性 差
近くの駅前に大規模駅ビルが建つということで、現在建設が進んでいます。
駅ビルは、ちょうどホームの目の前に建ちます。
先日、電車に乗ろうとホームに行きました。
すると、いつもはざわついているホームが、どことなくシンとした雰囲気。
なにごとかと見回すと、ホームにいる人たちが皆、一点をくいいるように見つめています。
目の前の駅ビルの工事現場を見ているのです。
ちょうどむずかしい作業の最中でした。
巨大なコンクリ板を、上方からパワークレーンで吊るし、下にいる人たちの手を借りながら、それを建物の骨組みのなかに横にずらして入れていくという作業でした。
クレーンをあやつる人と、下にいる作業員たちの息が合わないとむずかしそうな作業。
その進行を、ホームにいる人たちが固唾を飲んで、見守っているのです。
それで、ホームがいつになくシンと静かなのだと合点がいきました。
しかし、ふと面白いことに気づきました。
その作業を食い入るように見ているのが、殆ど男性だったということです。
若い女の子たちや、おばさんたちは、いつものようにおしゃべりしています。
女性にとっては、他の人と会話することは、工事より興味のあることなのでしょうね。
なるほど、男性はこういうことに興味があり、女性は違うのかもしれないな、と思いました。
またあるとき、飲み会で、一人の女性が「アクション映画って、あれ、こわくない? 暴力シーンなんて痛そうだし・・」と言うと、一人の男性が「そんなことないよ。あれは、殴る方の立場になって見るものなんだよ。それでスカッとするの」と言うのです。
これは、私にとって新発見でした。
他の女性も同じように思ったようです。
ちなみにその男性は、暴力性とは無縁なかたです。
私など、アクションシーンなど見ると、それが作りものであっても、「痛そう」とか「そんなに殴ったら死んじゃうでしょ」とか、ハラハラしながら見ています。
つまり殴られるほうに感情移入しているんですね。
ところが、男性は(一概には言えませんが)殴る方に感情移入するのかもしれません。
だから、世の中にはこんなにたくさんアクション映画があるのでしょう。
一種のカタルシスの役割を果たしているわけです。
ひところ、「性差」についての本が流行ったことがありました。
男性の脳と女性の脳が異なるという話です。
「地図が読めない女、話を聞かない男」という面白い本でした。
脳梁の大きさが異なるという説でしたが、賛否両論あるようです。
けれど、小さい子を育てたことのある人なら、この興味の方向は生まれつきのものだと、自然に納得すると思います。
たいていの男の子は、乗り物に興味を持ち、たいていの女の子はお人形や綺麗なものに興味を持ちます。
それが脳の働きなのか、染色体のせいなのか、環境のせいなのか、そんなことは当分解明できないでしょうが、身体が違えば心も違うのは当たり前のような気もします。
しかし、それを「男だから~」とか「女だから~」と、あまり一般化してしまうと、偏見につながってしまう。
地図が読める女性もいれば、話の聞ける男性もいる。
ただ、ほんの少し「面白いな」と思いながら、お互いの視点の違い、興味の違いにきちんと気づいていられたらと思います。
それが、一緒に働くとき、あるいは夫婦・恋人でいるとき、役に立つのかもしれません。
