Summertimeを聴きながら、「表現」について考える
真夏です。暑いです。
外に出るときは日焼けよりも、命を気にかけなくてはなりません。
私は出勤時、凍らせた小さな保冷剤をハンカチに包んで持ち、時々首筋にあてながら出勤。
これいいですよ!
さて表題のSummertimeです。
サマータイムと書くと、夏時間みたいなので、英語にしました。
これはガーシュインの名曲、オペラ「ポギーとベス」のために作曲されたアリアだそうです。
いろいろな歌手がカバーしていますが、私が最高だと思うのはジャニス・ジョプリンのカバー。
本日はジャニス・ジョプリン(Janis Joplin1943~1970)の話を。
もう昔の人かもしれませんが、ロック、ブルースが好きなかたでジャニスを知らない人はいないでしょう。
彼女の人生は、「自分を表現すること」に費やされ、そして表現したがゆえに起こってくる様々なことに直面してしまったものでもありました。
彼女の生まれ育ったのは米国テキサス州のポート・アーサーという非常に保守的な土地。
そしてごく普通の家庭で育ちます。
女性は学校を卒業したら主婦になり子を育てるのが常識という土地柄で、彼女は高校時代から異彩を放っていました。
髪をオレンジ色に染めたり、政治的発言をしたり・・
彼女の場合、「目立ちたい」というより、その表現に「どうしてもそうしなくてはいられない」という欲求を、私は感じます。
当然、級友からは孤立し、はずされていきます。
大学をドロップアウトし、カリフォルニアに出て歌手となった彼女は、そこで水を得た魚のように頭角を現します。
ベトナム戦争の時代、カウンターカルチャーの花開いた時代です。
ロック歌手として認められていく彼女ですが、非常に特徴的なのは、彼女がいつも故郷のこと、家族のことを気にしていることです。
ドラッグに溺れそうになった彼女は、一度は故郷に帰り、婚約してそこで暮らそうとしますが、破綻します。
カリフォルニアに帰ってからも、母宛に何通も手紙を書きます。
「ロックスターになれたんだよ、私を認めて!」という思いもありながら、父母の望む「普通の生活」を送れなかったことについての謝罪の言葉もあります。
しかし両親はどうやら、最後まで彼女の生き方が理解できなかったようです。
1970年、ジャニスは高校の同窓会へ出席しようと、帰郷します。
今度こそ、彼らの仲間になれるかもしれないと思ったのかもしれません。
マスコミを引き連れ、独特のファッションで出席した彼女を、級友たちは歓迎するどころか奇異の目で見て、遠巻きにします。
そしてその同窓会の日、何をおそれたのか、両親は車で町を脱出します。
彼女は結局失意のうちに、またカリフォルニアに帰ってきます。
そしてその年の10月にドラッグで命を落とすことになるのです。
ジャニスの歌が私たち心を打つのは、彼女が決して口先だけで器用に歌ったりしないこと。
一曲一曲に自分のすべてをこめて、表現しているように感じられるのです。
彼女はそうせずにはいられないものを、自分のなかに持っていたのでしょう。
ありのままの自分を表現することは、多かれ少なかれリスクを伴うものです。
芸術的な表現だけに限らず、会議での発言でも、ものを書くことでも、スポーツでも、それは自分自身の表現です。
表現した次に何が起こってくるか、それはわかりません。
賞賛かもしれないし、非難かもしれないし、ノーリアクションかもしれない。
けれどそれは、どんなに痛くても自分が引き受けなくてはならないものです。
さて、ジャニスの歌で私が一番好きなのは「Me and Bobby McGee」。
ロードム―ビ-のような情景を彷彿とさせるこの曲にはこんな一節があります。
Freedom is just another word for nothing left to lose.
(自由とは失うものがないことよ!)
そして、Summertime。
子守唄の形式をとっているこの歌は、赤ん坊にこんなふうに呼びかけます。
ある朝、あなたは立ち上がり、そして歌い始める
翼を広げ、空へ飛び立とうとするでしょう
でも、その時がくるまでは、誰もあなたを傷つけたりしない
だから、今は泣かないで
全力で自分を表現し、そしてその表現があまりに個性的で突出しているがゆえに、多くの痛みを引き受けなくてはならなかった彼女の人生。
ジャニスの声には、その人生の痛みが表れているようにも感じられます。
外に出るときは日焼けよりも、命を気にかけなくてはなりません。
私は出勤時、凍らせた小さな保冷剤をハンカチに包んで持ち、時々首筋にあてながら出勤。
これいいですよ!
