対人恐怖について
日本人に多いと言われる対人恐怖。
対人恐怖や対人不安を抱えて悩んでいらっしゃるかたも多いことと思います。
森田療法はときには対人恐怖のための治療法とも言われます。
けれど対人恐怖のかたに対応するのは、とてもむずかしいという感じがあります。
これは、個人的な感じというだけでもなく、とある高名な治療者のかたが「対人恐怖が治せるようになったら一人前」と言われたことでもわかります。
これを聞くと強迫神経症のかたなどは、自分たちのほうがたいへん、と思われるかもしれません。
でも、強迫のかたのほうがすっきりと症状は消えるのです。
治療やカウンセリングに通い続けることもできる。
ですから対人恐怖のかたでも、「視線」とか「赤面」とか、ひとつのことに集中しているかたのほうが楽になるのは早いようです。
たいへんなのは、「友達ができない」とか「雑談のなかに入れない」とか訴えるかたがたです。
たいへんな要因はたくさんありますが、ひとつには人に対して批判的で、なかなか相手を信頼できない、というところ。
つまり、カウンセリングや治療が続かないことが多い。
相手を信頼して、通い続けるということがむずかしいのです。
これに関して、ひとつ興味深く思うことがあります。
神経質のかたの自助・学習グループの「生活の発見会」のなかには、強迫神経症のグループや不安神経症のグループはありますが、たくさんいるはずの「対人恐怖」のグループができない。
当たり前ではないかと言われる人がいるかもしれませんが、特徴的です。
また対応する側も判断を誤ることがあります。
これは森田療法での対応に関してですが、妙な言い方をすれば、相手の訴えの切迫感に押されて、つい「対人恐怖」をなんとかしようとしてしまう。
森田療法的アプローチとしては(あるいは個人でなんとかしようと思っているかたにとっても)これは違うということはご理解いただけると思います。
大事なのは対人恐怖をなくすことではない。
それを持ちながら、自分のやりたいことをやっていくことです。
森田療法では「欲望」に目を向けると言いますが、症状真っ最中のかたは、そこから脱することが「欲望」だと思っている。
そして対人恐怖の方に「症状がなくなったら、何をしたいですか?」と尋ねると、「人と仲良くして、皆の輪のなかに入りたい」とおっしゃいます。
当然のことですが、では何のために人と仲良くしたいの?というところはわからないかたが多い。
実は森田療法的な欲望探しは、非常にむずかしい側面があるのです。
輪郭がぼんやりとした欲求を、はっきりとさせていくのが、森田療法的なアプローチなのですが、対人恐怖のかたの欲求は、なかなか地に足がつかない。
人のなかで活躍したい、皆の人気者になりたい、華やかな存在でいたい。
具体的な社会的役割や仕事、勉学というほうに気持ちが向かないことが多いのです。
端的に言いましょう。森田療法の基本中の基本です。
仕事や学問ができていれば、対人恐怖があってもいいのです。
こういうことを考えると、必ず思い出すかたがいます。
以前、高良武久先生の森田療法施設として下落合にあった高良興生院に、丸山氏という作業療法士さんがいました。
私は取材などで時々しか行きませんでしたが、丸山氏は元対人恐怖と聞きました。(多分そうだと思います)
彼は、入院生の作業指導をしているのですが、無駄口をきかない、愛想はない。
とても静かな、どちらかというと、目立たない人です。
でも、自分の仕事をきっちりするというところで、存在感がありました。
(私は偉い人と言われる人より、こういう目立たないところで光っている人のほうが好きです)
「対人恐怖」の治り方としては理想的ではないかとさえ思ってしまいました。
でも、ここまでになるのはなかなかむずかしい。(高良興生院での指導はさすがだと思います)
私も、セラピストとして神経症のかたたちが、カウンセリングに通い続けてくれるように、もっと楽な世界観を持ってもらえるように、精進したいと思います。
対人恐怖については、まだまだ書きたいこともありますので、またそのうちに。
