漱石の病気 その2
このような不安定な自己、劣等感とひがみを持った彼が、その当時の文明国だったイギリスに渡って勉強することになった。
彼はそこで発病したと言われています。
その頃の日本はまだまだ東洋の小国。
東洋人に対する人種差別もあったでしょう。
彼はイギリス人全員が自分を馬鹿にしているという妄想にとらわれます。
それより少し前にアメリカからイギリスに渡った南方熊楠は、イギリス人と渡り合い、大英博物館に就職までしてしまうという闊達さでしたが、漱石にはそんな芸当はできません。
けれど本当のところは、下宿の家主姉妹は漱石のことを心配したり、医者も彼に運動を勧めたり、彼の具合の悪さに周囲は気をつかってくれたようです。
しかし、それを信じることができず、陰で意地悪をしていると考えるのが、その頃の漱石でした。
そして漱石は発病したまま帰国します。
帰国後の漱石は、家族に対して怒りをぶつけるようになりますが、社会的にはどんどん栄達していきます。
小泉八雲の後任として東大で英文学を教えることになり、初めての小説「吾輩は猫である」を発表し、文名はあがり、やがて朝日新聞社に迎えられて小説家として自立するまでになります。
神経衰弱も収まってきます。(もちろんまた悪化する時期もあり、これは死ぬ直前まで続きます)
しかし鏡子夫人の日記のなかで、私が面白く思うのは、彼は自身の神経衰弱に対して自己治癒的な行動をしているということです。
愛着障害は、言語での治療より、植物や動物などの生き物に触れたり、アートセラピーのほうが有効と言われています。
もちろん小さいころ、不十分な愛着しか持てなくても、その後にしっかり愛情を注いでくれる人に出会えれば障害にはならないようですが、大人になってからでは、他人に対する構えのベースに不信感がありますからなかなかむずかしい。
漱石夫妻はもともと動物を飼ったりするのに抵抗がない家だったようですが、帰国してから一匹の子猫がフラリと迷い込んできます。
追い払っても追い払っても帰ってくる。
結局、漱石の「おいてやったらいいじゃないか」の一言で、飼うことに決まり、それが「吾輩は~」の主人公になります。
その後も夏目家は、猫や犬、文鳥など動物がずっと同居していました。
もちろん子沢山ですから、いつも小さな子供がいる。
考えてみれば小説家の家にしてはにぎやかすぎるくらいです。
しかし精神的に健康な時の漱石はそれがまったく苦にならなかったようです。
多分、無意識に癒やされていることを感じていたのではないでしょうか。
そしてもうひとつ、自己治癒行為と私が思うのは、絵画です。
彼は帰国した翌年、何を思ったか絵筆をとり始めます。
別に誰かに見せるということもなく、ただ描いている。
そして神経衰弱のときに、必ず絵筆をとったそうです。
これは、ひとつの自己セラピーになっていたと思います。
彼の胃潰瘍も、私には幼児期のトラウマからの心身症のように思えます。
森田理論によれば、心と身体はひとつのもの。
胃潰瘍がひどくなると神経衰弱がおさまってくるというのも、彼の心身が総出で心的外傷に対応しているように、私には思えます。
そして彼の無意識は、自分を癒やす方法をきちんと探り当てていた。
最後まで治りきることはなかったけれど、このような心身の困難がありながら、あれだけの仕事を成し遂げられたということが、大きいのだと思います。
いやむしろ、幼児期の傷やひがみや、劣等感があったからこそ、漱石の「意地」が生まれ、これだけの仕事を成し遂げさせたのかもしれません。
育ち方のなかにどんな困難があったにせよ、私たちの心身、そして無意識は、私たちを支える方向で働いているに違いない。
漱石の生涯を見て、そんなことを思うのです。

彼はそこで発病したと言われています。
その頃の日本はまだまだ東洋の小国。
東洋人に対する人種差別もあったでしょう。
彼はイギリス人全員が自分を馬鹿にしているという妄想にとらわれます。
それより少し前にアメリカからイギリスに渡った南方熊楠は、イギリス人と渡り合い、大英博物館に就職までしてしまうという闊達さでしたが、漱石にはそんな芸当はできません。
けれど本当のところは、下宿の家主姉妹は漱石のことを心配したり、医者も彼に運動を勧めたり、彼の具合の悪さに周囲は気をつかってくれたようです。
しかし、それを信じることができず、陰で意地悪をしていると考えるのが、その頃の漱石でした。
そして漱石は発病したまま帰国します。
帰国後の漱石は、家族に対して怒りをぶつけるようになりますが、社会的にはどんどん栄達していきます。
小泉八雲の後任として東大で英文学を教えることになり、初めての小説「吾輩は猫である」を発表し、文名はあがり、やがて朝日新聞社に迎えられて小説家として自立するまでになります。
神経衰弱も収まってきます。(もちろんまた悪化する時期もあり、これは死ぬ直前まで続きます)
しかし鏡子夫人の日記のなかで、私が面白く思うのは、彼は自身の神経衰弱に対して自己治癒的な行動をしているということです。
愛着障害は、言語での治療より、植物や動物などの生き物に触れたり、アートセラピーのほうが有効と言われています。
もちろん小さいころ、不十分な愛着しか持てなくても、その後にしっかり愛情を注いでくれる人に出会えれば障害にはならないようですが、大人になってからでは、他人に対する構えのベースに不信感がありますからなかなかむずかしい。
漱石夫妻はもともと動物を飼ったりするのに抵抗がない家だったようですが、帰国してから一匹の子猫がフラリと迷い込んできます。
追い払っても追い払っても帰ってくる。
結局、漱石の「おいてやったらいいじゃないか」の一言で、飼うことに決まり、それが「吾輩は~」の主人公になります。
その後も夏目家は、猫や犬、文鳥など動物がずっと同居していました。
もちろん子沢山ですから、いつも小さな子供がいる。
考えてみれば小説家の家にしてはにぎやかすぎるくらいです。
しかし精神的に健康な時の漱石はそれがまったく苦にならなかったようです。
多分、無意識に癒やされていることを感じていたのではないでしょうか。
そしてもうひとつ、自己治癒行為と私が思うのは、絵画です。
彼は帰国した翌年、何を思ったか絵筆をとり始めます。
別に誰かに見せるということもなく、ただ描いている。
そして神経衰弱のときに、必ず絵筆をとったそうです。
これは、ひとつの自己セラピーになっていたと思います。
彼の胃潰瘍も、私には幼児期のトラウマからの心身症のように思えます。
森田理論によれば、心と身体はひとつのもの。
胃潰瘍がひどくなると神経衰弱がおさまってくるというのも、彼の心身が総出で心的外傷に対応しているように、私には思えます。
そして彼の無意識は、自分を癒やす方法をきちんと探り当てていた。
最後まで治りきることはなかったけれど、このような心身の困難がありながら、あれだけの仕事を成し遂げられたということが、大きいのだと思います。
いやむしろ、幼児期の傷やひがみや、劣等感があったからこそ、漱石の「意地」が生まれ、これだけの仕事を成し遂げさせたのかもしれません。
育ち方のなかにどんな困難があったにせよ、私たちの心身、そして無意識は、私たちを支える方向で働いているに違いない。
漱石の生涯を見て、そんなことを思うのです。
