自分だけではない
神経症(不安障害)のかたのお話を聞いていて、ひとつとても不思議に思うことがあります。
症状に取り憑かれると、たいていのかたが、「こんな変なことで悩んでいるのは自分だけ」と思うようです。
それがまた、悩みをもっと深めていきます。
「こんなふうに自分の視線が他人を傷つけてしまうのは、私だけ」
「こんなに赤面がひどいのは私だけ」
なぜ「自分だけ」と思うのでしょうか?
なにしろ、人間の感じるありとあらゆる感覚のなかのひとつを選んで神経症は出来上がるので、確かに「症状」と言われるものは多岐にわたりますし、あまり一般的でない症状もあります。
「症状」という現象だけを見れば単一ではありません。
でも、それが出来上がってくるメカニズムが一緒なので、ひとくくりに「森田神経症」と言われるわけです。
それにしても何か悩みを持ったときに、「この世界で一人だけ」「自分だけが特に変」と思うのはなぜなのでしょうね。
同じ悩みを持つ人は多いはず、とは思わないのでしょうか?
「差別観」とか「自己愛」「自己中心」とかいう言葉で説明できることなのかもしれませんが、それでは身も蓋もない。
私は、このような「自己特別視」の原因には、「経験不足」「知識不足」があるような気がします。
「知識」というのは、学問的な知識ではなく「常識」に近いもの。
はるか昔、神経質の相談をしていたかたから聞いたことがある話。
「今の相談の人、階段を上ると息が切れるということを知らなかったんだよ!」
つまり、そのかたは階段を上って息が切れたので病気だと思い込み、「症状」を発展させたのですね。
ここまでではなくても、たとえば親しい友人がいて、おしゃべりしたり、そういう会話のなかから人の心の機微を学ぶことができる。
相手が何を感じ、考えているかを知ることができる。
あるいはまた、心の機微を書いた小説などをたくさん読むことで、他の人にもいろいろな悩みがあり、人というのは悩んだり劣等感を持ったりするものなのだと、学ぶこともできる。
自分が特別と悩む人は、他人との共感を持った深い交わりとでもいうべき経験が、少なかったのではないだろうか、という気もします。
(それは小説中の登場人物への感情移入でもいいと思いますよ)
そういう意味で同じ症状を持った人たちの自助グループは、大切な経験を積む場になります。
でも、そこですら「自分の症状が一番ひどい」と思う人もいるわけです。
むずかしいですね。
しかし森田正馬にかかると、あっさりと片付けられます。
森田全集5巻からの抜粋
Y氏 私は人前で話をするのが、苦痛で困りますが、どうすれば楽に話をすることができるようになるでしょうか。
森田先生 ここに、人前で話が楽にできるような人が、幾人あるか。もしこの質問に同感の人が二、三人もあればお話してもよいです。(一同に問いただしてみるに、誰一人も、人前で話が苦痛でないという人はない)
森田先生 それでは、これはみな共通の人情であると思われるから、取り立ててお話をする必要はなくなったのです。(大笑)
名人芸ですね。

症状に取り憑かれると、たいていのかたが、「こんな変なことで悩んでいるのは自分だけ」と思うようです。
それがまた、悩みをもっと深めていきます。
「こんなふうに自分の視線が他人を傷つけてしまうのは、私だけ」
「こんなに赤面がひどいのは私だけ」
なぜ「自分だけ」と思うのでしょうか?
なにしろ、人間の感じるありとあらゆる感覚のなかのひとつを選んで神経症は出来上がるので、確かに「症状」と言われるものは多岐にわたりますし、あまり一般的でない症状もあります。
「症状」という現象だけを見れば単一ではありません。
でも、それが出来上がってくるメカニズムが一緒なので、ひとくくりに「森田神経症」と言われるわけです。
それにしても何か悩みを持ったときに、「この世界で一人だけ」「自分だけが特に変」と思うのはなぜなのでしょうね。
同じ悩みを持つ人は多いはず、とは思わないのでしょうか?
「差別観」とか「自己愛」「自己中心」とかいう言葉で説明できることなのかもしれませんが、それでは身も蓋もない。
私は、このような「自己特別視」の原因には、「経験不足」「知識不足」があるような気がします。
「知識」というのは、学問的な知識ではなく「常識」に近いもの。
はるか昔、神経質の相談をしていたかたから聞いたことがある話。
「今の相談の人、階段を上ると息が切れるということを知らなかったんだよ!」
つまり、そのかたは階段を上って息が切れたので病気だと思い込み、「症状」を発展させたのですね。
ここまでではなくても、たとえば親しい友人がいて、おしゃべりしたり、そういう会話のなかから人の心の機微を学ぶことができる。
相手が何を感じ、考えているかを知ることができる。
あるいはまた、心の機微を書いた小説などをたくさん読むことで、他の人にもいろいろな悩みがあり、人というのは悩んだり劣等感を持ったりするものなのだと、学ぶこともできる。
自分が特別と悩む人は、他人との共感を持った深い交わりとでもいうべき経験が、少なかったのではないだろうか、という気もします。
(それは小説中の登場人物への感情移入でもいいと思いますよ)
そういう意味で同じ症状を持った人たちの自助グループは、大切な経験を積む場になります。
でも、そこですら「自分の症状が一番ひどい」と思う人もいるわけです。
むずかしいですね。
しかし森田正馬にかかると、あっさりと片付けられます。
森田全集5巻からの抜粋
Y氏 私は人前で話をするのが、苦痛で困りますが、どうすれば楽に話をすることができるようになるでしょうか。
森田先生 ここに、人前で話が楽にできるような人が、幾人あるか。もしこの質問に同感の人が二、三人もあればお話してもよいです。(一同に問いただしてみるに、誰一人も、人前で話が苦痛でないという人はない)
森田先生 それでは、これはみな共通の人情であると思われるから、取り立ててお話をする必要はなくなったのです。(大笑)
名人芸ですね。
