実朝の歌 その2
先週は、見事な中秋の名月が見られたというのに、今週は台風がきているようです。
さて、気を取り直して続きを書きましょう。
「金槐和歌集」を読んでいると、実朝の歌には「音」が溢れているのに気がつきます。聴覚的な歌が多い。
鐘の音、風の音、波の音もありますが、とにかく動物や虫がよく鳴きます。
鴬、蛙、雁、雉、ほととぎす、鹿、蝉、鶴、松虫、きりぎりす、猿・・・身近なありとあらゆる生き物が鳴き声をあげている。
五月(さつき)やま 木(こ)の下(した)やみのくらければ おのれまどひて なく郭公(ほととぎす)
私はここで、ないているのは誰なんだろう、と考えてしまいます。
実朝の歌の感情描写はあまり生々しくありません。
特に自分の感情に関してはそうです。
これは西行などと比べてみると、よくわかります。
実朝の肉体や感情は、どこか歌から遠いところにあるような感じがします。
これも当然ですね。彼は将軍です。自分のナマの感情を歌うことなどできない。
彼の歌は、自分の感情を、風景や生き物に仮託したものと見るのが自然でしょう。
そうやって、自分の感情から遠ざかっていくと、人間はどうなっていくのでしょう。
浅茅(あさじ)原(はら) ぬしなき宿の庭の面に あはれいく夜の 月はすみけむ
浅茅原というのは、かつて人が住んでいたけれど、今はもう誰もおらず、荒れ果てている土地のこと。
この歌の風景は、なんと荒涼としていることでしょう。しかしどこか神秘的です。
これが実朝の心象風景なのだと思います。
「浅茅原」
「故郷(ふるさと)」(この故郷というのは現代の意味とは違い「経る里」ですから、浅茅原と同じ以前は人がいたが今は荒れた土地のことです)
「荒れたる宿」「ぬしなき宿」など、人の気配のない荒涼とした風景を表す言葉を使って、実朝は歌を詠みます。
もちろん歌集のなかでは、こういう歌は全体の5%ぐらいですから、それを多いと見るか少ないと見るかによって違ってきますが。
里はあれて 宿は朽(くち)にし跡なれや 浅茅が露に 松むしの鳴く
このような歌をどう言ったらいいのか、私には言葉が見当たりません。
「虚無」と言ってしまっていいのでしょうか。
でも、どこかに、人のいないこの荒れ果てた風景を眺めている実朝がいる。
この歌集をまとめたとき、実朝はまだ22歳です。(それ以降の歌は残っていません)
まだ少年ともいえる年齢で、彼はどんな世界を自分のなかに抱えてしまったのでしょう。
さて、前回に引き続きランボウの話をしますが、彼は、自分の詩「地獄の季節」のなかに、自分の最期の姿を、まるで預言のように書いていたということが知られています。
「年も情けもわきまえぬ、見知らぬ人の唯中に、横たわる俺の姿がまた見える・・・・俺はそうして死んでいたのかもしれない」(小林秀雄・訳)
実際、彼は最期の時に、そのような姿でマルセイユに帰ってきます。
実朝もまた、自分の「死」を見ていました。
しかし、彼の場合は、予見というより、確実な予感だったのでしょう。
(まないたといふ物の上にかりをあらぬさまにして置きたるを見て)
あはれなり 雲井のよそに 行く雁(かり)も かかる姿になりぬと思へば
雁の死骸が、まな板にのせられて、調理されようとしている時の歌です。
(まさか首を切られていなかったでしょうね、と私は思ってしまいます)
実朝は、多分、確実に自分の死体をイメージしていたと思います。
自分の身の周りに、いつも謀略や、謀反や、殺し合いを見て育ちながら、その同じ人が常人よりはるかに繊細な神経を持っている。
それが、実朝の悲劇でしょう。
彼は自分の感情を殺し、どこか遠いところから眺めるようにこの世界を見ていたのかもしれません。
萩の花 くれぐれまでもありつるが、月出て見るに なきがはかなき
実朝の名歌のひとつ。
夕暮れまであった萩の花が、夜更けて月の光で見ると、もうなくなっていたという意味です。
かつてあったものが消えていく。彼の歌によく出てくるテーマです。
しかしそれだけではありません。
「かつてあったもの」が「今はない」と表現することによって、そこに「今はないものの幻」が現れてくるのです。
月の光の下に、ぽっかり空いてしまった何もない場所。
そこに、私たちは、かつてあった萩の花の幻を見るのです。
浅茅原になってしまった何もない空間にいるのは、かつてそこに生きていた人々の幻でしょうか。
それともそこは、実朝が、自分の生きたことのない時間を生きる幻想の場所でしょうか。
そんな風景と幻を自分のなかに抱えながら逝った若い歌人がいる。
秋のひととき、もう一度、その人生に思いを馳せ、その歌を味わいたくて、長々と筆をとってしまいました。

