北斎館で、欲望について考える
先日、信州 小布施(おぶせ)の「北斎館」に行ってきました。
なぜ小布施に北斎館があるかというと、葛飾北斎は晩年、小布施の豪商に招かれ長くここに滞在して、祭り屋台を制作したのです。
北斎館には、もちろんその絢爛豪華な祭り屋台も展示してあります。
私は北斎の雄大華麗な絵が好きです。
特に富嶽三十六景。
あの「神奈川沖浪裏」の大波や「赤富士」は、どなたの記憶にもあるでしょう。
その葛飾北斎(1760~1849)は奇人と言われる人でした。
転居癖があり、一生のうち93回引っ越したり(部屋の掃除をしないので汚くなると引っ越すのです)、酒も煙草もやらず、何の贅沢もせず、汚れたままで過ごし、社交に気をつかうこともしません。
あれだけの絵を描き、それが好評で売れていながらずっと赤貧の生活でした。
なぜ貧乏かというと、本人が金銭にこだわらなかったこと、管理能力がなかったこと、放蕩息子の借金の後始末、孫の悪行の後始末などに生涯追われていたからです。
その北斎は描き続けて90歳まで生きました。
そして臨終のときにこんな言葉を残すのです。
「天があと五年の間、命を保つことを私に許してくれたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう」
この言葉を聞いて、つい笑ってしまう私は不謹慎でしょうか。
だって90歳ですよ!
生きていた間はそれこそ、描きに描いて、多分、万という単位の絵を残している。
それも常に当時の流行の最先端を追い、絵画材料にしても、西洋のものまで手に入れ、技術という技術を試し、当時のあらゆるジャンルの絵画を描き尽くしているのです。
世の中には知られ、名声も高く、門人もたくさんいた。
当人は知らなかったのですが、実は、存命中にも「北斎漫画」を転載収録した本がオランダで出版されていたというのです。(その後の印象派に与えた影響は有名ですね)
ここまで描いて、なおまだ描きたい!
なおかつ、ここまで描いて、まだ自分は「本物の画工」ではないという!
私はこのような欲望を持ち合わせておらず、何事にもいたってあきらめの早いほうなので、これって一体何だろうと、考えてしまいました。
たとえば、神経症になる人は、欲望はあるのですが、目指すところに到達しようとするプロセスで、自分の能力を疑い、挫折することで症状を形成します。
つまり、どうしても自分の限界を考えなくてはならない状況に突き当たるのです。
たいていの人間はそういう限界に一度は突き当たります。
ところが北斎は、どうも限界に突き当たっていないようです。
あと5年で「本物」になれると言うことは、自分の能力をそれだけ信じているということなのですよね。
それに、自分の「老化」とか、能力が落ちるとかいうことも、視野に入っていない。
かといって、これは慢心ではない。
今までの画業では、不十分と思っているのですから。
それに彼が目指しているのは、世俗的な名声や、評価や、金銭や、ましてや自分の幸福などではない。
「本物」と自分が思える絵を描くことだけが、彼の欲望です。
こういう欲望のありかたも、不思議です。
彼の絵を見る人は、彼の心にはいないのでしょうか。
きっと北斎は自分だけの世界に住んでいたのですね。
彼は、執拗に不二の山(富士山)を描きました。
それは彼の心の有り様を表しているのかもしれません。
彼の心の中には、いつも富士という幻想の高みがそびえ、彼はその幻想を目指していたのでしょう。
しかしその幻想の高みは決して彼を寄せ付けない。
彼の絶筆は、そびえる富士の山から、一匹の龍が空へと上昇していく絵です。
まさに彼の欲望(=龍)が、こらえきれず、幻想の高みをも超えて天へと昇っていったかのようです。
絵画が好きというだけで、これだけの欲望、これだけの精進刻苦が生まれるものなのでしょうか。
あるいは、もしかしたらこれは「欲望」などではないのかもしれません。
北斎は「芸術」(絵画、美と置き換えてもいい)という魔物に取り憑かれただけ。
その魔物に魅入られ、自分の人生のすべてを犠牲にして、それに身を捧げただけだったのかもしれません。
偉大な芸術家といわれる人のなかには、きっとそんな魔物が棲んでいるのかもしれない。
葛飾北斎という特異な人の作品を眺めながら、そんなことを考えたのでした。