対人恐怖や対人不安を抱えて悩んでいらっしゃるかたも多いことと思います。
森田療法はときには対人恐怖のための治療法とも言われます。
けれど対人恐怖のかたに対応するのは、とてもむずかしいという感じがあります。
これは、個人的な感じというだけでもなく、とある高名な治療者のかたが「対人恐怖が治せるようになったら一人前」と言われたことでもわかります。
これを聞くと強迫神経症のかたなどは、自分たちのほうがたいへん、と思われるかもしれません。
でも、強迫のかたのほうがすっきりと症状は消えるのです。
治療やカウンセリングに通い続けることもできる。
ですから対人恐怖のかたでも、「視線」とか「赤面」とか、ひとつのことに集中しているかたのほうが楽になるのは早いようです。
たいへんなのは、「友達ができない」とか「雑談のなかに入れない」とか訴えるかたがたです。
たいへんな要因はたくさんありますが、ひとつには人に対して批判的で、なかなか相手を信頼できない、というところ。
つまり、カウンセリングや治療が続かないことが多い。
相手を信頼して、通い続けるということがむずかしいのです。
これに関して、ひとつ興味深く思うことがあります。
神経質のかたの自助・学習グループの「生活の発見会」のなかには、強迫神経症のグループや不安神経症のグループはありますが、たくさんいるはずの「対人恐怖」のグループができない。
当たり前ではないかと言われる人がいるかもしれませんが、特徴的です。
また対応する側も判断を誤ることがあります。
これは森田療法での対応に関してですが、妙な言い方をすれば、相手の訴えの切迫感に押されて、つい「対人恐怖」をなんとかしようとしてしまう。
森田療法的アプローチとしては(あるいは個人でなんとかしようと思っているかたにとっても)これは違うということはご理解いただけると思います。
大事なのは対人恐怖をなくすことではない。
それを持ちながら、自分のやりたいことをやっていくことです。
森田療法では「欲望」に目を向けると言いますが、症状真っ最中のかたは、そこから脱することが「欲望」だと思っている。
そして対人恐怖の方に「症状がなくなったら、何をしたいですか?」と尋ねると、「人と仲良くして、皆の輪のなかに入りたい」とおっしゃいます。
当然のことですが、では何のために人と仲良くしたいの?というところはわからないかたが多い。
実は森田療法的な欲望探しは、非常にむずかしい側面があるのです。
輪郭がぼんやりとした欲求を、はっきりとさせていくのが、森田療法的なアプローチなのですが、対人恐怖のかたの欲求は、なかなか地に足がつかない。
人のなかで活躍したい、皆の人気者になりたい、華やかな存在でいたい。
具体的な社会的役割や仕事、勉学というほうに気持ちが向かないことが多いのです。
端的に言いましょう。森田療法の基本中の基本です。
仕事や学問ができていれば、対人恐怖があってもいいのです。
こういうことを考えると、必ず思い出すかたがいます。
以前、高良武久先生の森田療法施設として下落合にあった高良興生院に、丸山氏という作業療法士さんがいました。
私は取材などで時々しか行きませんでしたが、丸山氏は元対人恐怖と聞きました。(多分そうだと思います)
彼は、入院生の作業指導をしているのですが、無駄口をきかない、愛想はない。
とても静かな、どちらかというと、目立たない人です。
でも、自分の仕事をきっちりするというところで、存在感がありました。
(私は偉い人と言われる人より、こういう目立たないところで光っている人のほうが好きです)
「対人恐怖」の治り方としては理想的ではないかとさえ思ってしまいました。
でも、ここまでになるのはなかなかむずかしい。(高良興生院での指導はさすがだと思います)
私も、セラピストとして神経症のかたたちが、カウンセリングに通い続けてくれるように、もっと楽な世界観を持ってもらえるように、精進したいと思います。
対人恐怖については、まだまだ書きたいこともありますので、またそのうちに。