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葛藤こそ大事

先日は、名古屋の一日学習会へ参加させていただきました。
熱気あふれる学習会でした。

「純な心」がテーマでしたが、どなたかが「純な心って、本当はすごく簡単なことなんですね」と言ってくださいました。
実際、「純な心」という概念はまったく難しくないのです。
でも、もしかしたら神経質者のかたが「純な心」に気づくのが難しいのかもしれません。

それはそうと、何人かのかたから、内容が似たお話しをいただきました。

「懇親会のときに、思い切って(私に)話しかけた。それはよかったけれど、話せなかった人に申し訳ない気がした」
「(私に)話したかったけれど、人の目が気になり、そばに行けず残念だった」

神経質のかたというのは(あるいは人間は誰でも)、いつでもいくつかの心が葛藤しているようです。
多分、欲求が多方面にわたっているからでしょう。

たとえば・・
「誰かに話しかけたい」
「でも、他の人もそうしたいと思っているのに、悪いかな」(場を乱したくない、目立たないでいたい)
「他の人がどう思うだろう」(人の目を気にする。いい人でいたい)
「話しかけてうまく言葉が出なかったらどうしよう」(恥をかきたくない)

そうやっていろいろな心が同時にあって、葛藤しているのです。

森田は、このように多くの心が葛藤している人ほど立派な人である、というようなことを言っています。

それはどういう意味でしょう?

もし葛藤のない心なら?

「こうしたい!」と思う心のまま、猪突猛進。周りのことなど目に入らない。人の迷惑も考えられない。
「気まずい」という心のままに、ひたすら引っ込んでいて、自分の欲求には気づけない。
人の目ばかりを気にしていて、身動きできない状態になる。
あるいは、いつも装ったような不自然な自分でいることになる。

森田療法は、欲望を大切にしますが、必ずしも「いつも欲望のままに行動しなさい」などとは言っていないと思います。
同じように「周囲に迷惑がかからないように」などとも言っていません。
そういう教条的な言い方はしないのです。

自分の欲望は大事。
けれど、その欲望を達成するにあたって、心の中に自然に出てくる様々な葛藤も大事。

その葛藤があるから周囲への気配りができることもある。
そうやっていろいろな葛藤のなかで「でも本当は何がしたいか」を感じていく。

その「誰か」と話せなかったことが、ずっと後悔のタネになるなら、その欲望はかなり強いものであるわけです。

それだったら、今回は思い切って話してみよう、という行動を選択してみる。

葛藤しつつ、選択していく。
そしてその選択の責任は自分がとる。

そうやっていつも迷う自分がイヤだ、とおっしゃるかたもいます。
けれど、葛藤して迷い決断していくのが、ある意味、心の普通の働きです。

この葛藤や迷いが不愉快でいやだから、消したいというのは、不可能なこと。

そういう高度で複雑な働きをしている私たちの心が、実は私たちを守ってくれているのです。

奈良の鹿

                          奈良の鹿
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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