順番志向
完全主義者の傾向のひとつだと思うのですが、何かものごとに順番をつけて、そのとおりに進めようとする傾向があります。
実は私にもその傾向は多分にあります。
たとえば、部屋の片付けなども、「まずはここを拭いてからここを掃いて・・・」などと、頭のなかで順番をつけながら、やっていきます。
出かけるときも当然なことですが、あそこに先ず寄って、それから郵便局に行って、次はスーパーに行って・・・と組み立ててから出かけます。
こういうのは、ごく当たり前のことですね。
順番をはっきりさせて、次々こなしていくほうが、効率が良いに決まっています。
しかし、どうもこのように順番をつけることが、効率を下げる場合があるようです。
たとえば、私の頭のなかにある順番・・・
「もう少し身体が健康になってから〇〇を始めよう」
「これとこれが終わってから、あの書類を書こう」
「このテーマについて書くには、あれとあれをしっかり読み終わってから書こう」
ところが時として、〇〇を始めようという次の順番までに、なかなか行き着かないことがある。
ずっと、その前の段階にとどまって時間だけが過ぎていくのです。
なぜなのでしょう。
いろいろな理由が考えられます。
この頭のなかの順番が私の「気分」と密接に関係している。
つまり本題にとりかかるのが不安だから(あるいは単純にイヤだから)、その不安な気分を何とかなだめようとして、本題の前に前段階を設けているのかもしれません。
これは、少し強迫神経症の心理に似ているのかもしれません。
何か人生にとって大切なこと、大事なことにとりかかる必要があるとわかっている。
しかし、それが不安だから、その前段階のことをていねいにしつこくやり続ける。
本当は、そのまま、今、本題にとりかかってもいいのに、こわくてそれができない。
だから、「順番」を作るのです。
実際の順番だったらいいけれど、そのようなときの手順というのは、どうもあまり実際的なものではなく、気分で作り上げたものであることが多いのですね。
あるいは、その順番が「言い訳」になっているのかもしれません。
「まだこれをやっていないから、とりかかるわけにはいかない」というふうに・・・。
ですから、強迫神経症の症状そのものが「言い訳」になってしまっている場合もあります。
「まだ症状が苦しいから、今のところはやめておこう」とか。
しかし、まずはものごとを始めてしまって、そこから足りなかったことを補っていってもいいと思うのです。
觀念のなかの順番であれば、現実のものごとをやっていくうちに、そんな手順をふまなくてもできた、と感じることもあるでしょう。
あるいは、準備しながら本題をこなしていくということだっていいのです。
完全主義者は、何かを始めるときにそれが完璧に進むことを望んでいる。
けれど、その「完璧」もまた、頭のなかの「完璧」であって、実際的なものでないことが多いと思うのです。
ですから、今あなたが、何かを始めたい、これをやりたいと思うなら、まずは手をつけてみたほうがいいのではないでしょうか。
手をつけてみると、觀念の「準備」ではなく、実際にこれをやったほうがいいとか、もっと違うことがわかってくる。
とにかく、「觀念」のなかにとどまらず、「現実」のなかに出ていくと、景色は全く違って見えるものです。
来年は私も、「健康になってから」などと言わず、もっといろいろなことを始めようと思っています。
思っているだけだから、まだ觀念なのですけれどね(汗)。
丸の内のクリスマスツリー
実は私にもその傾向は多分にあります。
たとえば、部屋の片付けなども、「まずはここを拭いてからここを掃いて・・・」などと、頭のなかで順番をつけながら、やっていきます。
出かけるときも当然なことですが、あそこに先ず寄って、それから郵便局に行って、次はスーパーに行って・・・と組み立ててから出かけます。
こういうのは、ごく当たり前のことですね。
順番をはっきりさせて、次々こなしていくほうが、効率が良いに決まっています。
しかし、どうもこのように順番をつけることが、効率を下げる場合があるようです。
たとえば、私の頭のなかにある順番・・・
「もう少し身体が健康になってから〇〇を始めよう」
「これとこれが終わってから、あの書類を書こう」
「このテーマについて書くには、あれとあれをしっかり読み終わってから書こう」
ところが時として、〇〇を始めようという次の順番までに、なかなか行き着かないことがある。
ずっと、その前の段階にとどまって時間だけが過ぎていくのです。
なぜなのでしょう。
いろいろな理由が考えられます。
この頭のなかの順番が私の「気分」と密接に関係している。
つまり本題にとりかかるのが不安だから(あるいは単純にイヤだから)、その不安な気分を何とかなだめようとして、本題の前に前段階を設けているのかもしれません。
これは、少し強迫神経症の心理に似ているのかもしれません。
何か人生にとって大切なこと、大事なことにとりかかる必要があるとわかっている。
しかし、それが不安だから、その前段階のことをていねいにしつこくやり続ける。
本当は、そのまま、今、本題にとりかかってもいいのに、こわくてそれができない。
だから、「順番」を作るのです。
実際の順番だったらいいけれど、そのようなときの手順というのは、どうもあまり実際的なものではなく、気分で作り上げたものであることが多いのですね。
あるいは、その順番が「言い訳」になっているのかもしれません。
「まだこれをやっていないから、とりかかるわけにはいかない」というふうに・・・。
ですから、強迫神経症の症状そのものが「言い訳」になってしまっている場合もあります。
「まだ症状が苦しいから、今のところはやめておこう」とか。
しかし、まずはものごとを始めてしまって、そこから足りなかったことを補っていってもいいと思うのです。
觀念のなかの順番であれば、現実のものごとをやっていくうちに、そんな手順をふまなくてもできた、と感じることもあるでしょう。
あるいは、準備しながら本題をこなしていくということだっていいのです。
完全主義者は、何かを始めるときにそれが完璧に進むことを望んでいる。
けれど、その「完璧」もまた、頭のなかの「完璧」であって、実際的なものでないことが多いと思うのです。
ですから、今あなたが、何かを始めたい、これをやりたいと思うなら、まずは手をつけてみたほうがいいのではないでしょうか。
手をつけてみると、觀念の「準備」ではなく、実際にこれをやったほうがいいとか、もっと違うことがわかってくる。
とにかく、「觀念」のなかにとどまらず、「現実」のなかに出ていくと、景色は全く違って見えるものです。
来年は私も、「健康になってから」などと言わず、もっといろいろなことを始めようと思っています。
思っているだけだから、まだ觀念なのですけれどね(汗)。
