戦前と戦後
20年以上前のことですが、とある知り合いのかたの話。
私よりずっと年長の男性でした。
そのかたは、国会中継があるときは、必ずラジオでそれを聞いていました。
その理由は、「日本が戦前の状態に逆戻りしないように、皆が政治家のやることを知っていないといけないんだ」ということでした。
そのかたは先の大戦のときに、兵士として中国に行き、生還したかたのようでした。
彼のお孫さんの小学校入学式のときでした。
日の丸の掲揚の時も国歌斉唱のときも、彼は起立しなかったそうです。
彼にとってその国家も国旗も「現在の日本」のものとして認められなかったのでしょう。
それは軍国主義の象徴そのもので、今の民主主義の日本にはふさわしくない、と彼は思ったのでしょう。
それが彼の「国を愛する」姿勢だったのです。
私はこの頃、オリンピックやサッカーで国旗が掲揚されるとき、若い人たちが純粋に感動して泣いている姿を見ると、複雑な思いがします。
彼らにとっては、国旗・国歌はもう何の雑念もなく「国を愛する」ためのシンボルなのですね。
戦争を思い出させるものではない。
日本人は、こういうことに象徴される世代間の心理的な断絶の解決を怠ってきたのではないでしょうか。
そのかたは、結局、中国で何を経験したかをひとことも語ることなく、逝かれました。
被害者は声高に語ることができる。
しかし、加害者は語れない。
自分が戦争中に何をしたかなんて、記憶にとどめておきたくもないでしょう。
彼らにとって、戦後は苦しい時間だったと思います。
しかし加害者が語らなかった、記録が残らなかったからといって「事実」は消えない。
最近日本には、「否認」の病が流行り始めていたようです。
「否認」とは、「あったことをなかったことにしてしまう」という心理的な防衛機制。
ありのままに物事を見ると、自分が不安で苦痛なので、そういう心の動きが出てくるのです。
日本は大戦中にそんなに悪いことはしなかったと思えば、心は安らかですから。
それに、若い世代はあまり大戦中のことを教わっていないようです。
あまつさえ、それを「美化」しているんじゃないかという動きさえ見られます。
しかし今回の安保法案をめぐる人々の動きは、「戦後」を考え直す契機になったと思います。
「法案」のことだけでなく、たくさんの人たちが、このごろの日本はおかしい、戦前に戻りつつあるのでは・・・という危惧を抱いていることがわかりました。
心強いことです。
それだけたくさんの人が不安をもっている法案を、十分な説明もせず、審議もさせず通してしまうなんて、このやりかたも戦前を思わせますね。
きっと背後にはお金がからんでいるのでしょう。
とにかく、日本は現代史のなかで「戦前」と「戦後」という二つの時代を比較することができる。
それは独裁と民主主義の二つの時代を経験したということであり、戦争と平和を体験したということです。
そうであれば、私たちは、「戦前」の状態をもっと考察してもいいのかもしれません。
そんな時代をもたらしてしまった社会心理や集団心理、どうやって国民が洗脳されていったか。
どうして他民族をそれほど侮蔑できたのか。
そんなことを理解していけば、今の時代とどこが似ていてどこが似ていないのか、理解できて対処できるかもしれません。
もちろんそれは日本人だけの問題ではなく、普遍的なものもあると思いますが。
戦前のそのような部分を(事実を)しっかり見ることを、日本人は怠ってきたのではないのか。
そしてそれが「戦前」的な状態を回帰させる一因でもあるのではと思います。
濁流に捨て来し燃ゆる曼珠沙華 赤きを何の生贄とせむ (寺山修司)
私よりずっと年長の男性でした。
そのかたは、国会中継があるときは、必ずラジオでそれを聞いていました。
その理由は、「日本が戦前の状態に逆戻りしないように、皆が政治家のやることを知っていないといけないんだ」ということでした。
そのかたは先の大戦のときに、兵士として中国に行き、生還したかたのようでした。
彼のお孫さんの小学校入学式のときでした。
日の丸の掲揚の時も国歌斉唱のときも、彼は起立しなかったそうです。
彼にとってその国家も国旗も「現在の日本」のものとして認められなかったのでしょう。
それは軍国主義の象徴そのもので、今の民主主義の日本にはふさわしくない、と彼は思ったのでしょう。
それが彼の「国を愛する」姿勢だったのです。
私はこの頃、オリンピックやサッカーで国旗が掲揚されるとき、若い人たちが純粋に感動して泣いている姿を見ると、複雑な思いがします。
彼らにとっては、国旗・国歌はもう何の雑念もなく「国を愛する」ためのシンボルなのですね。
戦争を思い出させるものではない。
日本人は、こういうことに象徴される世代間の心理的な断絶の解決を怠ってきたのではないでしょうか。
そのかたは、結局、中国で何を経験したかをひとことも語ることなく、逝かれました。
被害者は声高に語ることができる。
しかし、加害者は語れない。
自分が戦争中に何をしたかなんて、記憶にとどめておきたくもないでしょう。
彼らにとって、戦後は苦しい時間だったと思います。
しかし加害者が語らなかった、記録が残らなかったからといって「事実」は消えない。
最近日本には、「否認」の病が流行り始めていたようです。
「否認」とは、「あったことをなかったことにしてしまう」という心理的な防衛機制。
ありのままに物事を見ると、自分が不安で苦痛なので、そういう心の動きが出てくるのです。
日本は大戦中にそんなに悪いことはしなかったと思えば、心は安らかですから。
それに、若い世代はあまり大戦中のことを教わっていないようです。
あまつさえ、それを「美化」しているんじゃないかという動きさえ見られます。
しかし今回の安保法案をめぐる人々の動きは、「戦後」を考え直す契機になったと思います。
「法案」のことだけでなく、たくさんの人たちが、このごろの日本はおかしい、戦前に戻りつつあるのでは・・・という危惧を抱いていることがわかりました。
心強いことです。
それだけたくさんの人が不安をもっている法案を、十分な説明もせず、審議もさせず通してしまうなんて、このやりかたも戦前を思わせますね。
きっと背後にはお金がからんでいるのでしょう。
とにかく、日本は現代史のなかで「戦前」と「戦後」という二つの時代を比較することができる。
それは独裁と民主主義の二つの時代を経験したということであり、戦争と平和を体験したということです。
そうであれば、私たちは、「戦前」の状態をもっと考察してもいいのかもしれません。
そんな時代をもたらしてしまった社会心理や集団心理、どうやって国民が洗脳されていったか。
どうして他民族をそれほど侮蔑できたのか。
そんなことを理解していけば、今の時代とどこが似ていてどこが似ていないのか、理解できて対処できるかもしれません。
もちろんそれは日本人だけの問題ではなく、普遍的なものもあると思いますが。
戦前のそのような部分を(事実を)しっかり見ることを、日本人は怠ってきたのではないのか。
そしてそれが「戦前」的な状態を回帰させる一因でもあるのではと思います。

濁流に捨て来し燃ゆる曼珠沙華 赤きを何の生贄とせむ (寺山修司)