「野の医者は笑う」(東畑開人著)
面白い本を読みました。
なぜこの本を手にとったのか、経緯を自分のなかで失念してしまいましたが、多分著者の東畑開人さんの論文を学会誌か何かで読んで、興味がありメモしておいたのだと思います。
心理学の本だろうと思って手にとり、あまりの面白さ(読みやすさ)に、何時間かで読み切ってしまいました。
内容は私の予想とは全く違うものでしたが。
著者は臨床心理士。
沖縄の病院で仕事をしていましたが、ふとしたことから近代医学の枠の外で治療している「怪しい治療者」に興味を持ちます。
特に沖縄は「ユタ」の伝統もあり、どうやら「怪しい治療者」がふんだんにいるところのようです。
著者は、これらの「怪しい治療者」を「野の医者」と呼び、そういう人たちがどうやって人を癒すのかを探るためにフィールドワークを始めます。
具体的には、トヨタ財団の研究助成を受け、自分自身で野の医者の治療を受けてまわるのです。
医療人類学という分野だそうです。
ここでひとつ、現代の医療と心理療法の制度的説明を。
「人を癒す」というとき、そのトップにいるのは「医者」です。
これは「業務独占」の資格で、医者以外の人が医療行為をすると法律で罰せられます。
だから整体師とか鍼灸師などは「治る」という言葉を注意深く使用します。
さて心理療法の世界では、この行為は業務独占ではありません。はっきり言えば誰がやってもよいのです。
一応、「臨床心理士」とか「産業カウンセラー」という名称がありますが、これは「名称独占」の資格で、資格のない人がその名前を名乗ってはいけないというだけのものです。
現在、国家資格として「公認心理師」が設けられつつありますが、これも「名称独占」ですので、他の人が心理療法をやってはいけないということはありません。
ただ、こういう名前をもっている人は、それなりの研修を受けて資格試験に受かっているよ、というだけのことです。
さてそれ以外の「野の医者」と著者が呼ぶ人たちの層が、心理療法の周辺に広がっています。
たとえば、自己啓発、オーラソーマ、占い、フラワーレメディ、スピリチュアル・ヒーリング等々・・。いろいろなものがどんどん生まれているという状況です。
著者が探っていくのは、こういう人たちがどうやって人を癒すのか、そしてこういう癒しの方法がどんなふうに生まれてくるのか?
もうひとつ著者が心に思っているのは、臨床心理士もまた「野の医者」の一種なのではないかという疑問。
ともすれば学会から「邪道」とも呼ばれかねないこの研究をひやひやしながら進めている著者の様子、その合間に自身の就職活動をする様子とがユーモアあふれる文体で語られます。
この文体は、ずっと昔読んだ北杜夫の「ドクトルマンボウ」シリーズに匹敵するような、優れたものだと思います。
ユーモアって、本当にむずかしいものなのです。
さて内容は各自で楽しんでいただくとして、著者が発見したことは、「野の医者」たちは、ほとんどが「傷ついた治療者(Wounded Healer)」(これはユングの命名)であるということ。
つまり自分自身が悩み、それを乗り越える過程でヒーラーになっていく。
人を癒すことで、自分が癒される。
そうやって広大な「癒し」のフィールドが広がっていく。
そしてもうひとつ著者が気づくことは、この遠因として「沖縄の貧しさ」(経済的な)があるのではないかということです。
そして自身の立ち位置の確認があります。
臨床心理学は「学問」であり、自らを疑うという視点を持つことによって、自らの行っていることを考え抜く。
それが「学問」というものの性質と著者は言うのです。
あまりに固い壁のような境界を作るということは、中にいる人の脆弱性を表します。
「あれは邪道だ」ということを声高に言う人は、もろい自分を守っているのかもしれない。
しかし著者は果敢に「わけのわからない」世界に踏み込み、臨床心理学を逆照射するところまで思索します。
そこには関わる人たちに対する温かい視線があり、それが読者をホッとさせます。
読後、ふと考えてしまいました。
現代精神療法の第一人者と言われている神田橋條治先生の最近の治療、あれって「野の医者」の治療ではないのだろうか?
