「NO」と言うことのむずかしさ

先日のACミーティングのために、「境界線」のことをまとめていて、つくづく「NO」ということは、むずかしいことだなぁと思いました。

人間関係のなかで侵入されないように境界線を作ることが必要ですが、その一つの方法として、「NO」と言うことがあると思います。

これを「いやなときはNOと言えばいいんだ」と言葉で知識として理解するのは簡単。
でも、私はすぐ具体的に考えてしまうのですね。

そうやって考えてみると、私たちの日常には「NO」と言うのをためらったり、控えたり、諦めたりする機会が多いような気がします。

たとえば、近所の知り合いのかたに出会う。
今は立ち話したくないけれど、ここでむげに「NO」とは言えない。
あまりそっけなくすると、この相手だと、何かいやなことを言いふらされそうだ。
だから、ほんの少しつきあう・・とか。

たとえば、友人と映画に行くとき、いつも相手の趣味ばかり優先される。
それで時には「NO」と言って、自分の趣味を優先させると、なんだか相手は不満そう。

職場で「もうこれ以上仕事を抱えられない」と思って、上司に「NO」と言ってみる。
すると、同僚が好意で「じゃあ、私が引き受ける」などと横から言う。
その同僚が大変になるのは目に見えているので、結局自分が仕事をやることになる。

もっと深刻なのは、深夜までの残業が常態になっていて、身体がきついのに「仕事だからがんばらねば」と、「NO」ということすら思いつかない。

と、ここまで書いて思いつきました。

もしかしたら「NO」と言えない人の周りには、相手に「NO」と言わせない侵入的な人が、寄ってくるのかもしれません。

自分は簡単に「NO」と言って自分自身を守るのに、相手が「NO」と言うと、気分を害するような人です。

企業もそうです。

「NO」ということも思いつかないような、従順なおとなしい社員がたくさんいてくれたほうが、企業には都合がいいわけです。

つまり、こういう組み合わせが「支配」「被支配」へとつながっていくのですね。
従順なひとは「支配」されていることにすら気づかない。

あるいは、支配している側は、それでものごとがスムーズに運ぶわけだから、相手が「NO」と言う可能性すら思いつかない。
相手に「NO」という権利があることすら理解できないこともあるのかもしれません。

少し大げさになったでしょうか。

とにかく、「NO」と言えない人は、自分を守るためには、「NO」と言うことに慣れなくてはいけないのでしょう。


そういう人のなかには自分の欲求がはっきりわかっていない人もいるようです。

周りの人とうまくやりたい、周りに良かれと思って流されてしまう。

あるいは自分の欲求を出すことが「わがまま」のようではばかられる。

そしてギリギリのところまで追い詰められてハッと気づく。


そうなる前に「NO」と言うには、どうしたらいいのでしょう?

それは、まわりの状況や人との関係ばかり大事にするのではなく、自分の感情をきっちり感じること、そして自分の身体の状態も感じることなのでしょう。

つまり自分をよく見ること。 そして大事にすること。

自分を守るためには、「NO」ということに慣れなくては、とあらためて思います


         海と空
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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