心配と事実

神経質のかたのお話を聞いていると、ご自身のなかで「思考と現実」の区別がついていないかたが多いようです。

たとえばいろいろなことを心配する。
それはよくあることです。

心配すると、まだ起こっていないことが、あたかも起こりつつあることのように感じられて、ドキドキしてくる。
冷や汗まで出てくる。
まるでもう経験してしまったかのようです。

たとえば縁起恐怖のかただと、「この神社の前を通るとき悪いことを考えると、きっと不幸なことが起こる」などと考えます。
そして、先の先まで心配して、この「儀式」(的なこと)をやっておかないと、きっとまたあとで不安な気持ちになるから、とりあえずやっておこう、と強迫行為的な儀式を繰り返します。

つまり先の先の先の「自分の気持ち」まで心配して、強迫的な行動をしているのです。
自分には悪いことしか起こらないと信じているような感じです。

自分の「心配」をよく見てみると、その殆どが現実ではないことが理解できます。

ところが、そういうかたに「それは全部空想ですよね? 現実はどうなっていますか?」というと、わからない。
「現実?」と問い返されます。
ご自分の思考がすべて現実であるかのような感覚があるようです。

心配はしかたがない。
でも、自分の現実(森田療法では「事実」ですね)をもっとよく見てみる。
心配にかまけて、やることが目の前に山積していませんか?

山積みになっていること、それこそが現実です。

そしてよく見てみると、そういう心配のもとになる不安は、現実生活で大事なことができていなかったり、現実生活が前に進んでいないときにムクムクと湧いてくるようなのです。

心配でドキドキするのはイヤな感覚です。
けれどその「イヤな感覚」を消そうとすることこそ、精神交互作用の始まり。

そんなときは、とにかく目の前にある事実を、いつもよりじっくり見てみる。

本当はレポートの期限が迫っているのに、手がついていないのかもしれない。
仕事で遅れているものがあるのかもしれない。
もうそろそろ婚活でもしなくてはならないのに、自信がなくて何もできていないのかもしれない。

そういう現実は「不安感」を生みます。

別に他には心配がないというかたもいます。

そんなときには、部屋をじっくり見てみる。
よく見ると散らかっていませんか?

片付けなければならない、書類や広告の山がありませんか?
粗大ごみに出したいのにおっくうで何もしていなかったりしませんか?
掃除はできていますか?

それが現実です。

他のことを心配しながらも、現実に手をつけてみる。

これをすれば心配がなくなる、ということは言えません。
しかし少なくとも、自分の心配がまったく現実とイコールではないというは理解する。

そして現実を前に進めていく。

我慢して進めていくと、そこになにがしかの達成感、喜びが生まれてくる。

気持ちは心配よりも現実に向かっていきます。
そして気持ちが流れ始めます。

当たり前のことですが、私たちは日々変化する現実のなかで生きている。
「今、ここ」の現実に生きることこそが、私たちを希望に導き、生き生きさせてくれるのです


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神経症のかたで遠方にお住まいの場合、電話相談もご利用ください お茶の水セラピールーム
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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