境界というのものは、本当はわからないものなのです。

誠信書房なのに、この装丁!
なぜこの本を手にとったのか、経緯を自分のなかで失念してしまいましたが、多分著者の東畑開人さんの論文を学会誌か何かで読んで、興味がありメモしておいたのだと思います。
心理学の本だろうと思って手にとり、あまりの面白さ(読みやすさ)に、何時間かで読み切ってしまいました。
内容は私の予想とは全く違うものでしたが。
著者は臨床心理士。
沖縄の病院で仕事をしていましたが、ふとしたことから近代医学の枠の外で治療している「怪しい治療者」に興味を持ちます。
特に沖縄は「ユタ」の伝統もあり、どうやら「怪しい治療者」がふんだんにいるところのようです。
著者は、これらの「怪しい治療者」を「野の医者」と呼び、そういう人たちがどうやって人を癒すのかを探るためにフィールドワークを始めます。
具体的には、トヨタ財団の研究助成を受け、自分自身で野の医者の治療を受けてまわるのです。
医療人類学という分野だそうです。
ここでひとつ、現代の医療と心理療法の制度的説明を。
「人を癒す」というとき、そのトップにいるのは「医者」です。
これは「業務独占」の資格で、医者以外の人が医療行為をすると法律で罰せられます。
だから整体師とか鍼灸師などは「治る」という言葉を注意深く使用します。
さて心理療法の世界では、この行為は業務独占ではありません。はっきり言えば誰がやってもよいのです。
一応、「臨床心理士」とか「産業カウンセラー」という名称がありますが、これは「名称独占」の資格で、資格のない人がその名前を名乗ってはいけないというだけのものです。
現在、国家資格として「公認心理師」が設けられつつありますが、これも「名称独占」ですので、他の人が心理療法をやってはいけないということはありません。
ただ、こういう名前をもっている人は、それなりの研修を受けて資格試験に受かっているよ、というだけのことです。
さてそれ以外の「野の医者」と著者が呼ぶ人たちの層が、心理療法の周辺に広がっています。
たとえば、自己啓発、オーラソーマ、占い、フラワーレメディ、スピリチュアル・ヒーリング等々・・。いろいろなものがどんどん生まれているという状況です。
著者が探っていくのは、こういう人たちがどうやって人を癒すのか、そしてこういう癒しの方法がどんなふうに生まれてくるのか?
もうひとつ著者が心に思っているのは、臨床心理士もまた「野の医者」の一種なのではないかという疑問。
ともすれば学会から「邪道」とも呼ばれかねないこの研究をひやひやしながら進めている著者の様子、その合間に自身の就職活動をする様子とがユーモアあふれる文体で語られます。
この文体は、ずっと昔読んだ北杜夫の「ドクトルマンボウ」シリーズに匹敵するような、優れたものだと思います。
ユーモアって、本当にむずかしいものなのです。
さて内容は各自で楽しんでいただくとして、著者が発見したことは、「野の医者」たちは、ほとんどが「傷ついた治療者(Wounded Healer)」(これはユングの命名)であるということ。
つまり自分自身が悩み、それを乗り越える過程でヒーラーになっていく。
人を癒すことで、自分が癒される。
そうやって広大な「癒し」のフィールドが広がっていく。
そしてもうひとつ著者が気づくことは、この遠因として「沖縄の貧しさ」(経済的な)があるのではないかということです。
そして自身の立ち位置の確認があります。
臨床心理学は「学問」であり、自らを疑うという視点を持つことによって、自らの行っていることを考え抜く。
それが「学問」というものの性質と著者は言うのです。
あまりに固い壁のような境界を作るということは、中にいる人の脆弱性を表します。
「あれは邪道だ」ということを声高に言う人は、もろい自分を守っているのかもしれない。
しかし著者は果敢に「わけのわからない」世界に踏み込み、臨床心理学を逆照射するところまで思索します。
そこには関わる人たちに対する温かい視線があり、それが読者をホッとさせます。
読後、ふと考えてしまいました。
現代精神療法の第一人者と言われている神田橋條治先生の最近の治療、あれって「野の医者」の治療ではないのだろうか?
境界というのものは、本当はわからないものなのです。