土砂降り
今日の東日本はものすごい荒天でしたね。
夏日そのもののように晴れていたのに、一瞬で、土砂降り、おまけに雷。
ちょうど、駅についたときに土砂降りになりました。
なにしろ、強烈な雷雨なので、駅から下りた人たちは、皆、駅ビルや駅通路で外を眺め、雨がやむのを待っていました。
私も通路のプロムナードの一角に腰をおろし、しばらく待機の構え。
そのとき、外に近いところで、「おい!!」という大きな声が聞こえたので、皆そっちのほうを見ました。
そこには三人の男性が。
大学生ぐらいの青年たち。
「おいっ!!」と声を上げたのは、三人の真ん中にいる青年で、雨のなかに出ていこうとする一人をとめようとしたのですね。
その一人の青年は、この暴風雨のなかを出ていこうとしたのです。
もちろん傘はさしていますが、シャワー状態です。
この三人が心理的な「こぜりあい」をしている感じがあって、私は面白がって眺めていました。
出て行った青年は、あとの二人に「えっ、オマエら、この程度のことで外にでられないの?信じられない! 来いよ」というようなメッセージを全身で表現しています。
それがいかにも芝居がかっていて、もうずぶ濡れ状態なのに、あえて雨のなかで立ち止まって(平然とした表情で)あとの二人がついてくるのを待っています。
三人のうちの、一人は、「絶対出ない、この雨で外に出るなんて問題外」という姿勢で傘もたたみ、動きません。
真ん中の青年は、かなり迷っています。
二人の間で、向こうへ近づいたり、こっちへ来たり。
「えっ、オレ外に出るべきなの? ここでひるむのは、恥ずかしいことなのかな? でも、すごい雨だし・・・行くべきなの? ここにいるべきなの?」みたいな。
(もちろん、これは見ていた私の解釈で、本当は違うかもしれませんけれどね)
結局、そのあと、近くに落雷があったようなものすごい音がして、他の二人の説得もあり、外の青年もプロムナードに戻ってきました。
彼の心の声は「けっ、弱虫どもめ」という感じだったかもしれません。
私が何を面白がっていたのかというと、「怖さ」に対する三人の態度の違い。
外に出ていった青年は怖かったかもしれないけれど、「オレは怖くないぞ」ということを、周辺に立っているたくさんの人たちの前で、一生懸命アピールしたんですね。
あるいは、本当に怖さも感じない鈍感な(あ、失礼)大胆な人だったのかもしれません。
最初からまったく動かない一人は、「怖いものは怖い。濡れるのはいや。危険は避ける」という姿勢。
真ん中の人は、「怖い」ということは感じながら、でもこの場合「どうすべきか」ということを、短い時間のなかで懸命に考えてしまったのですね。
彼にとっては試練のときだった(笑)。
この三人のどの態度をどうこう言おうというつもりはありません。
ただ、私たちは誰でも、生きてきた中で、時と場合によって、「怖さ」に対してこんな三様の態度をとってきたのかもしれないと思っただけです。
ひとつだけ確実に言えるのは、一番長生きするのは、「怖いものは怖い」と、あえて大胆ぶろうとしない、こういう人だと思いますけれどね。

夏日そのもののように晴れていたのに、一瞬で、土砂降り、おまけに雷。
ちょうど、駅についたときに土砂降りになりました。
なにしろ、強烈な雷雨なので、駅から下りた人たちは、皆、駅ビルや駅通路で外を眺め、雨がやむのを待っていました。
私も通路のプロムナードの一角に腰をおろし、しばらく待機の構え。
そのとき、外に近いところで、「おい!!」という大きな声が聞こえたので、皆そっちのほうを見ました。
そこには三人の男性が。
大学生ぐらいの青年たち。
「おいっ!!」と声を上げたのは、三人の真ん中にいる青年で、雨のなかに出ていこうとする一人をとめようとしたのですね。
その一人の青年は、この暴風雨のなかを出ていこうとしたのです。
もちろん傘はさしていますが、シャワー状態です。
この三人が心理的な「こぜりあい」をしている感じがあって、私は面白がって眺めていました。
出て行った青年は、あとの二人に「えっ、オマエら、この程度のことで外にでられないの?信じられない! 来いよ」というようなメッセージを全身で表現しています。
それがいかにも芝居がかっていて、もうずぶ濡れ状態なのに、あえて雨のなかで立ち止まって(平然とした表情で)あとの二人がついてくるのを待っています。
三人のうちの、一人は、「絶対出ない、この雨で外に出るなんて問題外」という姿勢で傘もたたみ、動きません。
真ん中の青年は、かなり迷っています。
二人の間で、向こうへ近づいたり、こっちへ来たり。
「えっ、オレ外に出るべきなの? ここでひるむのは、恥ずかしいことなのかな? でも、すごい雨だし・・・行くべきなの? ここにいるべきなの?」みたいな。
(もちろん、これは見ていた私の解釈で、本当は違うかもしれませんけれどね)
結局、そのあと、近くに落雷があったようなものすごい音がして、他の二人の説得もあり、外の青年もプロムナードに戻ってきました。
彼の心の声は「けっ、弱虫どもめ」という感じだったかもしれません。
私が何を面白がっていたのかというと、「怖さ」に対する三人の態度の違い。
外に出ていった青年は怖かったかもしれないけれど、「オレは怖くないぞ」ということを、周辺に立っているたくさんの人たちの前で、一生懸命アピールしたんですね。
あるいは、本当に怖さも感じない鈍感な(あ、失礼)大胆な人だったのかもしれません。
最初からまったく動かない一人は、「怖いものは怖い。濡れるのはいや。危険は避ける」という姿勢。
真ん中の人は、「怖い」ということは感じながら、でもこの場合「どうすべきか」ということを、短い時間のなかで懸命に考えてしまったのですね。
彼にとっては試練のときだった(笑)。
この三人のどの態度をどうこう言おうというつもりはありません。
ただ、私たちは誰でも、生きてきた中で、時と場合によって、「怖さ」に対してこんな三様の態度をとってきたのかもしれないと思っただけです。
ひとつだけ確実に言えるのは、一番長生きするのは、「怖いものは怖い」と、あえて大胆ぶろうとしない、こういう人だと思いますけれどね。
