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どうでもいいこと

前回、「しなくてはならないこと」について書きましたが、今回は「どうでもいいこと」について。

私たちは得てして、毎日が仕事とか勉強とか努力とかいう「しなくてはならないこと」でいっぱいだと、それが人生の充実だと考えがちなのではないでしょうか。

確かに社会的な常識ではそうなのかもしれません。

私にもそんな時期がありました。

仕事とか、有意義な(有意義に見える)ことで時間を使うと、達成感を感じるという、そんな時期です。

しかし、この頃思うのは、そういう「充実した」時間が、本当に大切なものだったのかということ。

自分の人生の時間をふりかえったとき、温かい光につつまれたように浮かんでくるのは、そのときは「どうでもいい」と思えていたことではないでしょうか。

毎日、一生懸命せっせとこなしていた仕事とか、家事とか、それはこなしたらもう記憶の彼方に去ってしまう。

今になって思い出すことは、仕事が終わってから気の合う人と食事をしたり、飲んだりしたこと。
あるいは、旅先で、巡りあった素敵な風景や、建築物。
グループ旅行をしたときの失敗談やエピソード、くだらない事で笑いあったこと。
美術館で巡りあった絵画や、素晴らしかったライブの高揚感。


もちろん人により、価値観により、大切と思う記憶は違うかもしれません。


たとえば、努力の果てに一等賞をとったとか、表彰されたとか、人から称賛されたことが大切な記憶という人もいるのかもしれません。


とにかく、私たちが後から大事に思うことは、「しなくてはならないこと」の集積のなかにはないような気がします。

では、努力はしなくてもいいのかとか、義務的なことを怠ってもいいのかとか、そういう話をしているわけではありません。
それはそれとして必ずこなさなければならないのが日常。
それは当然すぎるほど当然なことです。


しかし、ひたすら仕事に生き、ワーカホリックで人生の大半を過ごした人が、本当に充実した人生を過ごしたことになるのでしょうか。


自分にとって大切なのは「しなくてはならないこと」の幕あいに存在するひととき。


義務とか責任とか努力とかから解き放たれた時間。

知性とか、言葉とか、組織とか、そういうものと無縁の時間。

何の意味もないけれど、人との共感や交流が温かい時間。

五感が喜び、ただそれだけで充足する時間。


それはもしかしたら、社会的な活動から見たら「どうでもいいこと」なのかもしれません。

けれどきっと、私たちの人生の豊饒は、その「どうでもいい瞬間」がどれだけあったかによって測れるのではないか。


この頃、そんなことを思ってみるのです。


      灯台
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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