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幸福な王子

「幸福な王子」という童話があります。
この童話の話をすると、皆さんご存じなので、教科書か何かに載っているのかもしれません。

有名な話ですので、詳細なあらすじは書きませんが、完璧な自己犠牲の話です。
アンデルセンかと思っていたら、オスカー・ワイルドの作品だそうです。

とある街に建っている王子の銅像はルビーやサファイア、金箔に飾られていますが、街を飛んでいるツバメが貧しい人の様子を伝えると、王子はその宝石をツバメに託し、貧しい人に分け与え、結局自分は惨めな姿になって、溶かされ、ツバメもともに死んでしまうというお話。

小さい頃は「いい話だなぁ」と思ったのですが、今は「なんだかなぁ」と思います。

なぜこの童話の話をカウンセリングのなかでするかというと、これって「共依存」そのものではないかと思ってしまったからです。

共依存的な人たちは、自分では意識しなくても、人のために尽くすのです。
自分のエネルギーが尽きるまで、配偶者、子供、恋人などの相手、あるいは「職場」のために身を粉にして働くのです。

自分が疲れていても、そんなことはどうでもいいのです。
自分が尽くしている対象がおだやかであったり、うまくやっていってくれると自分も安心する。

ですから心のなかは、他人への心配でいっぱい。
自分への心配は意識できない!

このところ私は共依存のことを考えると、この「幸福な王子」をイメージしてしまいます。

自己犠牲を否定するわけではありません。
それが美しいときもあるかもしれません。

ただ、この童話の場合、宝石をもらった貧しい人は助かったかもしれませんが、本当に彼らは王子の愛情を意識できたのでしょうか。

王子の愛情は彼らに届いたのでしょうか。

たとえば、過度に子どもの心配をする親。
子どもがもう自立していても、細かいところまであれこれ心配して世話を焼いているということは、ある意味、子どもを信じていないということですよね。

たとえ少しぐらいつまづいても、この子は大丈夫、と思う親と、転ばぬ先の杖で、あれこれと心配を口にする親とでは、子どもにとってどちらに安心感があるのでしょう。

しかし、共依存の人は、心の奥底に「自分を必要とされたい」という欲求があり、誰かの世話をすることで、自分が安心するのです。
どこかに見捨てられ不安があるのかもしれません。

人の役に立っていないと、自分は誰からも振り向かれない。
そう思っているのかもしれません。

何をしなくても、自分は自分のままでいい。
そのままで、他の人にも受け入れられる。
そういう確信が持てないのでしょう。

そのために何かの役割にしがみついたり、誰かにしがみついたりするのです。

しかし、共依存の人の自己犠牲は、相手を強くし、自立させることはない。
相手はかえって依存的になり、一人では生きられない人になってゆくのです。

他人のため、仕事のための人生ではなく、「私のため」の人生を生きる。

そうやって本人が生き生きすれば、周りの人や環境も自然に変化していくものです。

         ツバメ
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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