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「変えない」ことの意味

前回のブログで、「認知の歪み」もそのまま・・・ということを言いました。

これはご本人の状態にもよります。
別に神経症の症状のようなものは持ち合わせていないかたでしたら、「ああ、そうだったのか」とすぐ納得されて、日常生活がスムーズになってゆくのかもしれません。

しかし、長い間自分の症状や感情をいじりまわしてきた人にとっては、ことはそう簡単にはいきません。

つまり「いじる=コントロールする」ことが常態になってしまっていると、「認知の歪み」と聞いただけですぐ「それを直そう、変えよう」とする気持ちに入ってしまう。

神経症的な人たちは、自分に気持ちよくない感情や思考が湧いてきたときにすぐ「いかん、いかん」と打ち消そうとする癖があります。
ちょっと友人に怒りを感じると、そのこと自体がいやでなんとかしようとする。
(「いい人」でいたい、ということもあるのかもしれません)

怒りは態度に表さないという選択肢もあるし、必要と思えば表現してもいい。
感情はどうあれ、行動の選択はできるのです。

とにかく、そんなこんなでいつも頭のなかがとても忙しい。

それが悩みになり、日常生活がおろそかになっていくのです。

ですから、「認知の歪み」のような気付きがあったとき「あぁ、そうか」と知識としてもっているだけでいい。
直そうとすれば、それがまた「悩み」になっていきます。

もちろん心理学的な知識としてもっていることはいいことだし、気づくヒントになります。

それでは、何もしなくていいのかと言われそうです。

森田療法の「あるがまま」が誤解されるところですね。

「あるがまま」とはただ「変えられないもの(思考の癖、感情)をコントロールしようとしない。変えられるもの(行動、態度)は変えていく」というだけのことです。

そして忘れてはならないことは、「あるがまま」とは固定的な状態を指すのではないということ。

私たちは、つねに変化のなかにいます。
時間は流れています。
私たち自身の感情も生理的なものも時々刻々変化します。
私たちをめぐる人的環境、社会的環境も変化流動しています。

同じ瞬間など、二度とこない。

「あるがまま」とはそれを含めての「あるがまま」です。

言ってみれば「神経症的」な状態とは、「ちょっと待って、私の心の準備ができたら実生活を始めるから」みたいな感じかもしれません。

そのまま(自分では不十分な自分と思うまま)実生活におそるおそる乗り出すことで、変化は訪れるのです。

そして目の前のことに工夫しながら、欲望を生かし始める。
経験したことのなかから学ぶ。
頭のなかで予想したり、考えたりしていたことと「現実」とはどれほど違うかを学ぶ。

そういう行動のなかに、小手先の修正ではなく、あなたを根本的に変えていく何かがあるのです。

思い切って「経験」のほうに乗り出してみることで、もしかしたら予測もつかないほどダイナミックな展開が、あなたの人生に訪れるかもしれません。



夕日

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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