休息は仕事の転換にあり
これは森田正馬の言葉、つまり忙しくても、仕事の種類を換えることで休息がとれると言ったのですね。
長い旅から帰っても座り込まず、たまった手紙の整理をしたり・・・ということを森田はやったようなのです。
これを「そうでなければならない(かくあるべし)」でとってしまうと、もちろん大変なことになります。
だから「森田先生は昼寝もしていた」などという証言が出てきたりするわけです。
なんでも言葉をそのまま受け取るのが神経質の人の特徴。
立派な人はそれをやっていると思い、できない自分を責める方向に行きます。
しかし、言葉というのはエッセンスを見るのが大事。
自分でやってみると分かる部分が多いのです。
以前書いたこともありますが、私は休日にはこれを使って仕事の転換をします。
結果的に身体にもいいみたい。
休日というのは「疲れている」「今日はしっかり休まねば」と思ったり、「せっかくの休みだから有意義に使わねば」と思ったりして過ごすものです。
ところが、私の場合、やることがたくさんあると何だか気があせってしまい、頭のなかであれもこれもと思いながら、夜になると「今日は何やったんだろ?」みたいな状態になります。
それで、日中の一定の時間だけ(朝から晩までではない)一時間ずつタイマーをかけます。
これは人によって30分でも45分でもなんでもいいと思います。
PCに向かって作業したり、遊んだり、本を読んだりしている時間を一時間で切り上げる。その後、身体を動かすことをします。
意外とこれがすっきりするのです。
座って何かをしていると「何だかだるいな」とか「やはり疲れているんだ」などと、頭のなかで疲労を増幅させるようなところがあります。
ところが、立って身体を動かしてみると、実はそれほど疲れていない、爽快と感じたりする。
そして一時間動いたら、また座る作業(頭を使う作業)に戻る。
はかどります。
これには気持ちの転換以外にもいろいろなメリットがあるようです。
ひとつには「終われない」人のために効能がある。
時として、何かを「終える」のがすごく下手という人がいます。
やり始めたら気の済むまで没頭する。あるいは切り上げられない。
強迫的な人には多いかもしれません。
没頭し、集中するのが良いことのように思っている方もいるかもしれませんが、別にそうでなくても作業はできるのです。
もうひとつは、意欲を引き出す効果がある。
家事をやっていて、一時間のうちに時間が余る。
そうすると、何かやることはないかなと、あたりを見回して仕事を探す。
そういうことが起きてきます。
なるほど、これが森田博士が入院療法のなかで狙ったことなのかと思います。
「自分から」という仕事のしかたです。
森田博士の時代、ひとつの家にたくさんの入院生がいた。
仕事のとりあいという状態もあったと思います。
やることを探すという態度は、自分から外の世界に目を向けるきっかけになるのですね。
このようにメリットはたくさんあります。
ただ、この文章を「毎日をこう過ごさなくてはならない」ととらないでくださいね。
私は、休みの日でもダラダラしそうな時間だけ、こうしていますし、昼寝だってします。
そんなことは自分の自由。
「こうでなければ立派でない」と考えるのが神経質のクセ。
「ちょっとやってみようかな」ぐらいの気持ちで試してみてください。
