佐賀に行ってきました
ブログの間隔があきました。
大体、ブログを書くペースは決めていたのですが、先週は休みにしました。
とにかく「無理をしない」ということを、このところ心がけているもので・・・。
で、先週は佐賀県に行ってきました。
生活の発見会の合同集談会で、「生き生き森田ワークショップ」をしてきたわけです。
いつもながら、ワークは楽しい。
特に神経質のかたにとっては、とても効果的。
自分のなかに封印している「純なこころ」を、皆で出し合って語ってみる。
それも、絶対に批判されない許容的な場で語るのです。
そうすると、「なんだ、他の人も同じように感じているんだ」とか「そうか、こう感じてもいいんだ」とか、少しずつ自分に対しても許容的になる。
変な倫理観や、理想主義で固まっていた自分が、ほぐれてくるのです。
私も体力が許せば、もっと積極的にこういう場を作りたいのですが、今のところ、仕事でいっぱいいっぱいで・・・
ですから、こういう場を設けてくださった佐賀(佐世保、長崎)集談会の皆さまには感謝です。
さて、ワークが終わって次の日、佐賀の街を散策しました。
佐賀のかたは自分の街を「何もない」と自虐的に語られますが、とても落ち着いた街です。
県庁のビルには、ボール紙の大砲がありました。
佐賀県には、維新時に鍋島直正という藩主がいて、この人は「肥前の妖怪」という異名があった人です。
名君とも言える人で、藩の財政を立て直し、優れた人材を育て、海外の知識を取り入れることに熱心でした。
インテリを育てたのですよね。
それで、蒸気船を作らせ、鉄を製錬して最新式の大砲を作らせました。
このアームストロング砲を持つ佐賀藩が戊辰戦争で官軍に加わったことが、官軍の勝利を決定的にしました。
(武器というのは、こういう意味を持つのですよね、こわいことです)
なんで私がこんなことを知っているかというと、司馬遼太郎の「酔って候」を読んだからですね。
幕末の大名たちの話。
面白かったですよ。
さて、佐賀市は、本当にクリーンな印象でした。
猥雑な東京から行くと信じられないほど、商売っ気がない。
「売らんかな」のあくどいネオンとか、醜悪な看板とかが少ないのですね。
道も広くて、緑が多く、こんな小さな公園がところどころにあります。
公園の小川には、小さな河童がいました
たまにはこんな落ち着いた街並みを1人で散策するのも、いいものです。
佐賀のインテリジェンスな風土を少しは感じとれたかな。


大体、ブログを書くペースは決めていたのですが、先週は休みにしました。
とにかく「無理をしない」ということを、このところ心がけているもので・・・。
で、先週は佐賀県に行ってきました。
生活の発見会の合同集談会で、「生き生き森田ワークショップ」をしてきたわけです。
いつもながら、ワークは楽しい。
特に神経質のかたにとっては、とても効果的。
自分のなかに封印している「純なこころ」を、皆で出し合って語ってみる。
それも、絶対に批判されない許容的な場で語るのです。
そうすると、「なんだ、他の人も同じように感じているんだ」とか「そうか、こう感じてもいいんだ」とか、少しずつ自分に対しても許容的になる。
変な倫理観や、理想主義で固まっていた自分が、ほぐれてくるのです。
私も体力が許せば、もっと積極的にこういう場を作りたいのですが、今のところ、仕事でいっぱいいっぱいで・・・
ですから、こういう場を設けてくださった佐賀(佐世保、長崎)集談会の皆さまには感謝です。
さて、ワークが終わって次の日、佐賀の街を散策しました。
佐賀のかたは自分の街を「何もない」と自虐的に語られますが、とても落ち着いた街です。

佐賀県には、維新時に鍋島直正という藩主がいて、この人は「肥前の妖怪」という異名があった人です。
名君とも言える人で、藩の財政を立て直し、優れた人材を育て、海外の知識を取り入れることに熱心でした。
インテリを育てたのですよね。
それで、蒸気船を作らせ、鉄を製錬して最新式の大砲を作らせました。
このアームストロング砲を持つ佐賀藩が戊辰戦争で官軍に加わったことが、官軍の勝利を決定的にしました。
(武器というのは、こういう意味を持つのですよね、こわいことです)
なんで私がこんなことを知っているかというと、司馬遼太郎の「酔って候」を読んだからですね。
幕末の大名たちの話。
面白かったですよ。
さて、佐賀市は、本当にクリーンな印象でした。
猥雑な東京から行くと信じられないほど、商売っ気がない。
「売らんかな」のあくどいネオンとか、醜悪な看板とかが少ないのですね。

公園の小川には、小さな河童がいました

たまにはこんな落ち着いた街並みを1人で散策するのも、いいものです。
佐賀のインテリジェンスな風土を少しは感じとれたかな。