小さな喜び
良い天気の日が続いています。
緑がとても美しく、新緑がだんだん深みのある色になっていく様子も楽しめます。
毎日の仕事に追われている人は、なかなかそういう微妙な自然の変化に気づくことが難しいかもしれません。
私たちは、仕事や学校、家庭や育児の場で、時間に追われ、数値目標に追われ、ランクづけや締め切りに追われているかもしれません。
私たちの社会はいつからそういうことだけが重要になってしまったのでしょう。
そういう生活に慣れてしまうと、目標を達成することや、地位を獲得すること、お金持ちになること、人から尊敬されること、それが人生の重大事になってくる。
「それが重大じゃないの?」という反論も来そうな気がしてこわいのですが・・・。
それが本当にやりたいことなら、まだ救いはありますが。
もし努力して目標を達成すること、尊敬される人になることが大切なことだとしたら、それで幸せになれる人ってどれだけいるのでしょう。
ただただそれを目指していたら、上には上がいる。
それこそ、ノーベル賞でもとらないことには、安眠できないことになる。
いつも「もっともっと」「まだできるはずだ」と自分を駆り立て、少数の成功者をうらやんで「やっぱりダメだ」と落ち込む。
私たちは、学校や職場でそういう生き方を教えこまれてしまったのではないでしょうか。
そういう生き方をしていると、ほんの少しの喜びや楽しみに鈍感になってくるようです。
私はこのところ、きれいな風景の載っているPCのサイトをよく眺めています。
雄大な自然のなかで、自然とともに生きるって、(私にはできないことですが)何か心休まる生活のような気がします。
たとえば、土地を耕して種をまいたら芽が出てきた。
これはとてもうれしいことではないでしょうか。
収穫ができたら、たとえ少しぐらい不出来でも、きっと感動することでしょう。
自然の中にいなくてもいい。
ゆっくりした時間のなかで前から読みたかった本を、コーヒーを飲みながら読み終えた。
一度行きたかった評判のお店で、美味しいお料理を食べた。
久しぶりの友人と会って楽しい時を過ごした。
絵を描いてみたら、下手だったけれどなんだかとても気持ち良かった。
そういう日常のなかの小さな喜びこそ、私たちを本当に生き生きさせてくれるものなのだろうと思うのです。
それはただの「気持ちよさ」であって、なんの価値判断の尺度にものらないもの。
そういう「喜び」を本当に味わい、実感できるようになってくると、私たちは世間的な成功を夢中で追い求め、勝った負けたと騒ぐことから、少し離れられるようになるのではないでしょうか。
小さな喜びを積み上げることこそが、過大な理想の呪縛から私たちを解き放してくれるような気がするのです。
