暴力 ハラスメント
パリの同時多発テロでは、この世界が暴力に満ちているということを嫌でも自覚させられました。
パリのように報道されないけれど、実は内戦状態で、国民が日常的に命の危険にさらされている国も多い。
もちろんシリアもそのひとつで、だからこそ、人々が他の国に逃れて難民になるのです。
宗教が違うから、信条が違うから、国が違うから、人種が違うからという理由で、相手を「敵」と見なし、殺傷できてしまう。
人間の心にあるそういう側面を「勇気」とか、「愛国」とかいう名前のもとに肯定してしまったときに、人は歯止めがきかなくなるのかもしれません。
攻撃性というものは、人が当たり前にもっているものです。
良いも悪いもない。
仕事や業績を前に進めるためには、攻撃性の持つ役割は大きいでしょう。
しかしそれが、身近にいる人に対して発散されることがある。
家庭における暴力。
職場におけるハラスメント。
これが「当たり前」のものだった時代もありました。
しかし最近やっと「問題視」されるようになってきました。
そしてそれを問題としてとらえると、平和なはずの社会も、薄紙一枚隔てた向こうに暴力が満ち満ちているのがわかります。
当然のことながら、暴力は「強いものから弱いものへ」「権力を持っているものから持っていないものへ」向かうことが多い。
要するに「弱いものいじめ」の側面がある。
あるいは、力を行使することによって、「弱かったもの」が「強いもの」になろうとする。
家庭のなかの暴力が注目されるようになった発端は、子どもたちの「家庭内暴力」でした。
なぜかというと、これは「弱い(はずの)子ども」が「強い(はずの)大人」に暴力をふるったからです。
しかし実はよく見てみると、家庭のなかは、子どもたちの暴力よりむしろ親の暴力が蔓延している場所だった。
それが近年の「児童虐待」「DV」の発見へとつながりました。
けれど、それは最近始まったものではなく、ずっと「あった」ものなのです。
そして昨今の「ハラスメント」(いやがらせ)への注目。
これも、昔からあったことなのでしょう。
ただ、最近注目され、問題として見られるようになったわけです。
それはきっと被害者側が「声」を持つようになり、その「声」を聴くだけの用意が社会の側に整ったからでしょう。
それでも、会社のパワハラ相談室に訴えても、そこが体裁だけのもので、なんの機能もしていないということもあるようです。
しかしハラスメントと総称されるものには、微妙な部分があって、大抵の場合それをしている本人に全く自覚がない。
面白い記事を見つけました。これによるとハラスメントにはこれだけの種類があるそうです。
ハラスメントの種類
たとえば、子に対する「結婚しないの?」の嫌味とか、「孫の顔がいつ見られるかね?」などという発言は、いやがらせにもなり得るんですね!
「あんたO型だから・・」などと血液型で差別する発言もバツ。
どうも相手が「攻撃された」と不快に感じるものがハラスメントとなっているようです。
パワハラならわかるけれど、細かくなってくると微妙な部分がありますね。
そのうち、相手を「それはハラスメントだ」と訴えるハラスメントが流行するのでは?
略して「ハラ・ハラ」・・・・あ、これは冗談。
今週27日(金)18時30分からのACミーティングでは、「家族のなかの暴力」について、レクチャーと交流を行います。初めてのかたはお茶の水セラピールームのサイトからメールでお申し込みください。
お茶の水セラピールーム
宍道湖の夕暮れ
パリのように報道されないけれど、実は内戦状態で、国民が日常的に命の危険にさらされている国も多い。
もちろんシリアもそのひとつで、だからこそ、人々が他の国に逃れて難民になるのです。
宗教が違うから、信条が違うから、国が違うから、人種が違うからという理由で、相手を「敵」と見なし、殺傷できてしまう。
人間の心にあるそういう側面を「勇気」とか、「愛国」とかいう名前のもとに肯定してしまったときに、人は歯止めがきかなくなるのかもしれません。
攻撃性というものは、人が当たり前にもっているものです。
良いも悪いもない。
仕事や業績を前に進めるためには、攻撃性の持つ役割は大きいでしょう。
しかしそれが、身近にいる人に対して発散されることがある。
家庭における暴力。
職場におけるハラスメント。
これが「当たり前」のものだった時代もありました。
しかし最近やっと「問題視」されるようになってきました。
そしてそれを問題としてとらえると、平和なはずの社会も、薄紙一枚隔てた向こうに暴力が満ち満ちているのがわかります。
当然のことながら、暴力は「強いものから弱いものへ」「権力を持っているものから持っていないものへ」向かうことが多い。
要するに「弱いものいじめ」の側面がある。
あるいは、力を行使することによって、「弱かったもの」が「強いもの」になろうとする。
家庭のなかの暴力が注目されるようになった発端は、子どもたちの「家庭内暴力」でした。
なぜかというと、これは「弱い(はずの)子ども」が「強い(はずの)大人」に暴力をふるったからです。
しかし実はよく見てみると、家庭のなかは、子どもたちの暴力よりむしろ親の暴力が蔓延している場所だった。
それが近年の「児童虐待」「DV」の発見へとつながりました。
けれど、それは最近始まったものではなく、ずっと「あった」ものなのです。
そして昨今の「ハラスメント」(いやがらせ)への注目。
これも、昔からあったことなのでしょう。
ただ、最近注目され、問題として見られるようになったわけです。
それはきっと被害者側が「声」を持つようになり、その「声」を聴くだけの用意が社会の側に整ったからでしょう。
それでも、会社のパワハラ相談室に訴えても、そこが体裁だけのもので、なんの機能もしていないということもあるようです。
しかしハラスメントと総称されるものには、微妙な部分があって、大抵の場合それをしている本人に全く自覚がない。
面白い記事を見つけました。これによるとハラスメントにはこれだけの種類があるそうです。
ハラスメントの種類
たとえば、子に対する「結婚しないの?」の嫌味とか、「孫の顔がいつ見られるかね?」などという発言は、いやがらせにもなり得るんですね!
「あんたO型だから・・」などと血液型で差別する発言もバツ。
どうも相手が「攻撃された」と不快に感じるものがハラスメントとなっているようです。
パワハラならわかるけれど、細かくなってくると微妙な部分がありますね。
そのうち、相手を「それはハラスメントだ」と訴えるハラスメントが流行するのでは?
略して「ハラ・ハラ」・・・・あ、これは冗談。
今週27日(金)18時30分からのACミーティングでは、「家族のなかの暴力」について、レクチャーと交流を行います。初めてのかたはお茶の水セラピールームのサイトからメールでお申し込みください。
お茶の水セラピールーム
宍道湖の夕暮れ