北斎の絶筆「富士越龍」
なぜ小布施に北斎館があるかというと、葛飾北斎は晩年、小布施の豪商に招かれ長くここに滞在して、祭り屋台を制作したのです。
北斎館には、もちろんその絢爛豪華な祭り屋台も展示してあります。
私は北斎の雄大華麗な絵が好きです。
特に富嶽三十六景。
あの「神奈川沖浪裏」の大波や「赤富士」は、どなたの記憶にもあるでしょう。
その葛飾北斎(1760~1849)は奇人と言われる人でした。
転居癖があり、一生のうち93回引っ越したり(部屋の掃除をしないので汚くなると引っ越すのです)、酒も煙草もやらず、何の贅沢もせず、汚れたままで過ごし、社交に気をつかうこともしません。
あれだけの絵を描き、それが好評で売れていながらずっと赤貧の生活でした。
なぜ貧乏かというと、本人が金銭にこだわらなかったこと、管理能力がなかったこと、放蕩息子の借金の後始末、孫の悪行の後始末などに生涯追われていたからです。
その北斎は描き続けて90歳まで生きました。
そして臨終のときにこんな言葉を残すのです。
「天があと五年の間、命を保つことを私に許してくれたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう」
この言葉を聞いて、つい笑ってしまう私は不謹慎でしょうか。
だって90歳ですよ!
生きていた間はそれこそ、描きに描いて、多分、万という単位の絵を残している。
それも常に当時の流行の最先端を追い、絵画材料にしても、西洋のものまで手に入れ、技術という技術を試し、当時のあらゆるジャンルの絵画を描き尽くしているのです。
世の中には知られ、名声も高く、門人もたくさんいた。
当人は知らなかったのですが、実は、存命中にも「北斎漫画」を転載収録した本がオランダで出版されていたというのです。(その後の印象派に与えた影響は有名ですね)
ここまで描いて、なおまだ描きたい!
なおかつ、ここまで描いて、まだ自分は「本物の画工」ではないという!
私はこのような欲望を持ち合わせておらず、何事にもいたってあきらめの早いほうなので、これって一体何だろうと、考えてしまいました。
たとえば、神経症になる人は、欲望はあるのですが、目指すところに到達しようとするプロセスで、自分の能力を疑い、挫折することで症状を形成します。
つまり、どうしても自分の限界を考えなくてはならない状況に突き当たるのです。
たいていの人間はそういう限界に一度は突き当たります。
ところが北斎は、どうも限界に突き当たっていないようです。
あと5年で「本物」になれると言うことは、自分の能力をそれだけ信じているということなのですよね。
それに、自分の「老化」とか、能力が落ちるとかいうことも、視野に入っていない。
かといって、これは慢心ではない。
今までの画業では、不十分と思っているのですから。
それに彼が目指しているのは、世俗的な名声や、評価や、金銭や、ましてや自分の幸福などではない。
「本物」と自分が思える絵を描くことだけが、彼の欲望です。
こういう欲望のありかたも、不思議です。
彼の絵を見る人は、彼の心にはいないのでしょうか。
きっと北斎は自分だけの世界に住んでいたのですね。
彼は、執拗に不二の山(富士山)を描きました。
それは彼の心の有り様を表しているのかもしれません。
彼の心の中には、いつも富士という幻想の高みがそびえ、彼はその幻想を目指していたのでしょう。
しかしその幻想の高みは決して彼を寄せ付けない。
彼の絶筆は、そびえる富士の山から、一匹の龍が空へと上昇していく絵です。
まさに彼の欲望(=龍)が、こらえきれず、幻想の高みをも超えて天へと昇っていったかのようです。
絵画が好きというだけで、これだけの欲望、これだけの精進刻苦が生まれるものなのでしょうか。
あるいは、もしかしたらこれは「欲望」などではないのかもしれません。
北斎は「芸術」(絵画、美と置き換えてもいい)という魔物に取り憑かれただけ。
その魔物に魅入られ、自分の人生のすべてを犠牲にして、それに身を捧げただけだったのかもしれません。
偉大な芸術家といわれる人のなかには、きっとそんな魔物が棲んでいるのかもしれない。
葛飾北斎という特異な人の作品を眺めながら、そんなことを考えたのでした。


