くのです。
家庭だと、好きなだけ強迫行為ができます。
だから、外に出るのです。
人とまじわる、それも仕事やグループ活動のような、ある程度の厳しさがあるところがいい。
「変な人」と思われたくないのですから、必死で仕事や活動をします。
その時間は強迫観念を忘れているわけです。
忘れている時間が長いほど、症状は軽くなります。
そんなふうに、「人の目を気にする」ことを利用してしまえばいいのです。
でも、どうしても他人が気になって、自由な動きすらできないというかたもいます。
まずは、辛いけれど逃げないことです。
同じような場に何回も身を置けば、どんな人でも慣れてくるものです。
そして、ひとつ残念なことですが、私たちが肝に銘じなくてはならないことがあります。
他人が「私」をどう見るかは、「私」がコントロールできることではないのです。
いくらこちらが「いい人ですよ」アピールをしても、相手がどう感じるかまではコントロールできない。
だとしたらどうすればいいのでしょう?
最初に言ったように、「あまり変な人に思われたくない」と「でも、自分のやりたいこともしたい」という葛藤のなかにいればいいのです。
あるいは、そうしているしかない、と表現することもできます。
その葛藤のなかにいながら、自分の欲求を感じとり、時と場合によっては、「皆に奇異に思われてもこれはやりたい」と思ったり、「今はやめとこう」と思ったり、判断しながらいればいいのです。
決して、どちらかに決める、ということをしない。
揺れながら、ぶれながら、生きていけばいいのだと思うのです。
他人にどう思われているか、どんなふうに映っているのかは、気になるものです。
ひょっとして、馬鹿にされているのではないか、お高くとまっていると思われているのではないか、変な人と思われているのではないか・・・
そんな思いがとめどなく湧いてくる、このような苦しさに悩むかたも多いでしょう。
しかし、他人の目がまったく気にならないとどうなるでしょう。
よくいますね。
電車のなかでお化粧している人。
優先席で通話している人。
そんな人にはなりたくない・・
でも、他人の目ばかり気にしたくない・・
そんな葛藤に悩むのは不快なことだけれど、実は自然なことでもあるのではないでしょうか。
他人の目や他人の評価が気になることを、逆に生かすこともできます。
それを利用するのです。
たとえば「◯◯をします!」と公言することで、のっぴきならなくなり、実行に拍車がかかるということもあります。
私は、怠惰なので、この手はよく使います。
宣言しないと、何もやらずに終わりそうだからです。
あるいは強迫神経症のかたにとっては、この「他人の目が気になる」ことは、大いに活用できます。
実は、対人恐怖のかたに負けず劣らず、強迫神経症のかたも「他人の目が気になる」タイプです。
それを利用して、なるべく人の目がある、強迫行為ができないところに身を置くのです。
家庭だと、好きなだけ強迫行為ができます。
だから、外に出るのです。
人とまじわる、それも仕事やグループ活動のような、ある程度の厳しさがあるところがいい。
「変な人」と思われたくないのですから、必死で仕事や活動をします。
その時間は強迫観念を忘れているわけです。
忘れている時間が長いほど、症状は軽くなります。
そんなふうに、「人の目を気にする」ことを利用してしまえばいいのです。
でも、どうしても他人が気になって、自由な動きすらできないというかたもいます。
まずは、辛いけれど逃げないことです。
同じような場に何回も身を置けば、どんな人でも慣れてくるものです。
そして、ひとつ残念なことですが、私たちが肝に銘じなくてはならないことがあります。
他人が「私」をどう見るかは、「私」がコントロールできることではないのです。
いくらこちらが「いい人ですよ」アピールをしても、相手がどう感じるかまではコントロールできない。
だとしたらどうすればいいのでしょう?
最初に言ったように、「あまり変な人に思われたくない」と「でも、自分のやりたいこともしたい」という葛藤のなかにいればいいのです。
あるいは、そうしているしかない、と表現することもできます。
その葛藤のなかにいながら、自分の欲求を感じとり、時と場合によっては、「皆に奇異に思われてもこれはやりたい」と思ったり、「今はやめとこう」と思ったり、判断しながらいればいいのです。
決して、どちらかに決める、ということをしない。
揺れながら、ぶれながら、生きていけばいいのだと思うのです。