対人恐怖のいろいろ
日本人に多いと言われている「対人恐怖」、現在では欧米の診断基準に合わせて「社会不安障害」とも呼ばれます。
ひとくちに対人恐怖といっても、いろいろな種類があります。
グループのなかでうまく話せないと悩む「雑談恐怖」。
一対一の関係でも、最初に会ったときはこだわりなく話せるのに、回を重ねるにつれ、だんだん緊張感が増してくる人。
これは「見知られることの恐怖」です。
結果的に社交の場から引っ込んでしまいます。
たくさんの人の前で話すときに恐怖を感じるのは「衆前恐怖」と言われます。
スピーチや朝礼、会議の席のプレゼンが死ぬほどこわい。
そのときに声が震える、原稿を持つ手が震えるなどのことにとらわれることもあります。
目の前の人たちが自分の緊張感を察知してしまうのではないかと不安なのです。
極力、そういう機会を避ける。
そのために出世を見送ることさえあります。
身体のことにこだわる対人恐怖もあります。
自分の視線がきつすぎて、他人を傷つけていると思う「視線恐怖」。
これはむしろ他人の視線がこわいというより、自分の視線が害を与えているという恐怖です。
このなかには「横目恐怖」なども含まれています。
自分の顔が赤くなることに恐怖を感じる「赤面恐怖」。
これは欧米でも古くからある種類の対人恐怖です。
「醜貌恐怖」というものもあります。
これは今の時代、若い世代には多いようです。
美容整形が簡単にできるようになったということもあり、整形を繰り返す人もいます。
どこかひとつ整形しておさまるならいいのですが、どういじっても自分の顔に満足できないのです。
自分の身体の匂いが他人に迷惑をかけていると思い込む「体臭恐怖」「口臭恐怖」もあります。
お医者様に「絶対、匂っていない」と言われても、それが信じられない。
結果、電車のなか、教室など人が密集するところには行けなくなります。
また、静かな場でお腹がゴロゴロと鳴ることの恐怖、放屁してしまうことの恐怖を訴えるかたもいます。
「場」にこだわるかたもいます。
他人との会食がこわい。自分のマナーに不安を感じたり、「嘔吐恐怖」を伴うことがあります。
身体に直接現れるものもあります。
吃音恐怖、書痙、発汗恐怖などです。
これらは、人のいないところでは苦しくないし、震えたり吃ったりもないので、やはり対人恐怖の一種です。
こうして書いてみると、本当にいろいろな種類の対人恐怖があります。
ベースには深い不安がありますが、その不安は「自分はこのままでは他人に受け入れてもらえない」「嫌われてしまう」という自信のなさから生まれてきます。
でも、自信がないだけなら、対人恐怖にはなりません。
「自分はダメだ」と思えばいろいろなことから逃げて消極的に生きればいいのですから。
けれどそこにおさまっていられないから、葛藤が生まれ、対人恐怖になるのです。
対人恐怖の裏には必ず「このままではいたくない」「なんとか人に認められたい」という、強い願望があります。
対人欲求ということもできます。
この欲求に自分で気づいていないことも多いのですが。
対人恐怖からの回復には、自分の強い欲求をバネにしていく必要があります。
自分の主観にとらわれた迷妄状態にいるときは、言葉で自分を納得させることはなかなかむずかしい。
やはり欲求に向かって現実に踏み出すこと(踏みとどまること)が克服への道なのです。
ひとくちに対人恐怖といっても、いろいろな種類があります。
グループのなかでうまく話せないと悩む「雑談恐怖」。
一対一の関係でも、最初に会ったときはこだわりなく話せるのに、回を重ねるにつれ、だんだん緊張感が増してくる人。
これは「見知られることの恐怖」です。
結果的に社交の場から引っ込んでしまいます。
たくさんの人の前で話すときに恐怖を感じるのは「衆前恐怖」と言われます。
スピーチや朝礼、会議の席のプレゼンが死ぬほどこわい。
そのときに声が震える、原稿を持つ手が震えるなどのことにとらわれることもあります。
目の前の人たちが自分の緊張感を察知してしまうのではないかと不安なのです。
極力、そういう機会を避ける。
そのために出世を見送ることさえあります。
身体のことにこだわる対人恐怖もあります。
自分の視線がきつすぎて、他人を傷つけていると思う「視線恐怖」。
これはむしろ他人の視線がこわいというより、自分の視線が害を与えているという恐怖です。
このなかには「横目恐怖」なども含まれています。
自分の顔が赤くなることに恐怖を感じる「赤面恐怖」。
これは欧米でも古くからある種類の対人恐怖です。
「醜貌恐怖」というものもあります。
これは今の時代、若い世代には多いようです。
美容整形が簡単にできるようになったということもあり、整形を繰り返す人もいます。
どこかひとつ整形しておさまるならいいのですが、どういじっても自分の顔に満足できないのです。
自分の身体の匂いが他人に迷惑をかけていると思い込む「体臭恐怖」「口臭恐怖」もあります。
お医者様に「絶対、匂っていない」と言われても、それが信じられない。
結果、電車のなか、教室など人が密集するところには行けなくなります。
また、静かな場でお腹がゴロゴロと鳴ることの恐怖、放屁してしまうことの恐怖を訴えるかたもいます。
「場」にこだわるかたもいます。
他人との会食がこわい。自分のマナーに不安を感じたり、「嘔吐恐怖」を伴うことがあります。
身体に直接現れるものもあります。
吃音恐怖、書痙、発汗恐怖などです。
これらは、人のいないところでは苦しくないし、震えたり吃ったりもないので、やはり対人恐怖の一種です。
こうして書いてみると、本当にいろいろな種類の対人恐怖があります。
ベースには深い不安がありますが、その不安は「自分はこのままでは他人に受け入れてもらえない」「嫌われてしまう」という自信のなさから生まれてきます。
でも、自信がないだけなら、対人恐怖にはなりません。
「自分はダメだ」と思えばいろいろなことから逃げて消極的に生きればいいのですから。
けれどそこにおさまっていられないから、葛藤が生まれ、対人恐怖になるのです。
対人恐怖の裏には必ず「このままではいたくない」「なんとか人に認められたい」という、強い願望があります。
対人欲求ということもできます。
この欲求に自分で気づいていないことも多いのですが。
対人恐怖からの回復には、自分の強い欲求をバネにしていく必要があります。
自分の主観にとらわれた迷妄状態にいるときは、言葉で自分を納得させることはなかなかむずかしい。
やはり欲求に向かって現実に踏み出すこと(踏みとどまること)が克服への道なのです。
対人恐怖でお悩みのかた、ご相談ください。電話・日記での相談もあります。
お茶の水セラピールーム
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