さて表題のSummertimeです。
サマータイムと書くと、夏時間みたいなので、英語にしました。
これはガーシュインの名曲、オペラ「ポギーとベス」のために作曲されたアリアだそうです。
いろいろな歌手がカバーしていますが、私が最高だと思うのはジャニス・ジョプリンのカバー。
本日はジャニス・ジョプリン(Janis Joplin1943~1970)の話を。
もう昔の人かもしれませんが、ロック、ブルースが好きなかたでジャニスを知らない人はいないでしょう。
彼女の人生は、「自分を表現すること」に費やされ、そして表現したがゆえに起こってくる様々なことに直面してしまったものでもありました。
彼女の生まれ育ったのは米国テキサス州のポート・アーサーという非常に保守的な土地。
そしてごく普通の家庭で育ちます。
女性は学校を卒業したら主婦になり子を育てるのが常識という土地柄で、彼女は高校時代から異彩を放っていました。
髪をオレンジ色に染めたり、政治的発言をしたり・・
彼女の場合、「目立ちたい」というより、その表現に「どうしてもそうしなくてはいられない」という欲求を、私は感じます。
当然、級友からは孤立し、はずされていきます。
大学をドロップアウトし、カリフォルニアに出て歌手となった彼女は、そこで水を得た魚のように頭角を現します。
ベトナム戦争の時代、カウンターカルチャーの花開いた時代です。
ロック歌手として認められていく彼女ですが、非常に特徴的なのは、彼女がいつも故郷のこと、家族のことを気にしていることです。
ドラッグに溺れそうになった彼女は、一度は故郷に帰り、婚約してそこで暮らそうとしますが、破綻します。
カリフォルニアに帰ってからも、母宛に何通も手紙を書きます。
「ロックスターになれたんだよ、私を認めて!」という思いもありながら、父母の望む「普通の生活」を送れなかったことについての謝罪の言葉もあります。
しかし両親はどうやら、最後まで彼女の生き方が理解できなかったようです。
1970年、ジャニスは高校の同窓会へ出席しようと、帰郷します。
今度こそ、彼らの仲間になれるかもしれないと思ったのかもしれません。
マスコミを引き連れ、独特のファッションで出席した彼女を、級友たちは歓迎するどころか奇異の目で見て、遠巻きにします。
そしてその同窓会の日、何をおそれたのか、両親は車で町を脱出します。
彼女は結局失意のうちに、またカリフォルニアに帰ってきます。
そしてその年の10月にドラッグで命を落とすことになるのです。
ジャニスの歌が私たち心を打つのは、彼女が決して口先だけで器用に歌ったりしないこと。
一曲一曲に自分のすべてをこめて、表現しているように感じられるのです。
彼女はそうせずにはいられないものを、自分のなかに持っていたのでしょう。
ありのままの自分を表現することは、多かれ少なかれリスクを伴うものです。
芸術的な表現だけに限らず、会議での発言でも、ものを書くことでも、スポーツでも、それは自分自身の表現です。
表現した次に何が起こってくるか、それはわかりません。
賞賛かもしれないし、非難かもしれないし、ノーリアクションかもしれない。
けれどそれは、どんなに痛くても自分が引き受けなくてはならないものです。
さて、ジャニスの歌で私が一番好きなのは「Me and Bobby McGee」。
ロードム―ビ-のような情景を彷彿とさせるこの曲にはこんな一節があります。
Freedom is just another word for nothing left to lose.
(自由とは失うものがないことよ!)
そして、Summertime。
子守唄の形式をとっているこの歌は、赤ん坊にこんなふうに呼びかけます。
ある朝、あなたは立ち上がり、そして歌い始める
翼を広げ、空へ飛び立とうとするでしょう
でも、その時がくるまでは、誰もあなたを傷つけたりしない
だから、今は泣かないで
全力で自分を表現し、そしてその表現があまりに個性的で突出しているがゆえに、多くの痛みを引き受けなくてはならなかった彼女の人生。
ジャニスの声には、その人生の痛みが表れているようにも感じられます。