さて、気を取り直して続きを書きましょう。
「金槐和歌集」を読んでいると、実朝の歌には「音」が溢れているのに気がつきます。聴覚的な歌が多い。
鐘の音、風の音、波の音もありますが、とにかく動物や虫がよく鳴きます。
鴬、蛙、雁、雉、ほととぎす、鹿、蝉、鶴、松虫、きりぎりす、猿・・・身近なありとあらゆる生き物が鳴き声をあげている。
五月(さつき)やま 木(こ)の下(した)やみのくらければ おのれまどひて なく郭公(ほととぎす)
私はここで、ないているのは誰なんだろう、と考えてしまいます。
実朝の歌の感情描写はあまり生々しくありません。
特に自分の感情に関してはそうです。
これは西行などと比べてみると、よくわかります。
実朝の肉体や感情は、どこか歌から遠いところにあるような感じがします。
これも当然ですね。彼は将軍です。自分のナマの感情を歌うことなどできない。
彼の歌は、自分の感情を、風景や生き物に仮託したものと見るのが自然でしょう。
そうやって、自分の感情から遠ざかっていくと、人間はどうなっていくのでしょう。
浅茅(あさじ)原(はら) ぬしなき宿の庭の面に あはれいく夜の 月はすみけむ
浅茅原というのは、かつて人が住んでいたけれど、今はもう誰もおらず、荒れ果てている土地のこと。
この歌の風景は、なんと荒涼としていることでしょう。しかしどこか神秘的です。
これが実朝の心象風景なのだと思います。
「浅茅原」
「故郷(ふるさと)」(この故郷というのは現代の意味とは違い「経る里」ですから、浅茅原と同じ以前は人がいたが今は荒れた土地のことです)
「荒れたる宿」「ぬしなき宿」など、人の気配のない荒涼とした風景を表す言葉を使って、実朝は歌を詠みます。
もちろん歌集のなかでは、こういう歌は全体の5%ぐらいですから、それを多いと見るか少ないと見るかによって違ってきますが。
里はあれて 宿は朽(くち)にし跡なれや 浅茅が露に 松むしの鳴く
このような歌をどう言ったらいいのか、私には言葉が見当たりません。
「虚無」と言ってしまっていいのでしょうか。
でも、どこかに、人のいないこの荒れ果てた風景を眺めている実朝がいる。
この歌集をまとめたとき、実朝はまだ22歳です。(それ以降の歌は残っていません)
まだ少年ともいえる年齢で、彼はどんな世界を自分のなかに抱えてしまったのでしょう。
さて、前回に引き続きランボウの話をしますが、彼は、自分の詩「地獄の季節」のなかに、自分の最期の姿を、まるで預言のように書いていたということが知られています。
「年も情けもわきまえぬ、見知らぬ人の唯中に、横たわる俺の姿がまた見える・・・・俺はそうして死んでいたのかもしれない」(小林秀雄・訳)
実際、彼は最期の時に、そのような姿でマルセイユに帰ってきます。
実朝もまた、自分の「死」を見ていました。
しかし、彼の場合は、予見というより、確実な予感だったのでしょう。
(まないたといふ物の上にかりをあらぬさまにして置きたるを見て)
あはれなり 雲井のよそに 行く雁(かり)も かかる姿になりぬと思へば
雁の死骸が、まな板にのせられて、調理されようとしている時の歌です。
(まさか首を切られていなかったでしょうね、と私は思ってしまいます)
実朝は、多分、確実に自分の死体をイメージしていたと思います。
自分の身の周りに、いつも謀略や、謀反や、殺し合いを見て育ちながら、その同じ人が常人よりはるかに繊細な神経を持っている。
それが、実朝の悲劇でしょう。
彼は自分の感情を殺し、どこか遠いところから眺めるようにこの世界を見ていたのかもしれません。
萩の花 くれぐれまでもありつるが、月出て見るに なきがはかなき
実朝の名歌のひとつ。
夕暮れまであった萩の花が、夜更けて月の光で見ると、もうなくなっていたという意味です。
かつてあったものが消えていく。彼の歌によく出てくるテーマです。
しかしそれだけではありません。
「かつてあったもの」が「今はない」と表現することによって、そこに「今はないものの幻」が現れてくるのです。
月の光の下に、ぽっかり空いてしまった何もない場所。
そこに、私たちは、かつてあった萩の花の幻を見るのです。
浅茅原になってしまった何もない空間にいるのは、かつてそこに生きていた人々の幻でしょうか。
それともそこは、実朝が、自分の生きたことのない時間を生きる幻想の場所でしょうか。
そんな風景と幻を自分のなかに抱えながら逝った若い歌人がいる。
秋のひととき、もう一度、その人生に思いを馳せ、その歌を味わいたくて、長々と筆をとってしまいました。
