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人生の主人公になろう(おまけ)

さて、また続きです。

神経質的なかたで「人の目が気になる」と悩んでいらっしゃるかたは、とても多いですね。

お悩みの内容としては「人の目が気になって、何をしても落ち着かない」とか「人がどう見るか考えて行動を変えてしまう」などでしょうか。

考えてみると、「人の目が気になる」のは、社会のなかで生きている人間としてごく当たり前のことです。

この頃、「承認欲求」という言葉が流行っていますが、たいていの人にはこの「承認欲求」があるのではないでしょうか。


人の目がまったく気にならなかったら、それもこわいことです。
他者の視線を気にするということは反社会的行動の抑止力になっている面もあるでしょう。

ただ、気になる程度にも個人差があります。

悩んでいらっしゃるかたのなかには、あまりに人の目が気になって、どうにも自由な行動がとれないとおっしゃるかたがいます。

他人からどう見られるかが、行動基準のようになっている。

そのことで頭がいっぱいという状態のようです。
結果として、自分がまるでロボットのよう、人前での一挙手一投足が気になったりする。

自分の人生の主役が「他者の視線、思惑」になってしまうのですね。


こういうふうに悩む人の特徴は、自分のなかに葛藤があることです。
人の目が気になる、しかし自分はこうしたい、というのが特徴です。

つまり他者基準と自己の欲求との葛藤です。

例をあげると、授業などで先生が「何か質問ありますか?」と言ったとき、質問したい。(自分の欲求)
しかしたいていの日本人はここで黙ります。
(多分海外だと、黙っているほうが目立つので皆手を上げるでしょう)
雰囲気に合わせるのかもしれませんし、ことなかれ主義なのかもしれません。(他者基準)

そうすると「言いたいこと」を持っている人は葛藤します。


それをどう解決するか?

森田療法では、この「葛藤」こそ大事なことだと言います。

つまり悩む人というのは、葛藤する力を持っている人なのです。
イージーに他者基準に合わせるのではなく、自分の欲求だけで突っ走るわけでもない。

葛藤しながら、その場の「事実」を見ること。
そして自分の「感じ」を大切にすること。


いくら自分の意見を言いたくとも、授業をしてくれた先生を攻撃するようなことを言ったら、次からそのクラスには出にくくなります。
(それでもいいんですよ、責任を自分で引き受けるなら)

しかし、本当に尋ねたい衝動があったり、つまらない質問かもしれないけれどどうしても聞いておきたい欲求があるなら、発言すればいいのです。
あるいは、「ま、いいわ、こんなこと」と思うなら無言でいればいい。


人生にまったく同じ状況というのは、二度とありません。
マニュアル化などできない。

人の欲求もそれぞれ違います。

ある意味、人間はその時その場の状況ごとに葛藤し、悩んで判断するしかないかもしれません。


ただ、ひとつ大切な真実として理解しておきたいのは、本当は私たちには他の人が自分をどう思っているか、どう見ているかなど知る由もないのです。


いくら必死に気をつかったって、他人の心など私たちにはコントロールできない。


そういう事実もしっかり心にとめておきたいですね。


          雪の新宿  大雪の東京
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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