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現実を具体的に考える

森田療法の「事実唯真」という考え方は、悩みのなかにいるかたには少し理解が難しい概念かもしれません。

本当はただ、言葉通りのことなんですけれど。

森田正馬の説明だと、たとえば祈念恐怖(一種の縁起恐怖)の人が旅行に行けた。ところがその人は自分の強迫観念が苦しかったということだけしか言えない。
でも、森田は「苦痛だったけれど、人並みのことはできた。それが事実だ」と言うのです。

それからまた、「いやなものはいや、それが事実」とも言い、「欲望と恐怖、成功と苦痛は表裏一体。それが事実」とも言います。
「事実唯真」という言葉を概念として追及しようとすると、意味していることの範囲が広くてどんどんわからなくなっていくでしょう。

今回はその事実唯真をもとに、少しわかりやすく考えてみましょう。

確かに神経症真っ最中の人の考え方は、少し漠然としていてアバウトです。

思考がどんどん「事実」から離れていく。
主観のなかに閉じ込められた状態です。

たとえば視線恐怖の人は、「電車のなかで、自分が人を見ると、その人が不快になり迷惑がかかる」「職場で自分の向かい側に座っている人に自分の視線恐怖の症状がうつる」とおっしゃいます。

では「そのことで、他の人から苦情があったのですか?」と言うと、たいていのかたが「ない」と言う。
でも・・・という反証で、「その人が目をそらすんです」「席を立って向こうのほうへ行ってしまうのです」とお話しされます。
ただ自分の頭の中だけの考えです。
でもそれを真実と思い込んでいる。

まずはその恐怖は持ちながら、苦しいけれど周囲の事実を観察してみる。
席を立った人がどこへ行くのか?
次の駅で降りるために立ったのではないのか?
あるいは向かいの人が、こちらに目を向けないのは、その人が自分のPCで仕事に熱中しているだけなのではないか?

もっと広げて考えるならば、向かいの人に視線恐怖をうつしたとして、それで何が起きるか?
なぜそれがこわいのかというと、結局自分が嫌われ、バカにされ、排除されるのがこわいのかもしれない。

だとしたら考えるべきは、たとえ視線恐怖があっても自分が嫌われないためには、現実的に何をしたらよいのか?
当然のことながら、まわりに迷惑をかけないように仕事をきちんとする。
視線恐怖をうつすのがこわくて逃げ回っているかもしれないけれど(本当はそうすることで周りに違和感を与えているだけなのですが)相手の助けになることを、こわいけれどやってみる。

事実としては、自分をサポートしてくれる人を嫌う人はほとんどいません。

神経症の真っ最中は、まるで夢のなかにいるような状態です。
自分の夢想を事実と思っているのです。
(もちろんなぜそうなるのかというと、背景に強烈な不安感があるのですけれど)

夢想のなかのアバウトな部分を、すこしずつ「事実」「現実」にそって具体的に考えてみる。

きっと症状真っ最中のときは、事実を見ることがこわいのでしょう。
経験不足ということもあり、事実を見ると何かもっとこわいことに思い当ってしまうような不安があるのかもしれません。

でも、事実・現実はほとんどの場合、強迫観念よりこわくない。
だって、強迫観念は最悪のことを複雑に想定しているのですから。

強迫観念は消そうとすればするほどひどくなりますが、現実の目の前のことに対処すれば、それなりの成果は出ます。
その成果が事実です。

具体的に現実にそって考えるという習慣をつける。
悩んでいる人には難しいことかもしれませんが、実はそのほうが症状を治すことを考えるよりずっと楽な道なのです。



flower of autumn

神経症でお悩みのかた、ご相談ください。お茶の水セラピールーム

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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