エジプトの王妃展
上野の東京国立博物館に「クレオパトラとエジプトの王妃展」を見に行ってきました。
よく上野の美術館に有名な絵画がきますが、どうも混んでいるという先入観があり、あまり出かけようという気になりません。
でもエジプトのものだと、何が何でも出かけてしまう。
エジプト好きなんです。
ちょうどフロイトの「モーセと一神教」を読み直していたこともありますし、いつもながらエジプトの考古学的な美術品を眺めてまわるのは楽しいことでした。
「モーセと一神教」はフロイトの最後の作品。
ユダヤ人と彼らから発祥した一神教というものの起源を考察した集団心理学的な作品です。
自身の理論を一民族の歴史にあてはめて考えたものです。
考古学的には「トンデモ理論」と言われているようですが、歴史を舞台にした創作として読むと面白い。
エジプト史のなかに、一人特異な王がいて(イクナートン、紀元前1353年頃即位)
彼は突然エジプト中の信仰をアテン神の一神教へと改革してしまうのです。その改革は周囲の強い反対にあい、その子ツタンカーメンは、多神教へと改宗します。
フロイトは、モーセがこのイクナートンの頃のエジプトの有力者であり、彼がエジプトにいたユダヤ人(の原型となる民族)を率いてエジプトを脱出し、彼らにイクナートンの一神教を与え、民族としての形を与えたと言います。
(ここからがフロイト的ですが)ところが、ユダヤ人はモーセを殺してしまう。この原父殺しの記憶が、民族の長い歴史を経たあと忘れ去られ、そしてまた回帰したときには、モーセは神々しい存在になり、彼の与えた一神教への強烈な信仰となる・・・というようなことです。(抑圧されたものの回帰)
まだまだ内容的にはいろいろと言及したいことはありますが、概略ですので、ここまでにします。
こういう作品を読むと、フロイトは、文学者的な資質の人だったのではないかなと思います。
歴史が好きで、すべてを(個人の内面も)「歴史」というスケールから俯瞰していくのですね。
森田正馬とはここが大きな違いです。
森田もまた集団心理学的な考察をいくつもしています。
たとえば「土佐の犬神憑き」の研究、「関東大震災における流言誹語」の研究などはその類のものですね。
でも森田はすべて「事実」がベース。
もちろん、それは科学の基本ではありますが、深く掘り下げるという感じはなく散文的です。
その背景にある歴史的視点、差別構造などには、あまり言及していません。
もちろんそんなことは言えない時代でもありました。
「関東大震災」の論文などは検閲で当時は殆ど陽の目を見ていませんから。
さて、「エジプトの王妃展」の話をしていたんでしたっけ。
会場がとても広く、疲れたので友人と会場内の椅子に座り、「私アメ持ってる」と取り出していると、突然「お客さま! お客さま!」の声。
目の前に会場警備の女性が立っています。
「ここではアメは食べないでください」
「えっ?! なぜ?」
「万が一、むせたり咳をしたりして・・・作品が・・・」
展示品からは遠く離れているのに・・・。
もちろん彼女が後ろを向いた隙に口に放り込みましたが。
とにかくなんとも警備が厳重で、ここかしこで「お客さま! お客さま!」の声。
「水は飲まないでください」
「傘は持ち込み禁止です」
まぁ、世界各国から貴重な展示品を集めているのですから、理解できないでもないですけれどね。
人をコントロールする職業の人にとって、一番やっかいなのは、相手が自発的に動くことなんでしょう。
そのうち「お客さま! 歩かないでください。転ぶと作品がこわれます!」
「お客さま! 息をしないでください。作品が劣化します!」なんて言われたりして・・(笑)
あ、これは落語の聞きすぎですね。
とにかく見応えのある「エジプト展」でした。 クレオパトラとエジプトの王妃展

よく上野の美術館に有名な絵画がきますが、どうも混んでいるという先入観があり、あまり出かけようという気になりません。
でもエジプトのものだと、何が何でも出かけてしまう。
エジプト好きなんです。
ちょうどフロイトの「モーセと一神教」を読み直していたこともありますし、いつもながらエジプトの考古学的な美術品を眺めてまわるのは楽しいことでした。
「モーセと一神教」はフロイトの最後の作品。
ユダヤ人と彼らから発祥した一神教というものの起源を考察した集団心理学的な作品です。
自身の理論を一民族の歴史にあてはめて考えたものです。
考古学的には「トンデモ理論」と言われているようですが、歴史を舞台にした創作として読むと面白い。
エジプト史のなかに、一人特異な王がいて(イクナートン、紀元前1353年頃即位)
彼は突然エジプト中の信仰をアテン神の一神教へと改革してしまうのです。その改革は周囲の強い反対にあい、その子ツタンカーメンは、多神教へと改宗します。
フロイトは、モーセがこのイクナートンの頃のエジプトの有力者であり、彼がエジプトにいたユダヤ人(の原型となる民族)を率いてエジプトを脱出し、彼らにイクナートンの一神教を与え、民族としての形を与えたと言います。
(ここからがフロイト的ですが)ところが、ユダヤ人はモーセを殺してしまう。この原父殺しの記憶が、民族の長い歴史を経たあと忘れ去られ、そしてまた回帰したときには、モーセは神々しい存在になり、彼の与えた一神教への強烈な信仰となる・・・というようなことです。(抑圧されたものの回帰)
まだまだ内容的にはいろいろと言及したいことはありますが、概略ですので、ここまでにします。
こういう作品を読むと、フロイトは、文学者的な資質の人だったのではないかなと思います。
歴史が好きで、すべてを(個人の内面も)「歴史」というスケールから俯瞰していくのですね。
森田正馬とはここが大きな違いです。
森田もまた集団心理学的な考察をいくつもしています。
たとえば「土佐の犬神憑き」の研究、「関東大震災における流言誹語」の研究などはその類のものですね。
でも森田はすべて「事実」がベース。
もちろん、それは科学の基本ではありますが、深く掘り下げるという感じはなく散文的です。
その背景にある歴史的視点、差別構造などには、あまり言及していません。
もちろんそんなことは言えない時代でもありました。
「関東大震災」の論文などは検閲で当時は殆ど陽の目を見ていませんから。
さて、「エジプトの王妃展」の話をしていたんでしたっけ。
会場がとても広く、疲れたので友人と会場内の椅子に座り、「私アメ持ってる」と取り出していると、突然「お客さま! お客さま!」の声。
目の前に会場警備の女性が立っています。
「ここではアメは食べないでください」
「えっ?! なぜ?」
「万が一、むせたり咳をしたりして・・・作品が・・・」
展示品からは遠く離れているのに・・・。
もちろん彼女が後ろを向いた隙に口に放り込みましたが。
とにかくなんとも警備が厳重で、ここかしこで「お客さま! お客さま!」の声。
「水は飲まないでください」
「傘は持ち込み禁止です」
まぁ、世界各国から貴重な展示品を集めているのですから、理解できないでもないですけれどね。
人をコントロールする職業の人にとって、一番やっかいなのは、相手が自発的に動くことなんでしょう。
そのうち「お客さま! 歩かないでください。転ぶと作品がこわれます!」
「お客さま! 息をしないでください。作品が劣化します!」なんて言われたりして・・(笑)
あ、これは落語の聞きすぎですね。
とにかく見応えのある「エジプト展」でした。 クレオパトラとエジプトの王妃展