伝記を読む
小説を盛んに読んでいた時代のあと、私はだんだんノンフィクションに興味を持ち始め、いろいろな人の伝記を読むようになりました。
この、「伝記を読む」ということも、私の視野を広くしてくれました。
誰かに興味を持つ。
そうしたら、その人の伝記を探して読むというのが、今では習慣のようになっています。
前回書いたドストエフスキーの伝記も読みました。
私のお気に入りは、リルケやニーチェ、そしてフロイトをさえ魅了した女性思想家、ルー・アンドレアス・ザロメの伝記。
あるいは、博物学者で、粘菌に宇宙を読み取る南方熊楠の伝記。
世の中には本当にいろいろな人がいるのだという認識は、自分の世界を豊かにしてくれます。
しかし、伝記でも、あまりにその人物を美化し、理想化しているものはお薦めできません。
結局、自分にプレッシャーがかえってくるだけかもしれないからです。
特に、なんでも自分と比較し、他人をうらやましく思う傾向のある人には不向きです。
例えば、以前、映画「アビエイター」で、ハワード・ヒューズに興味を持ち、図書館でハワード・ヒューズの伝記を借りました。
ところが、驚いたことにその本は、彼の強迫神経症のことを無視して、彼の事業的な大成功の物語になっていました。
まるで強迫神経症が、ヒューズの汚点であるかのような排除のしかたです。
本当に大事なのは、彼があれほど強度の強迫神経症を持ちながら、それでも事業を諦めず、空を目指したことなのだと思うのです。
そう考えてみると、困難がありながら、それでももがいて何かを達成した(達成しようとした)人の伝記には迫力があります。
困難にしたって、いろいろあります。
病気、貧困、逆境、差別・・・
単純に、今思いつくところであげてみれば・・・
父親による性的虐待を彫刻作品へ昇華したニキ・ド・サンファル。
激烈な慢性頭痛を持ちながら、不幸な人、虐げられた人へと歩み寄り、自分の思想を紡いだ哲学者、シモーヌ・ヴェイユ。
ユダヤ人であることで、学問的地位から疎外され、ひたすら自分の理論の完成を目指したジグムント・フロイト。
自分の母が統合失調症であるという負い目と恐怖を抱えながら執筆し続けた芥川龍之介。
養育者が転々と変わる環境に育ち、そのための神経衰弱や心身症(胃潰瘍)をわずらいながら、幾多の名作を残した夏目漱石。
数え上げたらきりがないようです。
しかし、彼らは困難がありながら、何かをなし遂げたということではないのだと思うのです。
困難があるからこそ、何かを追求しなくてはならなかった、というふうに私には思われます。
もちろん何かを成し遂げるということのみが重要ではありません。
歴史に名を残さずとも困難な状況を生き抜いた人たちは無数にいます。
伝記を読むということは、そのような無数の人たちに思いを馳せ、人間の可能性を垣間見る、そういう機会だと思うのです。

この、「伝記を読む」ということも、私の視野を広くしてくれました。
誰かに興味を持つ。
そうしたら、その人の伝記を探して読むというのが、今では習慣のようになっています。
前回書いたドストエフスキーの伝記も読みました。
私のお気に入りは、リルケやニーチェ、そしてフロイトをさえ魅了した女性思想家、ルー・アンドレアス・ザロメの伝記。
あるいは、博物学者で、粘菌に宇宙を読み取る南方熊楠の伝記。
世の中には本当にいろいろな人がいるのだという認識は、自分の世界を豊かにしてくれます。
しかし、伝記でも、あまりにその人物を美化し、理想化しているものはお薦めできません。
結局、自分にプレッシャーがかえってくるだけかもしれないからです。
特に、なんでも自分と比較し、他人をうらやましく思う傾向のある人には不向きです。
例えば、以前、映画「アビエイター」で、ハワード・ヒューズに興味を持ち、図書館でハワード・ヒューズの伝記を借りました。
ところが、驚いたことにその本は、彼の強迫神経症のことを無視して、彼の事業的な大成功の物語になっていました。
まるで強迫神経症が、ヒューズの汚点であるかのような排除のしかたです。
本当に大事なのは、彼があれほど強度の強迫神経症を持ちながら、それでも事業を諦めず、空を目指したことなのだと思うのです。
そう考えてみると、困難がありながら、それでももがいて何かを達成した(達成しようとした)人の伝記には迫力があります。
困難にしたって、いろいろあります。
病気、貧困、逆境、差別・・・
単純に、今思いつくところであげてみれば・・・
父親による性的虐待を彫刻作品へ昇華したニキ・ド・サンファル。
激烈な慢性頭痛を持ちながら、不幸な人、虐げられた人へと歩み寄り、自分の思想を紡いだ哲学者、シモーヌ・ヴェイユ。
ユダヤ人であることで、学問的地位から疎外され、ひたすら自分の理論の完成を目指したジグムント・フロイト。
自分の母が統合失調症であるという負い目と恐怖を抱えながら執筆し続けた芥川龍之介。
養育者が転々と変わる環境に育ち、そのための神経衰弱や心身症(胃潰瘍)をわずらいながら、幾多の名作を残した夏目漱石。
数え上げたらきりがないようです。
しかし、彼らは困難がありながら、何かをなし遂げたということではないのだと思うのです。
困難があるからこそ、何かを追求しなくてはならなかった、というふうに私には思われます。
もちろん何かを成し遂げるということのみが重要ではありません。
歴史に名を残さずとも困難な状況を生き抜いた人たちは無数にいます。
伝記を読むということは、そのような無数の人たちに思いを馳せ、人間の可能性を垣間見る、そういう機会だと思うのです。
