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不安の正体

不安は、私たちが生活していくなかで必ず湧き上がってくるもの。
特に不安を感じやすい神経質のかたがたにはつきものですね。
この不安感や心配がなければ、どんなにか人生が楽だろうと思っているかたは多いでしょう。

「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」という森田正馬の言葉があります。
「不安」を表現した言葉です。
つまり、暗い道を歩いていて道端でなにか動くものがあり、心臓がとまるほどの恐怖を感じる。でもよく見るとススキだった・・ということです。

不安にもそういう部分があります。

不安には空想がつきもの。
何かが心配になると、自分の頭のなかでそれをめぐる様々な空想が展開されます。

誰かが癌で亡くなったとか、闘病中とかいう情報があると、「もしかしたら自分も・・」という疑いが芽生える。
そうすると、もう自分が病気になったような空想が発展していく。

もし自分のどこかに癌があったらどうしよう。
自覚症状がない場合が多いようだし、身体のあそこかもしれない、ここかもしれない。
空想はどんどん悲観的な方向に大きくなっていき、死ぬかもしれないとこわくてたまらない。

そうなると、こわくて検診にもいけなかったり、病院で検査してもらっても「もしかしたら誤診かもしれない」とまだ不安でたまらない。
病院巡りをしたりします。

こういう人が(癌恐怖といいます)、ひとたび本当に癌だと診断されると、どんなことが起こるでしょう?
実は、癌になったことは辛いけれど、あの「不安」な状態よりずっとマシという方が多いのです。

なぜなら、「不安」は「幽霊」のようなもの。
変幻自在で、いくらでも大きくなっていく。
そういうときは、不安にもて遊ばれている感じです。
ところが、具体的に病気を宣告されると、自分の対応のしかたがわかるのです。

不安が「具体化」されて、自分が何をすればよいかわかる。
つまり死はこわいけれど、当面自分がすることは闘病です。
もちろん不安がまったく消えるわけではないけれど、それは漠然としたものから具体的なものへと変化するのです。

もちろん、皆が重病になればいいという話ではありません。

不安は、私たちの日常生活のなかで、折にふれ湧き上がってくるもの。
当たり前のものなのです。

ただ、その不安と闘ってしまうと、幽霊と格闘しているようなもの。
相手はどんどん大きくなります。
それが神経症という状態です。

この不安から逃げようとすると、上記の例で言えば「病院巡り」になり、悪あがきになるわけです。
強迫行為というのは、皆、このようなものです。

不安は不安、自分の生活にはつきものと覚悟して、自分の現実の生活から逃げないこと。
ていねいに毎日の生活をし、仕事をしていくと、自分は何がしたかったのか、どうしてそれが不安だったのか理解できてくる。
なによりも、毎日の生活が面白くなってくる。

決して不安がなくなるわけではない。
でも、幽霊のように恐ろしかったものが、ススキだとわかり、現実の具体的な物事に向かって進んでいけるようになるのです。


スパニッシュ

   クライエントさんからお送りいただいたバラの写真  スパニッシュビューティ
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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